カレーは生き物 第四章 エーテル場断層 2



          * 2 *



 振り返った瞬間、僕とロリーナの間をすり抜けるように通り過ぎていったのは、モンスターギュ男爵。

 改めて振り向くと、いつも通りキッチリしたスーツを纏い、その頭は狼の形をしていた。

 たぶんだけど、いつも怪物の頭をしている彼だから、それは普通の狼ではなく、狼男の頭だ。

 そして彼の白い手袋に包まれた手には、ロリーナが持っていたはずのワールドリドゥ装置が握られていた。

「それをどうするつもり?!」

 鋭い声を発したロリーナに、モンスターギュ男爵は肩を竦め、手の中のワールドリドゥ装置を握りつぶした。

 いつもの、どんな表情をしているのかわからない怪物の顔と違って、狼の顔のいまは、まだ感情が読み取れる。

 モンスターギュ男爵は、突き出た口の端をつり上げて、笑っていた。

「貴方は、この状況をつくり出すために、長谷川蓉子を唆して、ロリーナにワールドリドゥ装置を渡したのか?!」

 僕の問いにモンスターギュ男爵は答えない。頷きもしない。

 ただ口をつり上げて笑い、肩を竦めるだけだ。

 でもそれが、僕には肯定の返事にしか思えなかった。

「やっぱり……」

 たぶんモンスターギュ男爵は、最初にキーマと、そして一緒にいるロリーナを見たときから、この状況をつくることを考えていたんだ。だからロリーナにワールドリドゥ装置を渡した。

 ――だとしたら、まだ終わってない。

 モンスターギュ男爵の目的は、いまの状況の構築。

 彼の望みは、これから達成されるもののはずだ。

「いまから貴方は、何をするつもりですか?!」

 やぱり僕の問いに応えず、口元の笑みをさらに深くした彼は、左腕の袖口から右手で指揮棒のような細いスティックを取り出す。

「止めなさい。さもないと、撃つから」

 ホウキで狙いをつけ、ロリーナはモンスターギュ男爵を威嚇する。

 気にした様子のない彼は、立てた左手の指を小さく振って見せ、右手の指揮棒を空に向けて振った。

 ロリーナが魔法の光線を放つよりも先に現れた変化。

 何かが吸い込まれていくような風が巻き起こり、軽いものが空へと舞い上がっていく。

 キーマを右腕に抱き、左腕をロリーナの肩に回した僕は、その場にしゃがんだ。

 空中に吸い込まれるような風はすぐに止んだ。

 ロリーナと抱き合いながら立ち上がり、空を仰ぐと、そこにはあり得ないものが現れていた。

 門。

 両開きの、緋色の門が、空中に浮かんでいる。

 そのサイズはたぶん、さっき現れたレシピアントよりも巨大だ。

「あれは、いったい何なんだ?」

 わかっていないのか、呆れてでもいるのか、両手の平を上に向けて、肩を竦めて見せるモンスターギュ男爵。

 喋らないだけでなく、彼は答えるつもりがないんだ。

「たぶんだけど、あれは世界を渡るための門だよ」

「わかるの? ロリーナ」

「うん。というか、そんな感じがあるの。初めてのマナの感触だけど、そんな風に感じる」

 魔法使いであるロリーナには、僕には見えないものが、感じられないものが感じられるんだろう。

 でも僕には信じられない。

 マナは奇跡を起こし得る素量子。

 理論上では身体を持って世界を渡るための方法はあるとされてるけど、そのために必要な魔導エネルギーは、世界の法則を変え得るほどだとも言われている。

「どうやってあんなものつくれたのかはわからない。エーテル場断層だけでつくれるものなのか、それ以外にも何か仕込んであったのかも知れない。でもあれは、異世界の門だよ」

 もう疑問ではなく、確信を持って言っているロリーナ。

 僕たちの前に立つモンスターギュ男爵は左腕を背中に回し、右手を差し出してきた。

 僕に向かって。

 恭しく誘っているその手に、僕は理解した。

「あの先にあるのは、僕が生まれた世界……」

 その結論に、確信があるわけじゃない。でも僕を誘うモンスターギュ男爵に、そう思えた。

 モンスターギュ男爵はいつも何かを探していた。

 それがなんなのかはわからなかった。

 でもそれは、僕が生まれた世界に、探し物そのものか、手がかりがあるものなんだろう。

「克彦……」

 泣きそうな、でも僕を心配しているような顔で、ロリーナが声をかけてくる。

「パパ?」

 いつの間に目を醒ましていたのか、腕の中にいるキーマも僕を呼ぶ。

「パパは、帰りたいの?」

「僕は……」

 キーマの問いに、そしてロリーナも問おうとしていただろう言葉に、僕は何も答えられない。

 この世界に来て、僕はたくさん苦労した。たくさん泣いた。

 友達にも、お父さんにも、お母さんにも会えないとわかって、この世界に来てすぐの僕は、絶望した。

 いま目の前にある、あの世界に帰る方法。

 僕は、答えが出せなかった。

「パパ、ごめんなさい」

 突然、キーマがそんなことを言った。

「この世界に生まれてごめんなさい。パパのところにいてごめんなさい。いっぱい迷惑をかけてごめんなさい」

「それは、いいんだって言っただろ」

「うん。うん……。そうだけど!」

 必死で涙を堪えてる様子のキーマは、僕の腕から逃れるようにして、屋上にひとりで立つ。

「でも、大丈夫だよ。あたしはもう大丈夫っ。パパに自分の子供だって言ってもらえた。パパにいっぱいお世話になった。だから、もう大丈夫だよ。あたしはひとりででも生きていけるよ」

 涙を目尻に溜めながら、キーマはにっこり笑う。

「だから、帰りたいなら、パパは帰るのがいいんだよ。パパのパパに、パパのママに会いに帰るのがいいんだよ。そうでしょ? ね?」

 その言葉は、嘘だ。

 キーマの精一杯の強がり。

 それはわかっていても、僕は嬉しいと感じる。キーマは僕のことを想ってそう言ってくれてるんだとわかるから。

 ロリーナの方を見ると、彼女は笑っていなかった。

 悲しそうに、つらそうに、顔を歪めている。

 唇は震え、何か言いたそうなのに堪えてる。

 彼女の深く、澄んだ碧い瞳は、揺れている。

 それなのにロリーナは、キーマの言葉に同意するように、頷く。

 伸ばされたキーマの手に自分の手をつないで、僕から一歩離れる。

 心配しなくてもいいと、言うみたいに。

 ――僕は、幸せ者だな。

 いま、目の前にふたりもの女の子が、僕のことを想ってくれている。

 自分の望みよりも、僕の幸せを願ってくれている。

 それがどんなに幸せなことなのか、僕は湧き上がってくるもので胸に暖かさを覚えながら、強く感じていた。

 モンスターギュ男爵が首を傾げ、さらに右手を差し出してくる。僕を促してくる。

 だから僕は、僕の結論を告げる。

「帰るつもりは、ないよ」

「パパ!」

「克彦!」

 同時に僕を呼ぶキーマとロリーナに、僕は笑いかけた。

「あの門の向こうに、僕の元いた世界があるかも知れない。でも僕はいま、この世界で生きてる。知り合いがいて、友達がいて、キーマがいて、それから、ロリーナがいる。僕はいま、この世界の住人なんだ」

「帰る機会は、たぶんもう二度とないよ? わかってる?」

「うん。帰りたいって気持ちがないわけじゃないよ。元の世界にも大切なものがたくさんある。でもね? ロリーナ。キーマ。僕にはこの世界にも、大切なものがあるんだ」

「パパ!!」

 もう止められない涙を流しながら、キーマが抱きついてくる。僕はその身体を抱き締める。

「克彦……」

 優しい笑顔で、でも目に涙を溜めて側に来てくれたロリーナに、僕は精一杯の笑顔を見せた。

 今度こそ呆れたんだろう、肩を大きく竦めたモンスターギュ男爵は、ふわりと浮かび上がった。

 魔法や魔術を使ったようには思えないのに、空を飛び、ゆっくりと開いていく門の前で僕たちに振り返る。

 仰々しくこちらに礼をして、彼は黒しか見えない門の中へと消えていった。

 扉は閉じ、門は薄れて消えていく。

「本当に良かったの? 克彦」

「うん。僕はもう、この世界の住人でもあるから」

「ん。そっか」

 まだ泣いているキーマを抱き締めながら、安心したように笑むロリーナにそう答えていた。

 すべて終わった、と思ったのもつかの間。

 これまでで最大級の、空間を引き裂く音が聞こえた。

 見ると門があった場所に、黒く大きな亀裂がいくつも走っていた。

 亀裂の中心にあるのは、黒い穴。

 それはさっき門の中に見えたのとたぶん同じ、この宇宙の外。

「あれは……」

「門の消滅と一緒に、世界に穴が空いたんだ……」

「じゃああれは、もしかして?」

「うん。たぶんそう。あれが、マナブラックホール」

 ロリーナの答えに、僕は絶望を覚える。

 どれくらいの規模に成長するのかわからない。でもマナブラックホールが発生したのだとしたら、この辺りの空間は消滅する。その余波は、ネオナカノをも巻き込むだろう。

 規模が拡大していったら、地球を、もしかしたらもっと広い範囲、太陽系や、銀河系のある空間を崩壊させてしまうかも知れない。

「逃げるよ、克彦!」

「無理だ! 逃げ切れるものじゃない」

「だとしても! 少しでも遠くに逃げれば助かるかも知れないでしょ!!」

 ロリーナの訴えはもっともだ。

 マナブラックホールの規模が小さければ、いまからでも遠くに逃げれば、空間の崩壊には巻き込まれないかも知れない。

 でも規模が大きく、拡大していくなら、ネオナカノを、地球を消滅させてしまう。

 僕のやるべきことは、ひとつだった。

「ロリーナ。キーマを頼むよ」

「パパ?」

「克彦!」

 わかっていないらしいキーマ。

 わかったらしいロリーナは、怒りの色を碧い瞳に浮かべる。

「ダメだよ、克彦。それだけは、ダメ! エジソナにも言われたでしょっ。自分のできることの限界を見極めろって! これは、克彦でも無理だよ!!」

「でもこれしか方法がないのは、ロリーナもわかってるだろ?」

「だけど!」

 伸ばされたロリーナの手を避けて、僕はスカイバイクに走っていく。

 マナブラックホールは、マナの連鎖的な世界通過だ。

 マナが世界から流出するのを止めてやれば、穴は自然に小さくなり、消えてしまう。

 僕のマナブラックホール体質で、世界の外に落ち込もうとしているマナを、マナブラックホールが消えるまで吸収し続けられれば、空間の崩壊は止められる。

 空を見ると、キラキラと光りながら、マナから放たれた光がどんどん黒い穴の中に吸い込まれていくのが見えていた。

「克彦! 行かないで!!」

「パパ! 行かないで!!」

 口々に僕を止めるロリーナとキーマに笑いかけ、僕はバイクのハンドルに手をかける。

「僕は、ロリーナのことが好きだ」

「な、何を?!」

「キーマのことも好きだ」

「うん。うん。あたしも、パパのことが好きだよ!」

「他にも、この世界でできた友達のことも、出会えた人のことも、好きなんだ。そんな人たちを、僕は守りたいんだ」

 一歩、僕の方に足を踏み出したロリーナは、でもそれ以上は近づいてこなかった。

 唇を噛み、うつむく。

 そんな彼女に笑いかけながら、僕はスカイバイクのエーテルアンプを起動させる。

 前の部分がひしゃげ、エーテル場が飛んでもないことになってるこの空間で、スカイバイクは不調だけど起動し、飛行魔術のキャストも正常に行われている。飛べる。

「行ってくる。みんなを守るために」

 僕はふたりの返事を聞かずに、空に飛び上がった。

「克彦ーーーーーっ!! 帰ってこないと、承知しないからねーーーっ!!」

「パパーーーーーッ!! 絶対、絶対帰ってきてねーーーっ!!」

 僕の背中を追ってくるそんな声に泣きそうになりながら、僕は黒い穴の中心に、最大加速でバイクを突っ込ませた。



            *



 克彦がマナブラックホールの中心に飛び込んで消えてから、黒い穴から伸び、増えていたヒビの成長が止まった。

 見ている間に、空間に入ったヒビは小さくなり、消えていく。

 彼のマナブラックホール体質がマナを吸収し、マナブラックホール現象を収縮させている証拠だ。

「克彦。絶対に、絶対に帰ってきてよ」

 両手を握り合わせ、それを額に着けたロリーナは、ただ祈る。

 祈ること以外、彼女にできることはなかった。

「パパ。克彦パパ!」

 ロリーナと並んで、キーマも同じ仕草で祈る。

 マナブラックホール体質は、無限にマナを吸収し続けられるものではない。

 ある程度の量のマナを吸収して、体内に発生した穴が塞がると、それ以上はマナを吸収できなくなる。

 吸収には限界がある。

 もし空間のマナブラックホールが塞がる前に、克彦のマナ吸収限界に達した場合は、彼の身体がどうなるかはわからない。

 大量のマナが流れ込み、エーテル場が桁外れに活性化しているマナブラックホールの中心部では、あらゆる奇跡が起こるという説がある。それも魔法使いが自分の意図した奇跡を起こすようにではなく、偶然であらゆる奇跡が起こり得る。

 徐々に小さくなっていって見えるマナブラックホールの中に、いまも克彦が存在しているかどうかは、ロリーナには見通すことができなかった。

「私は、こんなことのために利用されていたの?」

 そんな声を上げてがっくりと膝を着いた女性。長谷川蓉子。

 声のした方を見、ロリーナは怒りに碧い瞳を燃やす。

「そうよ! 貴女が、貴女がモンスターギュ男爵に唆されなければ、こんなことにはならなかったの!」

「そんなこと知らないっ。私は、私の望んだものを生み出せるからって、そう……、言われたわけじゃなくて、えぇっと……」

 言い始めたときの勢いを失い、長谷川蓉子は混乱したように視線を彷徨わせる。

 モンスターギュ男爵は語らない。

 しかし、まるで彼が言おうとしてる言葉を、相手から引き出すことができる。何かの能力なのか、ナチュラルマジックなのか、それはわからなかったが、そうした力を持っている。

 そしてそれを手口として使い、接近した相手を誘導し、唆す。

 長谷川蓉子はモンスターギュ男爵に無言で唆されて、クックリーチャーを生み出すように料理魔術にバグを仕込み、レシピアントを生み出すためにキーマや、他のクックリーチャーを集めた。

「モンスターギュ男爵って、あの怪物の顔をした人ですか」

「そうよ」

 カグヤを横抱きにし、クッキーを頭に乗せたミシェラも姿を見せる。

 意識こそないようだが、カグヤのあまりに寂しい胸は、規則正しく上下している。

「あの第一級不可侵存在が関係していたんですか。それはまた、面倒な……」

 そう言ってげっそりした顔をするミシェラ。

 あまり使われることはないが、第一級不可侵存在という言葉を、ロリーナは知っていた。

 高位のファントム、文字通りの神のように、触れると何をしでかすかわからない存在に対して認定される言葉だった。

 第一級不可侵存在が関わっている事柄については、警務隊も自治体も無視を決め込む。いるのがわかっていても、いないものとして扱われる。

 モンスターギュ男爵はWSPOの中で、高位の神に並ぶほどに危険で、触れてはいけない存在だと認識されているということだった。

「そもそも、貴女は何故、料理魔術にバグを仕込んで、レシピアントをつくって、街を破壊しようとしたの?!」

 膝を着いたままの長谷川蓉子に詰め寄り、ロリーナは問い質す。

「それは、その……」

 ついさっきまで高笑いを上げていた人物と同一とは思えない、気弱そうな様子で、長谷川蓉子は黙り込む。

 睨みつけたまま顔を近づけると、表情を歪めた彼女は、渋々ながら話し始める。

「彼氏ができたら、料理をつくっていつも食べてもらいたいと思っていたのに、一度食べてもらうと何故か必ず分かれることになってしまって……。どんな自信作で、美味しい料理でもダメで……。仕方ないから料理魔術を組み上げて、それでつくった料理を食べてもらってもマズいって言われて……。だから、その……」

「だから?」

「か、会社に持ち込んで他の人にも同じ目に遭わせてやろう、って思ったら、他の人が料理魔術を使っても同じことにならなくて! だったら魔術にバグを仕込んで、騒ぎを起こしてやろうかな、って……。そのときあの人と知り合って、料理魔術を応用したレシピアントのつくり方がわかったから……。その、まともに彼氏とつき合えないこんな世界なんて、壊しちゃおうかな、って」

「くっ、だらない理由!」

 あまりの下らなさに、ロリーナは頭から火が噴き出しそうになっていた。

「だって! 利用されてるなんて知らなかったからっ。こんなことになるんだったら、やらなかったのに……」

「結局世界を滅ぼそうとしてたんだから、たいした違いはないでしょ!」

 ロリーナの強い口調に、長谷川蓉子は涙を流し始める。

 静かにすすり泣いている彼女に、ロリーナは言う。

「貴女の料理が不味いのは、料理のつくり方とか、料理魔術とか、そういうのとは別のこと」

「どういうことです?」

「料理魔術のレシピはアドオンスペルで指定されるけど、細かい味つけは術者の味覚に依存してることは知ってるでしょう?」

「それはもちろん。そう設定したのは私ですから」

「貴女の料理が不味いのは、貴女の味覚がおかしいから! 一度病院に行って治療してもらいなさい!! そうすれば誰が食べても美味しい料理がつくれるでしょうよ!」

「そっか……。そういうことだったんだ!」

 まるで拝むように両手を握り合わせ、長谷川蓉子は怒りの表情を浮かべ続けているロリーナに笑顔を向ける。

 そんな彼女をさらに強い視線で睨みつけ、ロリーナは言う。

「でももし、克彦がこのまま帰ってこなかったら、病院なんていけなくしてあげるから! あいつを帰ってこれなくした原因をつくった貴女を、どんな方法を使ってでもメチャクチャにしてやるから!!」

「ひぃっ」

 尻餅を着いて後退り、四つん這いで逃げようとする長谷川蓉子の背中を、ミシェラは踏みつけて止める。

「た、助けてくださいっ。貴女はWSPOの捜査官なんですよね?」

「……んー。マナブラックホールが発生してる状況では、どんなことが起こってもおかしくないと聞くし、スフィアドールだから視覚情報は勝手に保存されてるけど、こんなエーテル場が乱れまくってる場所では、残ってる記録が正常とは限らないから、ねぇ」

「ひぃ、ひぃーーーっ」

 バタバタと手足を動かして逃げようとするが、ミシェラはさらに力を入れて長谷川蓉子を踏みつけ、逃がさない。

 そんな様子に侮蔑の視線を向けていたロリーナは、空を仰ぐ。

 小さくなり、消えかけているのがはっきりとわかるマナブラックホール。

 けれどそこにはまだ、克彦の影は欠片も見えない。

 ――必ず、必ず帰ってきてよ、克彦っ。

 ロリーナは両手を握り合わせ、空の一点を見つめ続ける。

 ただひたすらに、克彦の無事を祈りながら。

 そしてそのとき、黒いシミのようにわずかに残っていたマナブラックホールが、一気に収縮し、消えた。

 吸い込まれなかったマナが、残光のように光を放つ。

「パパ!」

 声とともにキーマが指さした方向に、何かが見えた。

 遠くてわからなかったが、地面に向かって落下していく、人影。

「克彦!」

 即座にホウキを手にしたロリーナは、飛行魔術を起動し自分の魔法力で増幅して空へと飛ぶ。

 克彦が落ちていく、落下地点に向かって。

 ――絶対に、絶対に助けるからね、克彦! 今度はわたしが、貴方を助けるから!

 金色の軌跡を残しながら、ロリーナは森の木に触れるぎりぎりの高さを飛んでいく。

 ――最初は、貴方だったんだから。貴方がわたしを助けてくれたから、わたしは貴方を助けたんだからね、克彦!

 はっきりと見えるようになった克彦の身体。

 意識がないらしい彼にぶつかる勢いでホウキを飛ばし、ロリーナは両手を伸ばした。



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