カレーは生き物 第四章 ~エーテル場断層~

カレーは生き物 第四章 エーテル場断層 1



   第四章 エーテル場断層



          * 1 *



 長谷川蓉子の方を見てみると、彼女はまだ開いた口が塞がらないようで、呆然としていた。

「あ、キーマ!」

 ロリーナが攻撃したのを思い出し、僕はエーテルバリアに空いたはずの穴を見る。

「ちっ!」

 そこからスカイバイクを突っ込ませて無理矢理突破しようと思ったけど、エーテルバリアに空いた穴は見つけた瞬間に塞がってしまった。

「まぁ、何がやりたかったのかよくわからないけど、これでもうできなくなったでしょう? エーテルバリアを解除して、あそこのクックリーチャーと、カグヤを解放してちょうだい」

 ホウキをまだ小脇に抱えたまま、僕の側までやって来たロリーナが長谷川蓉子に呼びかける。

 呆然とし続けていた長谷川蓉子は、徐々に表情を取り戻し、口元に笑みを浮かべ始めた。

「ふふふっ。ふふふふふっ!」

「何がおかしい?!」

「わかったのよ?」

「何が?」

「このスイッチの使い道が、ね!」

 言いながら長谷川蓉子が白衣のポケットから取り出したもの。

 白い円柱状のそれは、先端にボタンがある、何かのスイッチ。ボタンの反対側からはケーブルが伸びていて、カグヤさんの髪の中に消えていた。

 ――なんなんだ? あれは。

 と、思ったところでイヤな予感を覚えた僕は、すぐさまバイクのアクセルを捻って長谷川蓉子の元に突撃を開始する。

「克彦?!」

「もう遅い!」

 バイクが魔導絨毯に到達する直前、僕に見せつけるようにスイッチを構えた長谷川蓉子は叫びながらボタンを親指で押し込んだ。

「ワールドアンドゥ!」

 効果は、すぐに現れた。

 周囲の空間が歪み始めた。

 いや、そう見えるだけかも知れない。

 グニャグニャと景色が歪むのと同時に、僕は激しい頭痛を覚え、強く目をつむる。

 すぐに頭痛は消え、目を開けると、何も変わらない景色が見えた。

 いや、長谷川蓉子の乗る絨毯との距離が空いている。加速を開始して距離が詰まっていたはずなのに。

 それ以外なんの変化もないように思えるのに、スイッチを構えたままの長谷川蓉子は、僕に勝ち誇ったような笑みを見せてる。

「克彦から逃げただけ? しょぼい効果ね」

「……いったい、何をしたんだ?!」

「貴方たちふたりには効果はないの? 不思議ね。でも望む結果は得られたわ!」

 そんな彼女の言葉の理由を探して辺りを見回すと、違っている場所を見つけた。

「ロリーナ! あれ!!」

 僕が指さした先にあるのは、コンソール。

 ロリーナが破壊したはずのそれは、何故か穴が消えて、カウントダウンも続いている。

「なんで?」

「いいから、早く!」

「う、うん!」

 混乱してる様子のロリーナがホウキの先端を向けたときには、一歩遅い。

 ゼロ、と表示され、数字が消えた。

 同時に水槽の中を照らしていた光が強くなる。目を、開けられないほどに強く。

 それはまるで、料理魔術が暴走して、キーマが生まれたときみたいだった。

 まぶたを閉じていても眩しいくらいの光に動けなくなってるとき、衝撃波が襲ってきた。スカイバイクから振り落とされそうになった僕は、ハンドルを必死でつかんで膝でボディを挟んで、どうにか堪える。

 まぶたの向こうに眩しさを感じなくなって、目を開ける。

 衝撃波で飛ばされたらしく、ずいぶん上空から地上を見ると、景色が一変していた。

 いや、いままで見ていた景色に、あったものが失われ、いなかったものが現れていた。

 失われたのは、研究所。

 見ると、崩れて無残な瓦礫と化してしまっている。

 現れたのは、巨人。

 特撮の巨大超人ものに出てきそうな、身長一〇〇メートルは下らないだろう巨人は、たぶん僕が知ってるその手のデザインの中で、一番よかった。

「格好いい……。じゃなくて!」

 バイクのカメラで拡大し、巨人によって踏みつぶされた研究所の残骸を見てみるけど、キーマに姿は見つからない。他にいたクックリーチャーも、欠片すら残っていなかった。

 たぶん、あの巨人――長谷川蓉子の言うレシピアント――に、取り込まれて消えたんだ。

「キーマ……」

 どうすることもできず、僕はただ、レシピアントの偉容を見上げる。

「ふふふっ。あーーーはっはっはっはっ!! レシピアント! あそこにあるものを破壊しなさい!!」

 そんなことを言う長谷川蓉子が指さした方向にあるのは、上から押しつぶした卵のような形の街、ネオナカノ。

「ジャ!」

 その声に応えるように言葉じゃない声を上げたレシピアントは、胸の前で腕をクロスさせる。

 腕が光り始め、稲妻のように激しいものとなり、そして、レシピアントが大きく口を開いた。

 吐き出された、極太の光線。

 腕からじゃないのかよ! と心の中で突っ込みつつ、研究所の建物がすっぽり収まるほどの太さの光線の行く手に目を向ける。

 たぶん、レシピアントの顔の角度的にはネオナカノのど真ん中に当たるはずだった光線は、何故か中央尖塔の上の方をかすめ、青空へと消えていった。

「あっぶなっ。あんなのまともに命中したら、ネオナカノが消し飛んじゃうよ」

 そう言ったのはロリーナ。

 レシピアントに向けられたホウキの先端には、微かな光が漂ってる。おそらく魔法を使ったときの残光。

 改めてレシピアントを見ると、右頬に小さな焦げ跡をつくっていた。

 どうにか発射直前に、ロリーナが攻撃魔法を命中させて、ネオナカノへの直撃を逸らすことに成功したらしい、

「本当に、危なかった……。でもあんなの、どうすればいいんだろ」

 悠々と立っているレシピアントに、僕は打つ手を思いつけない。

 キーマたちクックリーチャーを材料にして生まれただろうレシピアント。

 普通の料理魔術で生まれたジャガイモ怪獣ですら、解除魔術を使うためには、魔法少女三人の協力が必要だったんだ。総合すればロリーナよりも大きな魔導エネルギーで生み出されたかも知れないレシピアントに、ロリーナひとりの解除魔術が通じるとは思えない。

 キーマを助け出す方法が、ない。

「チャージよ! レシピアント!! 次の攻撃で、ネオナカノを破壊しなさい!」

「ジャッ!」

 長谷川蓉子の声に応えて、胸の前で腕をクロスさせたまま、背を少し丸めるレシピアント。

 エネルギーのチャージに入ったらしい。

「マズい……」

「うん。マズいよ、克彦」

 ロリーナと顔を見合わせ、どうにもできないいまの状況に、困惑の表情を向け合っていた。



            *



「え? 何あれ?!」

 魔導ホウキに乗り、ミシェラがエジソナに指定された座標の近くまで来たとき、突然光の柱が見えた。

 光が衝撃波のようになって過ぎ去ると、中から現れたのは、巨人。

 ミシェラのメカニカルアイの観測では身長一〇〇メートルほどと出たその巨人は、腕をクロスさせたかと思うと、口から光線を吐き出した。

「ひっ」

 迫ってきた光に急いで地上に逃れるミシェラ。

 どうにか着地は間に合ったが、今度は光によるものではなく、熱を持った衝撃波が彼女の身体に襲いかかってきた。

 吹き飛ばされずに堪えたミシェラが後ろの方向、ネオナカノを見ると、光線がかすめたらしい中央尖塔から微かに煙が上がっていた。

「な、何なの? あれ……。もしかしてあれが、長谷川蓉子の目的?! あんなものが暴れ回ったら、この辺りがメチャクチャになる……」

 光線の観測結果では、先日の事件で撃ち合っていた兵器よりも何桁か大きいと出ていた。

 一撃で街を跡形もなく消し飛ばすだろうそのエネルギーに、ミシェラは震え上がる。

 地球の平穏を守護している魔法少女であっても、あの光線を防ぐにはひとりでは不足するはず。巨人を倒すとなったら、どれほどの魔法少女が集まらなければならないのか、想像もつかなかった。

「課長! スミス課長!!」

 エーテルモニタを開いてスミス課長に連絡を取ろうとするが、通信障害が出て繋がらない。

 おそらくさっきの光線の影響。

「あの光線がもう一度放たれたら、ネオナカノは終わりだ……」

 初撃はかすめるだけで済んだが、そんな幸運が続くとは思えない。次の一撃が、ここから一番近い街であるネオナカノの最後であることを、ミシェラは悟った。

「でも、私に何ができるだろう?」

 スフィアドールであるミシェラは、ただの人間に比べればかなりの強さを持つ。けれど魔法少女とは比べるべくもないほどに弱く、あの巨人をどうにかできる力はミシェラにはない。

 応援も呼べず、そう遠くないうちに魔法少女たちが駆けつけてくれると思うが、それも間に合わなかったらネオナカノどころか、自分の命も危うかった。

 どうやらエネルギーのチャージに入ったらしい巨人を、ミシェラは立ち尽くしてその場で見ていることしかできなかった。

「ひっ」

 そのとき聞こえた下生えの揺れる音に、ミシェラは悲鳴を上げてしまっていた。

 草の影から飛び出してきたのは、ウサギ。

 いや、羽の生えたウサギだ。

「か、可愛い……」

 赤い目をした白いウサギは、愛らしく鼻を動かし、ミシェラのことを見つめている。

 そのあまりの可愛らしさに、ミシェラはよろよろと近づいていって、手を伸ばす。持ち帰って飼いたかった。

 しかしその動きを止めるように、目の前に現れたエーテルモニタ。

「え? 『気安く触るでない』?」

 エーテルモニタに書かれた文字を読み上げたミシェラは、改めて羽ウサギのことを見てみる。

「クックリーチャー? それも、魔術を使うの?」

 エーテルモニタもカテゴリー一の魔術。

 クックリーチャーの頭が人間並みに優れているのは、エジソナの検査結果を見て理解していた。

 音山克彦とロリーナ・キャロルが連れていた、キーマと呼ばれている幼女型クックリーチャーにその姿にふさわしい知能があるだろうことは理解できたが、まさかウサギサイズのクックリーチャーにも、魔術が使えるほどの知能があるとは思っていなかった。

「……どうしよう」

 ロリーナから送られてきた解除魔術は、手元のストレージに格納してある。

 WSPOの現在の方針は、クックリーチャーを見つけたら材料に戻すこと。まだそれの停止命令が出ていない以上、その方針に従うべきなのはわかっていた。

 かなりの魔導エネルギーを宿している様子のある羽ウサギには、自分の核となるマナジュエルを使って解除魔術をかけても、通用する自信はなかったが。

「うぅん。こんな可愛いものを材料に戻すなんて、無理」

 可愛いものに目がないミシェラは、自分の職務を放棄した。

『俺様はカグヤ様の忠実なる僕(しもべ)、クッキー』

 ちょうど胸の辺りに表示されたエーテルモニタに、新たな文字が表示された。

 クッキーというのが羽ウサギの名前と認識したミシェラは、問うてみる。

「そのクッキーが、私に用でも?」

 隙あらば抱きしめようと思いつつ、人間の言葉も理解できてるらしいクッキーを見つめる。

『カグヤ様が捕らえられてしまった。救助の手を貸せ』

 可愛らしい外見の割にずいぶん尊大な口調だが、そんなギャップも愛らしく思えた。

「それで、そのカグヤ様は、いまどちらに?」

 そう訊いてみると、振り返ったクッキーは空を指さした。

 巨人のいる方向であるそこに震え上がるミシェラだったが、メカニカルアイで拡大して見てみると、巨人のそばに魔導絨毯が浮かんでいるのが確認できた。

 そこには倒れている女の子と、その側に女性がひとり立っている。

「あれは……、長谷川蓉子!」

 巨人を生み出したのが長谷川蓉子だと確認したとき、翼を広げたクッキーが浮かび上がり、頭の上に乗っかった。

 少し考え込んだミシェラは、クッキーに提案する。

「あそこまで貴方を運べばいいのはわかった。でも、カグヤ様を助ける手伝いをする代わりに、お願いがあるんだけど」

『……何でも言ってみるがいい』

「成功したら思う存分撫でさせて! それからいっぱい抱きしめさせて!!」

 その提案してからしばし、目の前のエーテルモニタに変化はなく、クッキーは沈黙していた。

 結論が出たのか、文字が書き換わる。

『救助に成功した場合は、それくらいならば許そう』

「だったら後、エサを食べさせていい? それから一緒にお風呂に入ってもいいかな? あぁ、それから――」

『そっ、そこまでは……。は、働き次第ということで……』

「ふふっ。わかった」

 口元ににやりと笑みを浮かべたミシェラは、衝撃波で転がっていってしまった魔導ホウキを拾い、またがった。

「ちゃんと捕まってなさい。落ちそうになったら抱きしめちゃうからね!」

 そう大声で宣言し、ミシェラは飛行魔術を起動する。

 WSPOの備品である魔導ホウキは、市販されているものと違い、カテゴリー四のマナジュエルが搭載されている。

『お手柔らかに』

 そう書かれたエーテルモニタをその場に残して、ミシェラは巨人に見つからないよう低空を、深緑のポニーテールを激しくなびかせながらかっ飛んでいった。



            *



「克彦! さっきのワールドアンドゥで身体に影響なかった?」

「え? うん。頭痛はしたけど」

 僕に声を掛けてきながら、バイクの後ろに乗り込んできたロリーナに答える。

「バイクの位置は変わったから、バイクには影響あったのかも」

「だとしたら、克彦とわたしには影響がなかったってことか……」

 ちらりと後ろを振り向くと、ロリーナは考え込んでいるようだった。

 チャージを続ける巨人は、徐々に腕の光が増してきていた。あの光がさっきと同じくらいになったとき、光線の再発射が可能になるんだと思う。

「たぶんさっきのワールドアンドゥっていうのは、時間を少しだけ戻すことができるものなんだと思う」

「……そんなことできるの?」

「理論上でななら、カテゴリー一〇程度の魔術か魔法でできるはずだけど。成功したって話は聞いたことないけどね。たぶんさっきのは、長谷川蓉子とその周辺にしか効果がない、限定空間だけの時間逆行だと思う」

「なんでそう思うの?」

 そう問うと、ロリーナはほぼ真上の空を指さす。

 そっちの方向にあったのは、晴れ渡った青空に浮かぶ、太陽。

「わたしの携帯端末のログ確認してみたら、時刻合わせしてる記録があったの。太陽の位置を観測してみたら、巻き戻った様子はなかった。だから宇宙全体までは効果がなくて、限定空間だけの巻き戻しができるものなんだと思う」

「そうなんだね……」

 そんなことがわかっても、レシピアントに取り込まれちゃったキーマを助け出す糸口が見つかるわけじゃない。

 後ろでうなり声を上げてるロリーナに、僕はうつむくことしかできない。無力な僕には、あの巨人に手も足も出そうになかった。

「ロリーナなら、あの巨人を倒せないの?」

「それもたぶん無理。さっきあいつに打ち込んだ攻撃、いまのホウキで出せる最大出力だったんだけど、ちょっと焦げ跡ついた程度だからね」

「カテゴリー六で?」

 そのカテゴリーでの攻撃となれば、戦争で使う兵器レベルの攻撃力を持つ。

 微かに焦げ跡がつくくらいのダメージにしかならなかったんじゃ、レシピアントにまともなダメージを与えるには、カテゴリー八でも足りず、それ以上の威力の魔法が必要かも知れない。

 兵器どころじゃない、超料理生物であるレシピアントを倒す方法は、いまのロリーナにもない。

「もうすぐ魔法少女も集まってくると思うけど、何人いれば倒せるか……。戦いが激しくなったら、その余波で街ごと壊滅しそうだし。それにその前にチャージが終わったら、今度こそネオナカノの最後だよ」

「うん……」

 やはり打つ手がない。

 まだ高笑いを上げている長谷川蓉子を睨みつけながら、僕は何か手がないかと考えを巡らせていた。

「それで、なんだけどさ」

「何?」

「こんなもの、この前もらったでしょ? 克彦がワールドアンドゥの影響を受けなかったのはあの体質だからだと思うんだけど、わたしにも影響がなかったのは、これを持ってたからだと思うんだ」

 そう言ってロリーナがスカートのポケットから取り出したのは、円筒形のスイッチ。

 この前モンスターギュ男爵に会ったときに渡された、謎のスイッチだった。

 たぶん長谷川蓉子がワールドアンドゥを使ったのと同じもので、ロリーナが持ってる奴には「REDO」という文字が書かれていたはずだ。

 ――そうか。これはレドじゃないんだ。リドゥだ!

 いままで気づかなかったけど、僕はそれに思い至る。

 長谷川蓉子が使ったのはワールドアンドゥ。それに対応するものは、アンドゥの打ち消し、リドゥだ。

 たぶん長谷川蓉子が持っているスイッチには「ANDO」と書いてあって、REDOと同じで、ボタンに書かれているのはその効果だったんだ。

「これがいま使えると思うんだけど」

「そうかも知れないけど、それは……」

 渡してきたのがモンスターギュ男爵なんだ、まともに動くかどうかがまず怪しい。

 動いたとして、どれほどの効果があるのかも微妙。

 何より、思った通りの効果があるかどうかが問題だった。

「でもいま、キーマをあの巨人から助けるためには、これしかないと思う」

「そうかも、知れないね……」

「うん。まぁ、案ずるより産むが易し、ってね!」

 自分自身を元気づけるように大きな声で言ったロリーナは、左腕を僕の腰に回して身体を安定させ、右手にスイッチを構えた。

「ワールドリドゥ!!」

 止めるよりも前に、ロリーナはボタンを強く押した。

「うっ」

 途端に再び景色が歪み、頭を抱えたくなるほどの頭痛がし始める。

 さっきとまったく同じに、景色がグニャグニャに歪む、……だけではなかった。

 何かが発したのか、パリパリという電気か何かが走ったような音が聞こえる。

 何だろうと額に手を当てながら周りを見ようとしたとき、景色が戻った。

 急いで空を仰ぐと、レシピアントの姿がなかった。

 そしてレシピアントの足があった場所には、踏みつぶされたはずの研究所が建っていて、穴の空いたコンソールと、キーマたちの水槽が元通りにある。

 レド、ではなく、ワールドリドゥ装置は正しく機能し、長谷川蓉子が使ったワールドアンドゥ装置の効果を打ち消した。

「よしっ! 結果オーライ!」

「うん!」

 後ろから抱きついてきて、肩越しに笑顔を見せてくれるロリーナに、僕も笑みが零れてきていた。

「な……、なんてもの持ってるの? 貴方たち!! せっかくレシピアントが生まれたのに!」

 絨毯から文句の声を飛ばしてくる長谷川蓉子に、今度は僕が勝利の笑みを返す。

 悔しそうに歪められていた彼女の顔は、けれどまた余裕を取り戻す。

「ふっ。でも別にこいつは一回しか使えないものじゃないのよ!」

 そう言った長谷川蓉子は、またワールドアンドゥ装置を構えた。

「ワールドアンドゥ!!」

 三度景色が歪み、激しい頭痛がして、時間が巻き戻る。

「ワールドリドゥ!」

 負けまいと、ロリーナがワールドリドゥ装置を使う。

「アンドゥ!!」

 さらに長谷川蓉子がアンドゥする。

「リドゥ!」

「アンドゥ!」

「リドゥ!!」

「アンドゥ!!」

「リドゥーーーッ!」

「アンドゥーーー!!」

 果てしないアンドゥとリドゥによる合戦が始まった。

 その度に頭痛がする僕は、堪えきれないほどの、切れ間なく繰り返されるそれに頭を抱える。

 ――でも、何かおかしい。

 片手でハンドルをつかんでスカイバイクを安定させ、片手で頭を抱えている僕は考える。

 ロリーナにワールドリドゥ装置を渡したのはモンスターギュ男爵だ。

 ――じゃあ、長谷川蓉子にワールドアンドゥ装置を渡したのは誰だ?

 答えは簡単。モンスターギュ男爵だ。

 それ以外には考えられない。

 それが正解だったとして、問題になるのはその目的だ。

 限られた空間とは言え、時間を巻き戻したり、巻き戻した事実をキャンセルできる装置。それはロリーナの言葉通りなら、カテゴリー一〇クラスの飛んでもない代物。

 そんなものをロリーナと長谷川蓉子に渡したのには必ず理由がある。

 いま、ふたりがここでぶつかっているのは、モンスターギュ男爵が意図した展開だろう。

 ――じゃあこの先、何が起こる?

 僕はそれを想像できない。いまある要素だけでは、判断するための材料が不足している。

「アンドゥ!」

「リドゥ!」

「アンドゥ!!」

「リドゥ!!」

 激しくなっていくアンドゥリドゥ合戦。

 ロリーナも、長谷川蓉子も、顔を赤くしながら装置のボタンを押しまくってる。

「ん?」

 そのとき、僕は気づいた。

 最初にロリーナがリドゥしたときに聞こえた、電気が走るような音。それが激しくなってる。

 それどころか、黒い稲妻のようなものが、アンドゥとリドゥをする度に近くの空間を激しく走ってる。縦横無尽に。

 ――これは、なんだ? 考えるんだ!

 悲鳴を上げてるような胸騒ぎに、僕は自分を叱咤して。頭痛の激しい頭で考える。

「うわっ!」

「克彦! ちゃんとバイクを安定させて!」

 そのとき突然バイクが、一瞬だったけど飛行できなくなった。

 すぐに復帰して飛行は維持できたけど、ほんの一瞬だけエーテルアンプの出力が低下したのが、戻りつつある計器の表示から見て取れた。

「わ、わかった」

 真っ赤な顔に怒りを浮かべて僕を見て頷くロリーナに、頷きを返して考えを再開する。

 ワールドアンドゥとワールドリドゥは、魔術なのか魔法なのかよくわからないけど、カテゴリー一〇クラスの魔導規模。それを発動させるのに使っているのはロリーナと、長谷川蓉子が押さえているカグヤさんの魔法少女レベルの魔法力。

 装置を使う瞬間にふたりの身体から放出される魔導エネルギーは飛んでもない。世界に奇跡を、時間を巻き戻すという現象を起こすほどの強大さ。

 魔法は想いを世界に呼びかけて実現する、奇跡。

 魔術でも規模が大きくなるとそうだけど、カテゴリー一〇なんて飛んでもない強さの魔法は、ロスも大きいと言われている。

 魔法使いから放出されたマナにより活性化したエーテル場は、魔法を使った後もある程度の期間は活性化したままだ。

 そしてワールドアンドゥ装置とワールドリドゥ装置は、装置の形を取ってるけど、それが実現しているのは奇跡、魔法そのものだ。

 あの小さな円柱状のスイッチの中に魔法具レベルのマナジュエルでも入っているのか、それともモンスターギュ男爵が何か細工をして実現してるのかわからないけど、ロリーナと長谷川蓉子が起こしまくってるその効果は、たった一回でも凄まじすぎる奇跡と言える。

 ――もし、極短時間にカテゴリー一〇クラスの魔法を使いまくったとしたら?

 そこまで想像して、僕は恐ろしいことに気づいた。

「ん?」

 頭を抱えてうつむいていた僕は、地上の方にいつの間にか現れていたものを発見した。

 ――そっか。このまま行けば……。

 次の動きを思いついて、僕はロリーナに呼びかける。

「ロリーナ!」

「何よ?! まだ決着がついてないんだから!」

 僕の声でリドゥ装置のボタンを押し損ねたロリーナ。

「ふふふっ。諦めたのかしら? これでレシピアントは再び生まれるわ!」

 残り少ないカウントの間に、僕はこれからのことをロリーナに説明する。

「次、リドゥ装置を使って、その後アンドゥ装置を使われたら、リドゥをせずにぎりぎりまで待って、コンソールを破壊してほしいんだ」

「またアンドゥされるだけでしょ? そんなことして何の意味があるの?!」

「いまここはかなり危険な状態なんだっ。詳しい説明は後だ! いまは僕に従ってくれ!!」

「うっ。わかった」

 僕の勢いに押されて、ロリーナは頷いてくれる。

 またワールドリドゥ装置を構えた彼女は、叫びながらボタンを押し込んだ。

「ワールドリドゥ!」

「懲りないわね! ワールドアンドゥ!!」

 巻き戻った時間がキャンセルされ、そしてまた時間が巻き戻る。

 その間も、空間を引き裂くような黒い稲妻が走っている。それはもう、普通の状態に戻っても、途切れることがなくなっているほどになっていた。

「ロリーナ、構えて!」

「うん!」

 僕のバイクの後ろに座ったまま、ロリーナはホウキを銃のようにして構える。

「いまさら違う状況をつくろうとしたって意味がないのよ!」

 長谷川蓉子の声が聞こえてくるが、僕たちはそれを無視した。

 カウントが残り五になる。

「ふふふっ。こんな世界、全部壊れてしまえばいいのよ! レシピアントに蹂躙されて!!」

 カウント三、二、一。

「きゃーーーーっ!」

「いまだ!!」

 聞こえてきた長谷川蓉子の悲鳴と同時に、ロリーナはカウントがゼロになろうとしている瞬間、コンソールを魔法の光で撃ち抜いた。

「間に合った……」

 かろうじて間に合った装置の破壊。

 長谷川蓉子の方を見ると、絨毯から落ちかけて必死にしがみついているのが見えた。

 カグヤさんはその上空、クッキーを頭に乗せたミシェラさんに抱えられている。

「キーマーーーー!!」

 僕はためらわず、まだ塞がっていないロリーナが開けたエーテルバリアの穴に、スカイバイクを突っ込ませた。

 防御魔術とエーテルバリアがぶつかり、さらにアクセルと、瞬間加速用のジェット噴射まで利用して、強引にバリアを突破する。

 バイクのフロントが潰れてしまったけど、そんなことは気にしていられない。

 バリアを破って研究所の屋上にバイクを着地させた僕は、駆け寄ってキーマが入っている水槽に拳を叩きつけた。

 ヒビが入り、細かな破片となって砕ける水槽。

 流れ出てくる液体に押し流されないよう踏ん張った僕は、一緒に零れ落ちてくるキーマの身体を抱きしめた。

「助け、られた……」

「よかったね、克彦」

 近づいてきたロリーナの笑みに、僕は笑みを返すことができた。

 もう装置は破壊されている。

 カグヤさんの魔法力を利用していたんだろうワールドアンドゥ装置は、ミシェラさんの活躍で使えなくなった。

 これでもうレシピアントは生まれず、ネオナカノの、もしかしたら世界の危機は救われた。

 そして僕は、キーマを救い出すことに成功した。

 これ以上の結果は、僕には必要なかった。

「でもなんで、さっきリドゥを止めたの? ミシェラさんがいるのが見えたからだろうけど、危険な状態って、どういうこと?」

「周りを見てみるといいよ」

 僕の言葉に周りを見回すロリーナ。

 アンドゥリドゥ合戦によって、この辺の空間はおかしなことになっていた。

 装置を使うのを止めたのに、黒い稲妻が走る現象は止まらない。

「これって、どういうこと?」

「僕の推測だけど、いまここにはエーテル場断層が発生してる」

 二五〇年前の世界魔導不大戦に投入されるかも知れなかったという、エーテル場断層弾。

 その原理はいまロリーナが長谷川蓉子とやっていたように、短時間に巨大な魔術や魔法を使いまくることによって、活性化したエーテル場と活性化してないエーテル場を、まるで空間のひび割れのように近い距離で発生させるのが第一段階。

 川や風雨に浸食された深い谷のように、活性と不活性の細かな断層をつくったエーテル場は、そのままなら不安定だけどとくに何も起こらないし、半端な魔術や魔法では変化を起こせない。

 でもある一定以上の魔導エネルギーの変動を発生させることによって、無数のひび割れは連鎖的に、一気に崩壊する。

 そのとき使う魔法や、起こる状況にもよるけど、理論上で考えられていたエーテル場断層弾は、地球の半分を文字通り消し飛ばすほどの威力だったそうだし、崩壊の仕方によってはマナブラックホールが発生する可能性もあると言う。

 いまこの場所は、アンドゥリドゥ合戦によってできたエーテル場断層で、魔導的に恐ろしく危険な状態になってるはずだ。

「……うん。凄いことになってる。あれ以上やってたら、どうなってたかわからなかったかも」

 魔法使いであるロリーナには、いまの状態を僕よりも感じることができるみたいだ。

 さっきまでは頭に血が上っていたんだろう。辺りを見回した彼女の顔は、赤から青へと色を変えている。

「エーテル場断層だったら、放っておけばそのうち正常な状態になると思う。静かにここを出て、早めに帰ろう」

「そうだね。とりあえずわたしたちのやらないといけないことは、終わったみたいだし」

 上空では、ミシェラさんによって長谷川蓉子が取り押さえられてるのが見えた。

 これで事件は、全部終わったんだ。

 意識のないキーマを抱き直して、安らかな息を立ている彼女に、僕は微笑んだ。

 バイクに向かって歩き出そうとしたとき、僕の耳はそれを聞いた。

 革靴の足音を。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る