第26話

 前日、遊歩はちょっとした用事があって魔法世界に泊まることになった。

 翌朝、彼が目を覚ますと枕元にメイドがいた。

「――おい、起きろ、起きないか」

 誰かに起こしてもらうなんて何年ぶりだろう。

 ましてそれが異世界の女騎士だなんて、半年前なら想像もしなかった。

 決戦の後、論功行賞があった。

 敵総大将を討ち取った謎の覆面戦士は正体不明のまま王宮で大臣の地位を与えられ、集団戦で活躍した兵たちには勲章と褒美の食料が送られた。しかし誰よりも高い評価を得たのは、やはり敵陣に突撃して戦局を決定づけた二人――遊歩とカーディナルだった。

 カーディナルはもとより王宮の軍事最高責任者という極位にあったのだが、さらに女王御手製の冠を与えられ、現在のみならず過去と未来においても称賛されるべき英雄へと押し上げられた。

 遊歩のほうは、大使という曖昧な地位に対して実権を付与してやってはどうか、という意見も出たが、現在の女王を通して柔軟な方策を出せるほうが便利であるから、その案は見送られた。また、賞与についても、彼は辞退した。この世界の食料を貰っても正直あまり箸が進まないから――というのが理由なのだが、これが衆目には謙虚の極みと映ったようで、彼の人気はうなぎのぼり。また、女王もなにかしらの褒章は与えなければ示しが付かないので、考え抜いた末、斬新なアイデアが実行された。

 それが一日メイド券だった。

 偉大なる英雄が従者として仕えてくれる。これほどの名誉はない。誇り高いカーディナルがこれを断らなかったのは、女王陛下の御意ということもあるが、それ以上に彼女の負い目のせいだ。遊歩の所持していた分身を自分のせいで失わせてしまった。その埋め合わせがしたい。

 遊歩としても、しかし、そういった負い目につけこむのは本意でない。そこで今日という日を自分の楽しみでなく全体の利益のため使おうと考えた。カーディナルに指示して、ライアを連れてこさせた。

「えー、ちょっとなんなのよー! 疲れてんだからもうしばらく休ませてってばー!」

 ライアは伝令としての働きで今までの窃盗罪が正式に赦免された。現物の報酬がなかったので本人は不満げだったが、引き続き遊歩の部下として王宮に雇用してもらえるという条件も付いたので手を打った。しかし王宮に雇用されている以上は命令に従わねばならない。

「王宮に仕えるからには忠勤を尽くせ」

「アタシはあんたみたいに忠誠心厚くないの」

「ならば心を入れ替えろ」

 この二人で本当に大丈夫だろうか?

 不安になりながらも、遊歩はかねてからの案を実行に移した。

 リニューアル宣伝作戦、ビラ配りである。

 古典的どころか原始的。

 SNSとリスティング広告の時代にこんな手法が効果あるのか――分からない。

 しかしウェブ広告はとかく金がかかるのである。遊歩の手元には豊富な労働力と現物資本はあるが現金は少ない。王宮の魔術師に作らせた広告を仮装させたライアに配らせる、前時代的が精いっぱいだった。

 アルカナにゲートを開いてもらい、地球のオフィスへやってきたところで、エレクトラに声をかけられた。

「私も連れていってもらえませんか?」

 先日の決戦の後、正式にリニューアル作戦が開始して、ARPEGIOは一時休止に入った。リニューアルするにあたって彼女の作業も決して少なくはないので、暇なはずはないのだが、それでも二十四時間三百六十五日ずっとコンピュータに張りついてなければならない生活からは一時的に解放されたので、今こそ外出の絶好機である。

 こうして遊歩たちは四人で秋葉原へ向かった。

 ビラ配りの許可は先日、グレゴアが取っておいてくれたので、指定の場所へ行って仕事を始める。

「俺たちは近くにいるから」

 と言ってどこかへ立ち去った遊歩たちを、カーディナルとライアは恨めし気に睨んだ。

 エレクトラの希望で近くの電機店に入っていろいろと見て回る。遊歩はあまり機械に詳しくないので、スマホを弄っていた。やはりロストしたキャラは戻っていない。

「大使様」

 不意にエレクトラに話しかけられて驚く遊歩。

「な、なに?」

「例の件は聞きました。その――ご愁傷さまです」

「ああ、うん。まあ、仕方ないことだよ」

 自分の判断が甘かったのだ。誰が悪いわけでもない。

 物分かりのいい人間を装っていると、エレクトラが意外な質問を投げかけた。

「大使様は、その――カーディナル様のことがお好きなんですか?」

「はあ!?」

 なぜそう思った。

「だって、なんだか閣下を見る視線に並々ならぬ感情が」

「……マジか。そんなふうに見てたか」

 エレクトラのことを見くびっていた。

 部屋にこもって延々電機と向き合ってるようなタイプだから人間の機微などわからない、と。これでは洞察力に自信のあるアルカナやライアにはなんと思われていることやら。

 遊歩は観念した。

「わかった。正直に話す。だから誤解しないでくれ」

 それはなんの変哲もない話だった。

「俺がARPEGIOのゲームを始めたのは半年ほど前で、新作に片っ端から手をつけてた時期だ。グラフィックがいいから期待してたけどUIもクソだし運営もクソなんでガチャだけ試してやめようと思った。そして回した十連で引いたのがカーディナルだった」

 エレクトラはあまり話を理解できていないようだ。それでもいい。遊歩は続ける。

「試しのガチャでSSRが引けた――最初はそれだけだった。でも、せっかくなので育ててみるうちに愛着がわいた。頼れる強さ、自分を慕ってくれるキャラクター性。気付いたらお気に入りのキャラクターになってて、ゲーム自体も辞められなくなってた。……それだけ。本当にそれだけ。だから魔法世界に行って、カーディナルのオリジナルを見たときは驚いたよ。今でも、複雑な気持ちはある」

 この話を、エレクトラはこう解釈した。

「つまり――大使様にとって、カーディナル様は初恋の人、ということですか?」

「なんでそうなるんだよ。ゲームのキャラが初恋って。しかもいい歳して。さすがに悲しいわ」

「いや。カーディナル様はそこに実在しますが」

「そうだけど――ああ、ややこしいな、あんたらは!」

 こんなやりとりをしていると、外から騒ぎの声が聞こえた。

 急いで戻ってみると、人だかりができていた。ちょうど、カーディナルがビラ配りしていた場所に。人だかりの中から、するするとライアが出てくる。彼女から事情を聞く。さぞ複雑な経緯があるのだろう。

「普通に、美人すぎるから人が集まってきちゃったんだけど」

 あまりにもあっけない原因。

 そういえばそうである。遊歩は最初にアルカナと出会い、異世界に連れ込まれて、常識がすっかり麻痺させられたから意識しなかったが、言われてみればカーディナルもエレクトラも百万に一人、いや億に一人の美人である。魔法世界の容姿の水準が極めて高いというだけのことであるが、それがうっかり地球へ来て、ビラ配りなんてしていたらそりゃこうなる。

「しまった……ライア、カーディナルを連れ戻せるか?」

「無理。アタシ、自分がすりぬけるのは得意だけど、他人までは対象外」

「それじゃあ――」

「本人に切り抜けさせればいいでしょ。おーい、撤収だってー!」

 ライアが声をかけると、群衆の中心からロケットのように人影が飛び出した。ビルの二階の壁を蹴って、遊歩の隣に着地すると、カーディナルは彼を一睨みして走り出した。その速度はやはり人間離れしていて、瞬く間に見失った。結局、この日一日中、カーディナルは遊歩のもとへ戻ってこず、一日メイド券は失効した。

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