第21話

 ヴェルとメメンタールの戦いは均衡状態に入った。

 跳躍して一刀のもとに蛇の頭を切り落とそうとするヴェル。それを柔軟な体で避けて反撃するメメンタール。大蛇は魔法を得意としている。四本の腕からそれぞれ地水火風、全属性の魔法を操る規格外の怪物だ。対するヴェルは大剣による斬撃だけで戦っている。

 空気の刃、無数に降り注ぐ不可視の攻撃をヴェルはまるで最初から来る場所がわかっていたかのように悠々と回避して、相手の懐に飛び込んでいく。地面が隆起し、彼女を捕らえる足枷に変化するが、それも先読みして蹴り飛ばして跳躍する。機動力が失われる空中こそ狙い目と、炎の渦が襲い掛かる。大剣を盾にして炎を防ぎ、着地する。

 必殺の一撃になってもおかしくない攻撃を二重、三重に繰り出しても傷一つ負わせられない。覆面戦士の実力にメメンタールは感嘆していた。精霊側の英雄と言えばカーディナルの名が有名で、もしこの戦いで自分と渡り合える者がいれば彼女だろうと期待していたが、意外な伏兵もあったものだ。この大剣使いの実力は、おそらく噂に聞いているカーディナルのそれを上回る。

「名を聞いておこう、不世出の戦士よ」

「貴様に教える名などない」

 不愛想な返答にも動じない。

 戦場での対話とはこういうものだ。

「ならば通り名でも構わない。貴殿の墓に刻む名が欲しいのだ」

「優勢も決まらないうちから勝った後の心配か」

「対話を楽しむにはそうするしかないのだよ」

 やれやれと頭を振る。

「精霊であれ悪霊であれ、敗北を意識した者はその瞬間からたちまち魅力を失っていく。自信も知性も、話すに値しないほど劣化してしまう。だから私は相手がまだ魅力的な、戦闘の最中において、できるかぎりその本質を知りたいのだ」

「お主という奴は、本当に……。おい、貴様、知り合いから窘められることはないか」

「ふむ? ないわけではないが」

「例えば、ときどきしか会わないが、ものすごく偉くて強い知り合いとか」

「世迷言ならよく聞いている。あれほど無意味なものはない」

 メメンタールは笑う。

「慎重になれだの、仲間を労われだの、言っている本人が誰よりもできていないのだからお笑いだよ。傲慢と孤独を極めた生活をしながら、説教だけは怠らない。見苦しい存在だ、あれは」

「言いたい放題だな」

「ここにいない者に遠慮してもしかたあるまい」

 彼はそういう性格だった。

「あれはもう終わった存在だよ。今や権威だけ。その権威も近い内に剥ぎとられる――他ならぬ、私によってね。私は今日の戦いに勝って、女王アルカナとその居城を滅ぼし、精霊族の抵抗に終止符を打つ。そして精霊族の遺産を糧に、まずは近隣諸族の同胞も攻め落とし、新たな帝国を築くのだ」

「壮大な野望だな――壮大すぎる」

「小さかったら野望とは言わないだろう」

「身の丈を考えろ、と言っておるんじゃ。図体と野心ばかりデカくなりおって」

「なんだ。まるで私の知り合いみたいな口振りだな」

「……気のせいだろう」

「ああ、そうだな。貴殿は戦場に出てきている。それだけ、あのロリコンチビゴミムシよりはよっぽど立派だ」

「うわ、マジで言いおった。マジで言いおったぞこいつ」

 覆面戦士が驚いているのにメメンタールは気づかない。

 彼はもう相手に対する繊細な注意などやめていた。そんなものが必要ない、圧倒的な全力で押しつぶすことに決めたのだ。四本の腕から放たれる四属性の魔法。それを別々に扱うのではなく統一して発射する。

「さあ、ここからが本番だ。もうすこしは遊ばせてくれよ」

 青白い閃光が小さな体に襲いかかる。

 一方、軍勢と軍勢の戦いも転機を迎えていた。

 悪霊軍はついに現実を認めた。被害なく勝つことは不可能だ。多少の損害は覚悟しなければ、それこそ消耗するだけ。方針を転換して、大胆な用兵を決断する。それまで後方から援護射撃に徹していた支援部隊を川の中へと進ませた。

 精霊軍からすれば、それは一見すると好機だった。遠くから牽制してくるだけだった相手がこちらの攻撃が届くところまで近づいてきてくれたのだから。しかし、すぐにそれが危機的な展開であることに兵たちの多くが気付いた。第一に、射撃の対象が二つに分かれてしまう。敵の本隊と支援部隊、どちらを攻撃したらいいのか。第二に、正面の敵本隊と左斜めから来る支援部隊。このままでは二面から攻撃されることになる。最悪の場合、包囲されてしまう可能性すらある。

 アルカナはこの事態に対処しなかった。前方から来る敵を食い止めることに専念して、接近してくる支援部隊には注意を払わない。もしこの戦いが精霊軍の敗北で終わったとしたら、決定的な敗因はこのとき、アルカナの判断にあると後世の批評家は考えるだろう。戦場ではしばしば、情報の不足や疲労と混乱によって、歴戦の将軍でも初歩的な失敗を犯す。だが、このときのアルカナに関して言えば、その判断はそういう事例とは異なっていた。

 悪霊の支援部隊がいよいよ精霊軍へ近づいてきたそのとき、精霊軍の隊列から二つの影が飛び出した。支援部隊の最前列にいた悪霊は、こちらへ向かってくる二つの影を侮り、無造作に攻撃した。それでは到底、止められるはずがなかった。

 悪霊の群れが、突然、炎上した。

 運よく攻撃を免れた雑兵もどこからともなく現れた五人の戦士に殲滅される。隊列から飛び出した二つの影。その正体がようやく戦場に知れ渡った。

 炎熱の騎士カーディナルと異世界から来た大使。

 二名の活躍は戦局を一変させた。

 前傾態勢をとっていた悪霊軍支援部隊は一点突破に対して集団で対抗することができない。カーディナルと遊歩が突き進んでいくのを止められない。悪霊軍の主力部隊も、精霊軍の部隊から激しく抵抗を受けている最中なので、ここで後退すれば混乱と追撃による大被害が避けられない。

 カーディナルとヴェルの練り上げた戦術が完璧に決まった。

 精霊側の皆が、誰よりも立案者であり実行の要であるカーディナルが確信した。勝利は目前だ――そのせいで油断や慢心がなかったと言えば嘘になる。しかし、仮に冷静かつ最大限の警戒を怠らなかったとしても、その事態は防げなかった。

 不意に離れた場所から攻撃が飛んできた。攻撃はカーディナルに命中したが、ほとんどダメージを与えない。それでも彼女を戦慄させるには十分な効果があった。

 交戦中の悪霊軍団は火属性を主体として構成されている。カーディナルは火属性で相性は互角、雑兵が相手なら実力差と技術で圧倒できる。なにより、彼女の役目は実のところ先行して先制することであって、悪霊の撃破は大部分が後続する遊歩の手柄だった。彼は予めヴェルから敵軍の編成を聞いて、火属性に強い水属性のパーティでこの決戦に望んでいた。

 ところが死角から土属性の攻撃が飛んできた。それが意味するのは最悪の事態。カーディナルがそちらを振り向くと、数百メートル先から、悪霊の軍勢が接近していた。

 敵の援軍だ。

「……嘘だろ?」

 遊歩が愕然とする。

 増援の数自体はそれほど多くない。問題はタイミングと位置だ。

 ちょうど敵遊軍を突破しようとしていた遊歩とカーディナルの進路を阻むように援軍が出てきた。これを無視して敵本隊を叩こうとすれば遊歩たち自身が挟み撃ちをくらってしまう。しかし援軍を正面突破するには時間が足りない。

 決断の時。

 カーディナルは勝利を優先した。

「大使殿、ここは二手に分かれるぞ」

 その判断は的確かつ冷静なものだった。

「私は敵増援を相手しつつ本隊を攪乱する。大使殿はこのまま敵本隊の背後を通過し、側面から攻撃をしかけてくれ」

 これしかない、という策だ。

 敵増援を放置することはできない。だからといってこの場にとどまれば遊歩たちが包囲されてしまう。ならば一人が敵増援を足止め、もう一人が包囲を脱出して当初の目的、敵主力の撃破を行う。ただし、これは捨て石戦術だった。足止めを担当する者に命の保障はない。

「駄目だ。死ぬ気か、あんた」

「大使殿は敵増援との相性が悪い。ここに残れば容易に撃破されてしまうだろう。だが私なら敵本隊とも増援とも互角に戦える。さらに言えば大使殿は敵本隊とは相性がいい。敵軍を壊滅させるという目標を達成するには、大使殿のほうが適している」

 彼女の言っていることは正しく、ゆえに非情だ。

 反論の余地がない。

 そして、このまま躊躇っていては状況はより悪化する。

 遊歩にも決断が求められた。

 彼に言えるのは、こんなありふれた言葉だけだった。

「……死ぬなよ」

「当然だ」

 戦場は佳境へと突入する。

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