第20話
女王アルカナの本拠ゾディアック城から東へ半日ほど歩いたところに川がある。
リニューアル作戦に伴って戦線が縮小される中で、唯一、兵力を投じて新たに奪取されたのが、その川と周辺の土地だった。縮小した領土を守るために不可欠な要衝。当然、悪霊の側もそれを理解している。そこが決戦の地になるのは必然であった。
城内は朝から慌ただしく動いていた。
非番や老人まで根こそぎ集められて結成された予備隊は、万が一に備えて、城の守りを固める。決戦に挑むはアルカナ率いるおよそ千の兵と、大騎士カーディナルそして大使殿と謎の覆面戦士。
覆面戦士の存在は兵たちの注目を集めたが、目前に強大な敵との決戦を控え、味方になってくれるならなんでもいい、という風潮によってさして追求されずに済んだ。女王や大使が身元を保証したのも大きかった。
「お主からして得体のしれない術を使う怪しげな小僧じゃしな」
ヴェルが遊歩を冷やかす。
二人は隊列からすこし離れて行軍していた。
「その『すまーとほん』には何十もの精霊が入っておるのじゃろう? ならばお主一人で戦争もできそうなんじゃがな」
「確かにストックは何十、百人以上いますけど、一度に使える数は限られてるんですよ」
「そうなのか?」
「召喚できるのは編成した五人だけで、一度召喚してしまったら、王宮に戻るまで編成を切り替えることはできない。だから実戦で使えるのは五人までと思ってください」
「なるほど。それでは心許ないな。五峰将でも揃ってれば話は違うが」
「なんですかそれ」
「知らんか。二百五十年くらい前じゃったかな。朕が気まぐれに西のほうで暴れておった頃、挑んできた将軍たちで、なかなか骨のある連中じゃった。幾度となく戦ったよ。指揮官としても優れていたが、なにより一人ひとりが強かった。五人全員揃ったときは、朕もさすがに苦戦したわ」
「でも、勝ったんでしょう?」
そうでなければ今ここにはいない。
「まあな。しかし朕をあそこまで手こずらせた者は数少ない。あの五人だけでも、一軍に匹敵する戦力じゃったと言えよう」
「……そんな相手に勝てるのであれば、あなたが一人で今の事態を解決できるのでは?」
いまさらながら遊歩は当然の疑問をぶつけてみた。
「そりゃ無理じゃよ。いや、可能なんじゃが、根底が崩れる。朕はあくまで魔王。お主らの手助けしていることは隠さねばならん。朕が精霊側に加担しているとわかれば、停戦命令など誰もまともに聞かなくなる。じゃが大軍の相手をするにはさすがに朕も魔王らしい力を使わねば手数が足りん。じゃから雑兵の相手はお主らに任せる」
そういうことであればしかたない。
ヴェルには彼女の役目、敵の指揮官、メメンタールの撃破に専念してもらおう。
決戦予定地が近づくにつれ、兵士たちの緊張感も高まってきた。ヴェルと別れ、カーディナルに合流する。ここまで兵の指揮は彼女が執ってきたが、ここでアルカナに任せ、遊歩とカーディナルは遊軍となる。
「それでは、陛下。ここからはお願いします」
「はい。くれぐれも無理はしないでくださいね」
「陛下こそ、なによりも御自身を優先してくださいませ」
アルカナが陣頭に立つと、兵士たちの士気もさらに増した。
カーディナルはそれを複雑な表情で見ていた。嫉妬ではない。不安だ。
「私が力不足なばかりに、陛下を戦場に連れ出してしまった」
「うまくいけば、女王様が戦場に立つのもこれが最後だ」
遊歩はあまり深く考えずに励ましたのだが、カーディナルはこれに痛く感銘を受けた。
「……そうだな。今日という日が陛下にとって――そして兵たちの少なからぬ者にとって、命をかけて戦った最後の経験になるよう、私は願っている。私はそのために戦う」
いよいよ目的地に着いた。
敵軍はまだ到着していない。斥候によればあと二時間ほどで到着するペースらしい。川辺には地形を活かした陣地と防柵が築かれているが、怪物と魔法が飛び交う戦場においてこういうものがどれだけ有効なのかちょっと想像がつかない。兵士たちがそれを頼りにしているのも、実用性があるのか、それとも心情として縋るものが欲しいからなのか。川の水位は浅く、渡河そのものは難しくないが、流れが速いので走って渡ろうとすると危険だ。戦闘中にのんびり歩いてはいられないので、実は厄介である。
戦場の地形を把握して、陣形も整えて、あとは敵を迎え撃つだけ。
早めに到着したのはもちろん正しい判断なのだが、こうして待つ時間が生まれてしまうのはネックだ。ある者は緊張感が途切れ、ある者は過剰な緊張で披露してしまう。カーディナルのように適正な緊張感を維持できたり、ヴェルのようにもともと緊張もなにもないというのは特殊なケースだった。
敵軍の登場はおおよそ斥候の報告通り。
布陣もヴェルのアドバイスどおりだった。総数は精霊側のおよそ三倍。左翼に主力部隊を配置、中央に支援部隊が待機そして右翼に総大将メメンタールが単騎で陣取る。これが彼らの必勝戦術なのだ
メメンタールは巨大な蛇の化け物だった。身体は蛇だが手足が付いている。胴体の下部に太い足が二本、中部に腕が数本。竜と言えば言えなくもないのだが、顔付きや全体的な雰囲気がして、どちらかと言えばやはり蛇であった。
両軍が戦場に揃っても、すぐに戦いが始まるわけではない。
しばらく睨み合いが続いた。
悪霊の側はこちらの戦力を図りかねているらしい。アルカナとカーディナルの強さはおおよそ知られているが、最近現れたばかりの大使と、そもそも今日初めて存在を知った謎の覆面戦士については警戒を要する。とりわけ覆面戦士は本隊と離れて一人、メメンタールと対峙する位置に立っている。一騎打ちを求める布陣だ。挑発的ですらある。メメンタール本人はまさか精霊側に魔王が参謀しているとは想像もしないので、相手が自分の性格を知り尽くして布陣しているとも思わなかった。彼は極めてプライドの高い男だ。プライドのため明らかな罠に飛びこんでいくほど愚かではなかったが、勝敗に影響のない限りではまず自分の意地を通すことを優先した。だからこの日も精霊側の戦術に対して、真っ向勝負をしかけることに決めた。
数手先まで見据えた指示が周知され、悪霊側から戦闘が始まった。
支援部隊が前に出て射撃をかけ、精霊側を牽制する。その隙に悪霊の主力部隊を渡河を試みるが、これらはすべて陽動であった。本命はただ一人、総大将メメンタールである。
メメンタールは風のような速さで川を渡り切り、精霊軍主力部隊の側面を襲おうと突進する。それを阻んだのは当然、謎の覆面戦士――魔王ヴェルであった。小さな体躯に似合わぬ大剣を振り回し、メメンタールの胴を背後から一撃で両断しようとする。
覆面戦士がハッタリである可能性も低くない――とメメンタールは考えていた。自分と一対一で戦える者など限られている。それだけの豪傑が精霊側にいるなら、とっくに有名になっているはずだ。戦場にカーディナルの姿が見えないが、体型から考えて覆面戦士は彼女ではない。だが現実には無名の猛者が眼前にいる。
「なるほど……思ったよりは楽しめそうだ」
大蛇は舌なめずりしながら獲物を見据えた。
その頃、戦場の反対側ではもう一つの戦いが始まっていた。
こちらは軍勢と軍勢の戦いである。
渡河を試みる悪霊軍とそれを阻止する精霊軍。戦力では圧倒的に悪霊が有利だ。悪霊の雑兵よりは精霊の兵士のほうが強いが、精霊の兵士二人がかりでも苦戦する中型の悪霊だけでも、精霊軍全体と同じくらい多い。なんとか持ちこたえているのは地の理と、精霊側の指揮官、アルカナの力によるところが大きかった。
「女王陛下万歳!」
戦闘の最中でもいたるところで喝采が上がる。それは兵たちが自らを鼓舞し、仲間を励ますためでもあったが、同時に彼女がそれだけの活躍をしているからでもあった。
アルカナは傑出した魔法使いだ。
昼も夜も、この戦闘中ですら、彼女はアルペジオ計画に必要な究極魔法を維持している。一度止めてしまったら次に発動するまで数年を要する奥義を中断することはできない。そのために能力の九割以上が割かれ、満足に戦えないとしても。それでもなお、彼女の魔力は悪霊たちに相当の脅威を与えていた。
突出した大型の悪霊。精霊兵士たちが弓を射かけても止まらない。そこに石礫が降り注いで、悪霊は跡形もとどめず撃破される。こんなことが何度も繰り返された。女王陛下万歳はその度に喝采されていたのだ。
しかしアルカナにももちろん悪霊軍すべてを倒すだけの魔力はない。あくまで決着は全体の動き、戦略の成否にかかっている。
「頼みますよ、カーディナル、ユーホ」
けたたましい戦場の中で、誰にも聞かれぬよう、女王は呟いた。
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