第四章

第19話

 東京は世界で最も大きな都市である。

 先進性、経済力、人口密度で言えばもっと上があるかもしれないが、規模という点では間違いなく最高であろう。二十世紀後半の高度経済成長期に際限なく続けられた人口増加と郊外開発の結果、都市と都市がいくつも隣接している、とでも言うべき未曾有のメガロポリスが成立した。

 高度に発達した工業社会においても類稀なる巨大都市は、もちろん、魔法と危機の世界に生きている彼女らにとって目を疑うような場所だった。

 平日のやや混雑した京浜東北線。遊歩とアルカナとヴェルそしてライアは目的地に向けて電車に揺られていた。

「これ、一体どこまで続いているのよ……」

 建ち並ぶビル群にライアは圧倒される。アルカナは何度もこちら側に来ているのでもう慣れたようだし、ヴェルもさすがは魔王と呼ばれるだけあって些細なことでは動じない。ライアだけが、あまり妙なことはするな、と遊歩に言われているにもかかわらず窓に張りついて流れゆく景色に息をのんでいた。

 目的地にはさらにまたライアを驚かせる風景が広がっていた。

 右にも左にも建ち並ぶビルディング――それ自体は東京都心では珍しいものではない。その街が特殊だったのは通りに面したウィンドウに、ビルの上階に設置された宣伝パネルに、アニメやゲームの広告がこれでもかと掲げられていることだった。

「そういえば最近は来てなかったなあ、秋葉原」

 この街は変わった、とよく言われる街だ。秋葉原は。

 それでもここ十年くらいはかれこれ安定しているのではないか。観光客は増えたが、オフィスがあって、イベント会場があって、ショップがある。基本的な構造は安定しているように見える。それ以前の流動的な状態こそおかしかった、と言えばそうなのだが。

「おい、あの小娘をなんとかせい。こっちまで落ち着かんわ」

 ヴェルの苦情もごもっとも、ライアはいよいよ挙動不審が極まって、今にも警察沙汰になるのでは、というほどだ。しかしアルカナが落ち着かせてくれたので一安心。遊歩は曖昧な記憶を頼りに目当ての店を探すことにした。

「しかしなんとも猥雑な街じゃな」

 態度には出さないが、さすがの魔王も無感動というわけではないらしい。

「欲望と芸術性のカオス……とでも言おうか。我ら悪霊族もそういうところがあるが、地球人は極めて大きな自己矛盾を抱えながら、それに耐えて存在しておる。放埓と節制、従順と反逆、懐古と刷新。相反する道を同時に進み、それが一つの現実を作り出す……この街はそんな人間存在の本質を感じさせる」

「アキバに来てそんなことを考えるのはあなたくらいですよ」

 この街にいる人間はだいたいなんも考えていない。

 楽しければいい。かわいければいい。エロければいい。心と下半身で物事を判断している。だから不景気でもじゃぶじゃぶと金を落とす。中毒的に歯止めが効かない。オタクとは悲劇的な生き物である。だからこそ文化を生み出す。

 数分歩いて、やっと探していた店を見つけた。

「こすぷれしょっぷ?」

 魔王が首をかしげる。遊歩が魔法世界の言葉を理解できたり、アルカナたちが遊歩の言葉を理解できたりするのは翻訳魔法のおかげだ。ヴェルも日本語が読める。しかし意味までは解釈されないようだ。

 店内に入ると今まで唯一落ち着いていたアルカナが前に出てきた。

「見たこともないような衣装がたくさん……!」

 ヴェルやライアも目移りしている。普通の服屋でこんな振舞いしていたら顰蹙を買いそうだが秋葉原は自由の街だ。多少、変な奴がいてもスルーされる。ましてアルカナたちは見た目が外人のようなので――定義的にも異世界人は外人に含まれるのかもしれないが――観光客がはしゃいでいる、という最近ありがちな光景として無視されているのかもしれない。

 四人はそれぞれに面白そうな衣装を探しだした。ただし動機が一人と三人で異なっていた。ライアは純粋に目新しい衣装を、そして他の三人はライアに着せるための衣装を探した。

「うわー、なんかイイ……」

 ライアが手に取ったのは大正ロマンをテーマにした作品のコスプレだった。桜花をあしらったデザインが――彼女は桜というものを見たことなかったが――不思議で斬新に映った。

 今、着ている服は――さすがに魔法世界で着ている世界で秋葉原を歩けないので――遊歩がユニクロで適当に調達してきたものだ。機能性には問題ないがいかんせん味気ない。泥にまみれて暮らす盗賊少女にも華やかなものに惹かれる心は存在するのである。

 健気な憧れに浸る少女の背後に、薄汚れた大人の影が迫っていた。

「ちょっといいか」

「なに?」

 振り向いたライアは遊歩の持っている服に目を引かれた。

 黒と白のシンプルな配色。自分が普段着ている服よりもよほど地味だ。それなのになぜか軽快な印象を与える。もちろん彼女は知らなかったが、それはメイド服と呼ばれるコスチュームだった。

「とりあえず、これを着てみてくれ」

「んー、いいよ。ちょっと待ってて」

 あっさりと承諾されたので、遊歩は肩透かしをくらった。

 ライアの試着中にヴェルも自分のアイデアを持って戻ってきた。

「ふむ、看板娘を口説き落とすのはうまくいったようじゃな」

「説得するまでもなかった。なぜかあいつが進んで着てくれたんです」

「殊勝な心掛けじゃの。それなら今後のことも頼もしいわ」

「リニューアルの宣伝用コスチュームってこと、ちゃんと説明したほうがいいですかね」

「どちらにせよ断るという選択肢はない。本人が楽しくやってるうちは黙っておけ」

 数分してライアが着替えて試着室から出てきた。

「ど、どうかな?」

「むっ、これはどうしてなかなか……」

「似合ってるな」

 実を言うと、予想外だった。

 遊歩がメイド服を選んだのは、これから控えているARPEGIOのリニューアルオープン、その宣伝をするとき彼女に着せるコスチュームとして、内容的にふさわしいからだった。広告塔はとりあえずメイド。鉄板、常識。あくまで服のほうを優先して選んだのであって、ライアに似合うかどうかは別問題、むしろ粗野な娘にメイド服は似合わないだろうと思っていた。しかし考えてみればメイドというのは、本来、下層階級の人間が上流階級に仕えるための衣装であり、貧しい盗賊から王宮務めに転身した彼女はまさにぴったりの人材とも言える。

 スカート丈の長いクラシカルなメイド服はライアにとっても親しみやすいものだった。見たこともない衣装だがなぜかしっくりくる。露出も控えめで清潔。多少、動きづらさはあるものの、天性の柔軟性と俊敏性を持つ彼女にとって順応は容易だ。この服のまま城壁を登ったり堀を飛び越えたりだってできる。

「意外といい趣味してんのね、アンタ」

 ライアが笑顔を作ってみせると、不覚にも遊歩は一瞬ときめいた。やっぱりメイドはいいものだ。他に候補がなければ宣伝コスはこれでいこう。決定。

 次はヴェルが提案する。

「朕のオススメはこれじゃ!」

「なにそれ」

「わからん!」

 魔法世界出身の二人が首をかしげるその衣装は、なるほど、日本で暮らしていなければ確かにわからないだろうものだった。日曜朝にやっている女児向けアニメの主人公の変身コスチューム。原色を大胆に使った子供が好みそうな派手なデザインだ。

「じゃが、なんかいい!」

「だったら自分で着たら?」

「アホぬかせ。他人に着せたいのであって自分では着たくないわ」

 傍若無人な物言いだが魔王なのでしかたない。

 ライアも諦めて、一着だけなら、ということで従ってやる。

「真面目に考えました? これ宣伝用の衣装選んでるんですけど」

「考えたぞ。朕の心にビビっと来たやつを選べばいいんじゃろ?」

「商売には100%向いてないタイプだな……」

 彼女の魔王らしからぬ寛容さは他人に対する粗雑さと裏返しのようだ。

 味方でいるかぎりは、とりあえず、善い傾向だと考えておこう。

 変身して出てきたライア。今度はいくらか歯切れが悪かった。

「これはなんか……おかしくない……?」

 ヴェルも腕組みしてうなる。

「うーむ」

 ギリギリだな。

 遊歩は内心そう思ったがもちろん黙っておく。

 ライアの外見年齢は十五歳くらいだ。変身ヒロインアニメの主人公はだいたい小学校高学年から中学二年生まで、仲間の中に先輩枠でときどき中三がいたりする。だからライアの外見だとギリギリだ。彼女がもっとテンション上げてくれればあるいは違和感も減るのかもしれないが、素人にそれを要求するのは酷というものだろう。

 感想を求められないよう、遊歩は視線を逸らした。

 一方、ヴェルはばっさり行った。

「駄目じゃな。育ちすぎておる。似合わんわ」

「あんたが着せたんでしょーが!」

 シャっとカーテンを閉めてライアはすぐにコスチュームを脱ぎ始めた。遊歩はなんとか難所を凌いでほっとする。だが試着室の中から声がした。

「それと目を逸らしてた奴、アタシ気付いてるからね」

 うおっ、怖。

 安易な手段に走ったことを後悔する遊歩だった。

 ライアが普通の服装に戻って出てきたところで、ようやく最後の一人がやってきた。

「ライアさん、私もいいですか?」

「は、はいっ!」

 女王に名前を呼ばれてライアも背筋が伸びる。

 一部の者たちみたいに熱心ではないが、彼女にも女王を敬う気持ちはそれなりに存在する。王宮へ盗みに入るという不敬を犯したも、女王はしょせん自分の生活に関係ないし、自分の生活には代えられない、という諦めがあったからこその所業であって、こうして直に声をかけられれば膝をついたほうがいいのかと悩むくらいには畏敬している。

 なので――

「まずはこの服を着ていただきたいのですが」

 と言われれば無抵抗で従った。たとえそれが角度のエグいバニー服であっても。

 試着中。

「えっこれどうやって着るの……」

 そして着替え終わっても彼女は出てこなかった。

「どうかしましたか」

「いえ、その、これは人前で着る服ではないのでは?」

「そんなことありませんよ。それは権力者や大富豪が集まる優雅な社交場に仕える、選ばれた召使いの衣装なのです。ですからあなたも堂々と胸を張ってください」

「胸を張るっていうか……こぼれる……」

 さらに数分待って、ようやくライアが出てきた。

 遊歩は判断に困った。

 宣伝用コスチュームとして、これは有効だろうか。人目を引く、という点では大成功するだろう。普段の服装のせいで、それに身軽な動きのせいで気付かれにくいが、ライアは意外と起伏のある体型をしている。バニー服に求められる条件は満たしている。なおかつ若い。このまま外に出れば写真撮られまくること間違いなし、注目度抜群の出来栄えだ。しかしこれはあまりにも……

「卑猥じゃな」

 またもヴェルがばっさり行った。

「なんじゃこの服は。欲望が露骨すぎじゃろ、さすがに」

「そうですか? 文化的な服装のはずなのですが」

 魔王と女王がのんきに話している間に、ライアはまたカーテンを閉めて試着室に引きこもってしまった。

「ごめんなさい女王様! やっぱ無理、アタシにこれは無理です!」

 涙混じりに訴える少女に、女王は励ましの言葉をかける。

「そんなことありません。とても似合っています。ユーホもそう思いますよね?」

 いや、こっちに振るなよ。

 さすがにこの流れで、別に全然似合ってねーし、なんて言えるはずもない。

「あ、ああ。俺もいいと思うぞ。嫌いじゃない」

「そりゃあ大使殿は男じゃもん」

「――このクズっ、下半身、信じらんない!」

 えぇ……なにこの展開……。

 遊歩がとんだとばっちりを受けて、衣装探しは終了した。

 アルカナのたっての希望で、またライアの機嫌を直すため、四人はそれから飲食店へ向かった。秋葉原におしゃれなレストランなどは期待できないが、庶民的な店ならいろいろな選択肢がある。アルカナが望み、遊歩が選んだのはハンバーガーだった。

「変なにおいがする」

 店に入るなりライアが言った。

 魔法世界はだいたい中世か近世みたいな感じなので食事は味が薄い。遊歩ができるだけ地球に戻ってくるのも、そのせいだった。正直に言って、魔法世界の食事を何日も食べ続けるのは勘弁願いたい。その魔法世界で――しかも庶民の質素な食生活で育ち暮らしているライアには、現代人が意識しない香りも、はっきりと認識された。

「これ大丈夫な店なのかな。おかしいもの食べさせようとしてない……?」

「ハンバーガーはとても一般的な料理です。地球では毎日のように食べられているとか。そうですよね、ユーホ?」

「えっ、はい。まあ、そうです」

 ファストフードを毎日食べていたら死ぬらしいけど。

 そういえば原始的な生活をしている人間に保存料まみれの食糧を食べさせたら体調を崩した、という話を聞いたことがある。ライアはいきなりハンバーガーとか食べて大丈夫なのだろうか。まあ、ここには女王と魔王がいるのだ。いざとなったら魔法でなんとかするだろう。

 席に座って数分ほどで注文の品が来た。ライアが最も感動したのはここだった。

「速すぎるわ。きっと魔法ね。でも食べ物を作る魔法なんて聞いたことない」

 遊歩は訂正しようとしたがヴェルに止められる。

「喜んでるんだから喜ばせとけ」

「ですが」

「やれやれ。お主、女の扱いがわかっとらんな」

 そう言われると黙るしかない。

 塩辛いフライドポテトと濃厚なソースが挟まれたハンバーガー。遊歩にとっては慣れ親しんだ味だが、アルカナにとっては珍味であり、ライアやヴェルにとっては未経験の味だった。

「うっ」

「これは……!」

 一瞬、硬直。それからライアとヴェルは黙々と食べだした。不評ではないらしい。

 食べ終わると、まずアルカナが口を開いた。

「どうですか、ライア。地球に来た感想は」

「えっと、その」

 女王の御前、下手なことは言えない

 だが今回についてはただ感じたことを素直に言えば十分なのだった。

「楽しかったです。びっくりするようなもの、よくわからないもの、楽しいものがたくさん見れて――こんな世界があるんですね」

「そうですよ。喜んでもらえたならよかった」

 アルカナは幸せそうにうなずく。

「カーディナルとエレクトラも連れてきてあげたいですね」

「次があるとしたら、決戦の後になるな」

 ヴェルは顔色一つ変えずに言う。

「呑気に観光などできる状態ならいいが」

 遊歩とライアの表情が強張る。

 発令から数日を経て、魔王の名による停戦命令は悪霊側にほとんど行き渡っていた。

 だが案の定、それを無視する一派が現れた。首領の名は、ヴェルの予想通り、若き指導者メメンタール。停戦を前提に部隊配備の再編を進める王宮側に対し、メメンタールはその隙を突くべく行軍を開始した。もはや衝突は避けられない。決戦はまさに明日か明後日か、という情勢であった。

 そのような現実を誰よりも知っていながら、アルカナは微笑みを絶やさない。

「勝ちますよ、私たちは」

 ファストフード店の片隅という、威厳もなにもない場所。そこにあって、なお神聖さすら感じさせる女王の言葉はまるで神託のように聞こえた。

「勝って、皆でお祝いをしましょう。その時を、私は今から楽しみにしています」

 ヴェルも不敵な笑みを浮かべて答える。

「勝つのは当然よ。朕がおるのだからな。あとはお主らが生き残れるか、じゃ」

 これから控える戦いは最終目標ではない。

 戦いに勝ち、悪霊を後退させ、アルペジオ計画をリニューアルする。

 決戦はあくまで通過点でしかないのだ。

 ならばそこで躓くわけにはいかない。

 完全な勝利を掴んでみせる。

 口には出さなかったが、誰よりも強気に、遊歩はそう己に誓った。

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