第17話
遊歩は死を覚悟した。
外見が幼女でも関係ない。相手は魔王なのだ。この城から逃げ切れるとしたら、それは魔王に一撃入れて態勢を建て直す前に脱出するしかなかった。だが現状はまったく反対だ。自分が魔王の罠にかかってしまった。
それでも選択肢は残されていた。
無抵抗で死ぬか、戦って死ぬか。
選ぶまでもない。
遊歩はスマホを握りしめた。
「おい、勘違いするでない」
しかし魔王は鷹揚に彼を宥めた。
「朕は戦うつもりなどまるでないぞ。ほれ、そのへんに座るがよい、大使よ」
ひらひらと手を振って無害さをアピールする魔王。彼女に指示されるまま、ベッドに腰かける。まだ警戒は解いていない。だが、これは――
「いやあ……久々に客が来たのでちょっとからかってやろうと思ったのじゃが……まさかお主だとは思わなんだ。この城の結界は古くてな。侵入者の人数は特定できても個人は特定できんのじゃ」
魔王がひょいひょいと手を振ると、ティーセットが廊下から飛んできた。ひとりでに紅茶が注がれ、遊歩の手に舞い降りる。魔王も椅子を取り出し、紅茶を持って座る。
「だがあの甲冑を破壊したのは褒めてやる。所詮は操り人形に過ぎんが、それでも並みの達人では傷一つつけられん代物。あそこまで徹底的に粉砕するとは大した実力だ」
今度はクッキーが遊歩の手に飛びこんだ。
「褒美だ。ありがたく受け取れ」
遊歩は場の空気を読んで、素直にクッキーを食べた。正解だったらしい。魔王はニコニコしている。紅茶も飲む。魔王は機嫌がいい。笑顔のままたずねた。
「それで、今日は誰の指図でここに来た?」
巧妙に隠された殺気――それは彼女がやはり魔王であること、幼女の外見をしていても歴戦の経験と知恵を持った支配者であることを感じさせた。遊歩がその殺気に気付けたのは、ここのところ、アルカナという熟達した女王と共にいたからだろう。そういう技術に対して敏感になっていた。
答えを間違えたら殺される――いや、どちらにしても殺されるのか?
黒幕らしい名前を吐けば許してやる。そんな寛大さを発揮する必要が、魔王と呼ばれる人物に必要だろうか。どちらにしても殺されるなら正直に、他に累が及ばないようにする。それが無謀な賭けに打って出た人間の責任というものだ。
「俺自身の判断だ。あんたを殺せればこの世界が救えると思った」
すると魔王はますます機嫌がよくなって――今度は殺気を隠すための見せかけではなく、本当に楽しそうに
「おお、そうかそうか。自分の判断で殺しに来たか。それは善い。実に結構」
などと言った。
「お主は男の子だしな。それくらい腕白でなくては、むしろ将来が不安というもの。いやあ、この退屈な時世、気骨のある若者に会えて朕は嬉しい!」
「あの……」
「なんじゃ」
「殺しに来たこと自体はセーフなんですか?」
「そう言っておるじゃろう」
魔王はさも当然という態度。
ではさっきの殺気はなんだったのだ。
「もし、あの女王の命で来たとぬかしおったら殺しとったがな」
なるほど。
大悪党にありがちな美学だ。味方であれ敵であれ、仲間を売る卑怯者は殺し、矜持ある行動した勇者は生かす。この魔王もそういう類――ではなかった。
「あの鬼畜女王め……まさか異界の若者をたらしこんで刺客に送ってきたかと思い、そうだったら今度こそ決着つけねばならんと覚悟したわ」
あ、もしかして
「魔王さんは」
「ヴェルでいい。朕のことを知っとる者は皆そう呼ぶ」
「ヴェルさんは、その――女王様がお嫌いで?」
「だあぁぁっっいきらいじゃあ、あんな横暴悪魔!!」
悪魔って。
あんたこそ魔王じゃないのか。
遊歩はぐっと堪えた。
「なんか……あったんですか?」
「あったもなにも……朕と奴の関係はそれはもう……一夜には語り尽くせぬほどでな。とにかくいろいろあったが、一言にまとめると、うむ。あいつが悪い!」
なにもわからなかった。
ヴェルがアルカナに強烈な敵意を持っていることだけはわかったが。
「まあとにかく、そういうことじゃ。お主が悪辣女王の指図で来たのでなければそれでいい。城の外でうろちょろしている小娘も見逃してやる。用事が済んだのなら一休みして帰るがよい」
ライア……まだ逃げてなかったのか……。
妙な感動を覚えながら、遊歩はしかし不審な点も見つけた。
この魔王、寛大すぎないか?
魔法世界は、今、猛烈な征服の最中にある。悪霊による全面的な侵略。その元締めであるはずの魔王が、居城に侵入した賊を、あっさり許してしまう。噛み合っていない。遊歩はおそるおそるたずねた。
「一つ質問いいでしょうか」
「おお、まだ話したいことがあるのか。いいぞ、なんでも聞け」
「俺はあなたがかなり冷酷な性格だと想像していたんですが、こうして話してみたら、なんていうかとても温かみがあるというか……まるで親戚のおばあちゃんみたいな感じで……そんなあなたが、どうして、魔法世界を支配しようなんて企んでるんですか」
「いや、だってそりゃあ、朕、そんなこと考えてないもん」
「……はい?」
ヴェルはやれやれという感じで首を振った。
「これ百年くらい前からちょくちょく言っとるんじゃがのー。全然伝わっとらんな。精霊族ってのは連絡って言葉を知らんようだ。いいか? 朕は魔法世界の覇権になど興味はない。この城でごろごろのんきに暮らせればそれでいいのじゃ。それをタリウスの阿呆やゴレイアンの馬鹿が勝手に朕の名前を使って……いい迷惑じゃよ、本当に」
遊歩の中でガラガラと音を立てていろいろな前提が崩れた。
魔王が敵ではない。それは善いことだ。だが反射的にもっと深刻な問題が生まれる。魔王が悪霊の総大将でない――つまり悪霊に総大将などいない。それはつまり、圧倒的な物量を誇る悪霊に対して、こちらも物量で対抗しなければならないということだ。奇襲でこいつを倒して終わり、というような標的がいない。
「この話をすると精霊族は皆、お主のような顔をするんじゃが――いや、しかしお主はどこか違うな。なにか悩みごとでもあるのか?」
お前が原因の一つだよ、とは言えない。
彼女に相談したところで無駄だろう。遊歩はそろそろ立ち去ろうとする。だが、そのとき――気付いた。思い出した。そういえば、彼女に最初に会ったのはどこだったか?
「あと一つ、もう一つ質問いいですか!?」
「どうにもせわしない奴じゃな……許す。言うがよい」
「あなたと俺が初めて会ったとき――あのとき、魔王であるあなたが、女王の城でなにをしていたんですか? しかも、女王を利する道具を譲ってくれた。あれはどういうことだったんですか?」
「あ、あ――くそっ、そこに気づきおったか。存外キレるのう、お主も」
ヴェルはできれば言いたくない、というような感じではあったが、さりとて逆鱗に触れてしまったわけでもなさそうだ。しばし悩んだ挙句、結局答えた。
「あれは……偵察じゃよ」
「偵察?」
「うむ。さっきも言ったとおり、朕はこの世界の覇権争いに興味などない。だが悪霊族が滅ぶのも、精霊族が滅ぶのも、どっちも嫌なのじゃ。世界はバランスが大切。若いもんはそれがわかっとらん。だから最近の流れには、実を言うと、頭を抱えておる。精霊族があまりにも弱くなりすぎてしまった。無能女王はなにか計画を動かしておるようじゃが、成果がどうにもパッとせんから、大した情報が上がってこぬ。ゆえに朕自らちょっと様子を見に行ったんじゃが――そこでお主の話を聞いて、仕方なく援助してやったというわけなのじゃよ」
「な、なるほど……」
弱すぎて魔王に心配されてたとは。涙が出てくる。
考えてみれば、しかし、合理的な話でもある。世界の大半が悪霊に征服されている状態で、もし悪霊の側が魔王の下にしっかり統制されているのであれば、すぐにでも戦争が決着してしまうだろう。魔王が看板だけの存在で、悪霊側が内部分裂していると考えれば、この圧倒的な戦況でもなかなか勝敗がつかないのも納得できる。
ここに事態は新たな局面を迎えた。
遊歩はそれを理解していた。頭脳をフル回転させて次の手を探す。ヴェルは紅茶を飲んでお菓子をかじっている。その隙に見出した勝機にすべてを賭ける。
「魔王陛下」
「じゃからその呼び方はやめいっちゅーに」
「女王アルカナの大使として、沢渡遊歩が請願します。現在続いている戦争、これの停戦協定を結んでいただけないでしょうか」
「……ふむ」
手応えはあった。
ヴェルもまんざらではなさそうだ。しかし簡単にもいかなかった。
「残念だが、それは難しい。朕が若い悪霊共に関心ないように、若い悪霊共もまた朕に忠誠心がないんじゃ。大義名分として名前だけは利用されとるがの……。戦闘終結を命じたところで、従うのは極々一部じゃろう」
「ですが、停戦なら」
「そうさな。時期と範囲を区切った停戦なら、それなりに効果もあるかもしれん。じゃがそんなもんで戦況は変わらんんぞ。気休めにしかならん」
「自分に作戦があります」
遊歩は停戦が締結されたなら可能になる作戦――ARPEGIOのリニューアルについて話した。ヴェルはこれに強い興味と感心を抱いた。有効な作戦だと認めたらしい。
「面白い……面白いぞ……じゃが、それだけに残念だわ」
「まだ、なにか障害が?」
「確かに短期間の停戦なら大部分の悪霊は抑えられるが、それすら難しいのもおるわけじゃ。お主の作戦にはそいつがどうしても邪魔になる」
「こちらも戦力がないわけじゃありません。多少の戦闘になら耐えられます」
「知っておるよ。あの暴力女王もおるしな。しかし相手が悪い」
「それほどの大物ですか」
「メメンタール……若い野心家で、率いる勢力も侮れんが、なにより本人の実力が抜きん出ておる。あれで性格がもっと謙虚なら、朕もかわいがってやるんじゃがなあ……」
「仲、悪いんですか」
「正直に言って大嫌いじゃな。クソ野郎だと思っとる。むこうも朕のことを大魔王陛下などと呼んではおるが、内心はロリコンチビゴミムシなどと思っておるはず。ていうか、仲間内では朕のことそう呼んでるって聞いたし」
「被害妄想――ではないんですね」
「うむ。信頼できる筋からの情報じゃ」
「だったら――ご自分で戦われたらどうですか?」
「ふぁ!?」
さすがの魔王もこの提案には度肝を抜かれた。
「俺は過去の偉大な戦士を召喚できる力を持ってます。その力を使えば、精霊も悪霊も、誰も知らない存在を召喚することだってできる」
「そりゃすごいな。で?」
「だから、俺が召喚したという体裁で、変装したあなたが戦えばいい」
「馬鹿かお主そりゃ……なんだ……いいな。アリじゃわ。天才か」
ヴェルは目を輝かせた。
「あのクソガキに戦いの厳しさをぶちこんでまともな性格に叩きなおしてやる、これはいい機会ではないか。おお、感謝するぞ大使よ。思わぬところで利害が一致したなあ!」
もはや主導権は徐々に遊歩から離れつつあった。
「そうと決まれば早速行動じゃ。行くぞ大使」
「は……行くってどこへ」
「王宮じゃよ。支度するからちょっとだけ待っとれ」
「えっ来るんですか? 王宮に?」
くるくるとヴェルが腕を振ると散らかった部屋から必要な荷物が飛び出してくる。旅行鞄に荷物が飛びこみ、鞄が自分で閉じる。閉じた鞄は彼女の手元へ飛んできて、ヴェルは外見だけ鞄を持ったが、まるで重さは感じていないようだ。魔法で浮かせている。
「おっと。傲慢女王には連絡するなよ。奴の驚く顔が楽しみだ」
連絡などできようはずもなかった。
これから魔王がそっちに行きます――なんて、どう責任取ったらいいのだ。
遊歩は自分が引き起こした事態の重大さに悩みながら、手も付けられず、ヴェルの後に従うしかなかった。
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