第16話

 電子の妖精エレクトラは絶好調だった。

 PCサーバーと水晶玉を電気ケーブルで繋いだ専用の装置で数十人分のデータを並列に処理する。人間ではとても不可能な技を平然とやってのける。それでいてなお余裕がある。

 今週はなんと合計十二時間も寝れている。目が冴える。身体が軽い。こんな気持ちで働くのは初めて。通常業務をこなしながら、頼まれていた作業に関する書類にも目を通す。

 UI――ユーザーインターフェースの改善。

 ユーザーインターフェースとは簡単に言えばゲーム画面のことだ。画面をどんな雰囲気にするか。文字の大きさやフォントをどうするか。ボタンをどこに配置するか。そもそもボタンをどんなデザインにするか。あまり注目されないがユーザーの印象を決める重要なファクターである。

 ARPEGIOはUIの使いづらさに定評がある。フォントやボタンのデザインは悪くないのだが、配置やシステムに難があり、作業量が無駄に多いし必要な情報が見づらい。やる気が削がれると不満が絶えない。それでもこれまで改善の兆しがなかったのは、指導部がそうしたユーザー目線に疎いということもあったが、なによりもゲームシステムを管理するエレクトラに到底新たな作業をこなす余裕などなかったからだ。

 だが今は違う。

「ふーんふふーふーん」

 鼻歌歌いながら資料を読むエレクトラ。もちろん保守を疎かにはしていない。アルカナはエレクトラの仕事を『細心の注意と優れた知性が必要とされる高度な任務』と評したが、実のところ、彼女にとってはそこまで難しいものでもなかった。もちろん五十時間、百時間と続けて疲労が蓄積した状態では違う。しかし元気な状態なら片手間でもそれなりにこなせてしまうのだった。

 コンコン、とノックする音がした。

「入りますよ」

「あっ、じょ、女王陛下! どうぞ、おかまいもできませんが!」

 いくら余裕があっても装置からは離れられない。そうでなければこちらから扉を開けて、跪いてお迎えするのに。エレクトラは申しわけなさで胸いっぱいになって振り向くことができない。すると机にコーヒーの入ったカップが置かれた。

「よければ、どうぞ」

「ふぇ!?」

「グレゴアに教えてもらって、私が淹れたのですが」

「へ、へへ、陛下が、自ら」

 動揺で保守作業が止まってしまいそうだった。

 なんとか気持ちをたてなおして、やっとエレクトラはカップに手を伸ばす。

「いただきます」

 味はほとんどわからなかった。緊張していたし、そもそもコーヒーに詳しくないし。

 それでも、とにかく、ひたすら幸せな気持ちにはなった。一気に飲み干した。

「ごちそうさまでした……!」

「あらあら。おかわりが必要ですね」

 しまった――。ひとくち残しておくべきだった。これでは催促したみたいだ。

 エレクトラは唇を噛んだ。

「申し訳ありません、陛下」

「なんのことでしょう……? それより、例の件ですが」

「あ、はい。UI改善についてですね」

 改善作業は二つのステップに分けられる。

 一つは画面の変更。もう一つはシステムの変更。前者がエレクトラの担当だ。

「内容は把握しました。これから作業に取り掛かれば、二時間ほどで形になるかと」

「わかりました。それでは、ここで待たせてもらってもよろしいでしょうか」

「御意のとおりに」

 PCサーバーの駆動音だけが聞こえる室内。

 ふとエレクトラは気になってたずねた。

「この画面デザインはどなたの仕事ですか」

「気に入りませんか?」

「いいえ。善い出来だと思います。システム担当としても、個人的にも」

「そうですか。それはユーホのデザインですよ」

「ああ、あの大使様の……」

 エレクトラは未だ彼に対して微妙な印象を持っている。

 悪い人ではないのだろうが、言動も行動も、なんとも理解に苦しむ。しかし私情は抜きにして、この新しいUIはいいものだ。現在のものより圧倒的に見やすい。さすが、大使に選ばれただけのことはある。

「地球人というのは美的感覚に優れているのでしょうか」

「どうでしょうね。ユーホが特別なのかもしれません。ゲームに詳しいようなので」

「誰でも、地球人なら皆がゲームに詳しいというわけではないのですよね?」

「そのようです。ゲームに詳しいのはむしろ特殊な人種だとか」

「しかし、商売としてのゲームは儲かるのでしょう?」

「はい。特にこの国では」

「奇妙な話です。やはり人間というものはよく分かりません」

「けれど美しい。素晴らしい文化を持っています」

「陛下は本当に地球がお好きなのですね」

 魔法世界の精霊たちはほとんどが地球に来たことがない。

 カーディナルをはじめとして重臣たちのほとんど、それにエレクトラですらこのオフィスから出たことがなく、本当の意味で地球世界を知っているとは言い難い。魔法世界は冒険的である一方排他的な面もあり、異世界への不信感は決して低くない。魔法世界の精霊で、己の目で地球世界を見て、知っているのは女王アルカナと彼女の従者であるグレゴアくらいのものだった。だから魔法世界における地球世界の知識はほとんどがアルカナによって伝えられたものである。

「スシ、ハンバーガー、タコス……地球世界にはおいしい食べ物がたくさんあります。それに魅力的な場所も、興味深い習慣も。いつかあなたも連れていってあげたい」

「お気持ちだけで心満たされます」

「そういえば、エレクトラにちょうどいい、便利なお薬もあるはずなのですが、探してもなかなか見つからなくて」

「陛下が私などのためにお時間を割いてくださったとは、なんてもったいない」

「書物で読んだのです。『ヒロポン』というお薬なのですが」

「かわいらしい名前ですね」

「使うと疲労がたちまち消えるそうです。本当に、どこで売ってるのでしょう……?」

 そうこうしているうちにエレクトラは自分の作業を終えた。

 試験用の画面に映された新生UIにアルカナも満足気だ。

「確かに注文通りの出来。これならユーホも納得するはずです。さすがですエレクトラ」

「光栄の極み」

 だが改善作業はこれで終わりではない。

 まだ半分だ。

 変更した画面に合わせて、システムも変更しなくてはならない。そして、それはエレクトラの役目ではない。それは他ならぬアルカナの役目だった。

「なにか問題が起きたら教えてください」

「承知しました」

 アルカナはエレクトラからすこし離れて、目を閉じ、集中する。

 女王の身体は白銀色の光に包まれ、ちかちかと点滅する。

 究極魔法アルペジオ――計画名の由来ともなったその魔法は高度な技術と莫大な魔力を必要とする、まさに女王だけが使える術。エレクトラの魔法が魔法世界の情報を地球世界に投影しているのに対して、アルカナの魔法は地球世界から加えられた操作を魔法世界にフィードバックしていた。この二人がいわば両輪、両翼となって計画が成立している。

 術式の変更中にトラブルが起こらないか、エレクトラも慎重に観察する。幸運にも問題は発生せず、変更は完了した。

「……ふう。これでいつでもUIを移行できます」

「それではすぐにでも?」

「いいえ。ユーホの指示を待ちます。これから大きな作戦も控えているので、それとの兼ね合いもあるでしょう」

 リニューアル作戦――アルカナにとっても命運を賭けた作戦になる。

「今はそのために、彼も頑張っているはずです」

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