第15話

 罪を赦されたところまではよかった。

 問題はその後だ。ライアは振り返る。遊歩の手下になると直後から忙しく働かされた。遠方に旅をする、その支度を整えるために。準備に手間がかかった原因は二つある。一つは王宮に悟られないよう秘密裡に進めるよう命じられたから。縄一つ買うにも信頼できる口の堅い相手を選んで買わねばならず、苦労した。もう一つは目的地があまりにも遠く危険だったから。遊歩が宣言した目的地――黒死嶽リンボルム。それは魔王ヴェンヴェルスの居城がある山である。

 正気の沙汰ではない。

 この絶望の時代において、わざわざ最も危険な土地に自ら赴くなんて。

「道は知っている」

 と遊歩は言った。何度か説得したがまるで聞く耳を持たない。それなら勝手に死んでこい、とライアは投げやりな気持ちで準備を整えた。するとさらに酷いことになった。

「お前も一緒に来るんだ」

 もちろん全力で拒否。

 だが来なければ今までの犯罪をあることないことアルカナに告発して数十年の強制労働を課すと脅されたので、しかたなく、危険を感じたらすぐ逃げるという条件で同行することになった。

 そして地獄の登山。

 道そのものはライアにとってそれほど難しいものではなかった。彼女は自覚していなかったが、その才能――地形を観察して瞬時に最適のルートを見抜く能力は、この凶悪な自然環境において最高の武器となる。彼女が恐れたのはもっぱら悪霊であった。なにしろここは魔王の膝元。どれだけ強暴な悪霊が出るか。だが遊歩のほうはそれをまるで恐れていなかった。なぜなら彼は知っていたからだ。リンボルムに悪霊は出ない、と。

 遊歩はリンボルム山に来たことがあった。ゲームの中で、だが。ARPEGIOでは、悪霊が頻出する危険な土地、すなわちダンジョンこそプレイヤーレベルによって入場制限されていたが、それ以外の土地は本当に通行自由だった。もちろんダンジョン以外でも悪霊はしばしば出現するが、油断しなければ対処できる程度。そのため遊歩はあちこちを散策した。そしてある日、魔王の城がある黒死嶽リンボルムにも入れることに気付いた。ゲームなら死んでもやり直せる。思い切って入ってみると、意外、リンボルムに悪霊は出現しなかった。あっさり魔王城の前まで行けてしまった。しかしさすがに魔王の城へ殴りこむ勇気はなかったし、その手段もなかった。城の門は堅く閉ざされている。

 ゲームでの経験通り、リンボルムに悪霊は出現しない。不可解ではあるが、おかげで一発逆転の手が決行できる。彼の秘策とは『魔王暗殺』である。ゲームでは実現できない反則技。魔王城に裏口から忍びこんで魔王が寝ているところを襲撃する。致命傷を負わせられなくても、相手に脅威を感じさせれば成功だ。魔王側が一時的にでも守勢に回れば、その隙にリニューアル作戦を進められる。

 ただしこの作戦は言うまでもなく危険を伴う。実行犯の命はまるで保証できない。魔王の本拠地で魔王を襲撃して生き延びる。無謀の極みだが、これくらいしなければ今の行き詰った魔法世界を救うことはできない。

「なんでこんなことに付き合ってんのかなあ……」

 ライアがぼやいた。

 遊歩も彼女の気持ちがすこしはわかる。

 魔王の城は火口のすぐ近くにある。

 城は漆黒の壁に囲まれている。壁面には緻密な彫刻が隙間なく施されていて、悪趣味かつ芸術的。辺りに生命の気配はない。溶岩の熱と降りしきる雨の冷たさ、両者が生み出す不快な湿気。死骸すら似合わぬ無機の土地。

 二人は城壁の周囲を歩き回って排水溝を見つけた。

「ここから中に入れるわね」

「よし」

「行ってらっしゃい」

「先導を頼む」

「冗談でしょお!?」

 遊歩に小突かれてしぶしぶライアは排水溝へ。それ自体は嫌でもない。生活のために盗みをしていたような少女だ。下水にまみれるくらいは慣れたもの。嫌なのはどんどん魔王に近づいている、ただその一点に尽きる。

「アタシはどこまでやったら帰っていいわけ?」

「魔王の寝室を突き止めたら」

「ほとんど最後までじゃん……」

「一番危険な、魔王を襲う仕事は俺一人でやる。それまでに城を脱出すればいい」

「当たり前でしょ。一緒に戦えとか言われたらさすがに裏切るよ」

「できれば手伝ってほしいけどな」

「あんたほど人使いの荒い奴はこの世にいないでしょうね」

 ライアは悲壮な顔をしていたが、潜入自体は驚くほど順調に進んだ。それというのも、魔王城には警備というものがまるで存在しなかったからだ。悪霊の一匹も存在しない。外に誰もいないのだから、中もそれほど厳重ではないのではないか、と期待してはいたがまさかここまでとは想像しなかった。扉の鍵もとりたてて複雑ではなく、ライアの手にかかればあっさりと解かれた。念には念を入れてゆっくりと廊下を渡り、階段を上がり、時には壁をよじのぼり、ついに二人は魔王の寝室へたどりついた。

「あっけなさすぎる」

 遊歩が思わずそう呟いてしまうほど、あっさりと到着してしまった。

 ますます都合のいいことに、寝室の扉は開いていて、室内は調度品で雑然としている。隠れる場所ならいくらでもある。遊歩が物陰に隠れると、ライアは最後にもう一度だけ彼を説得した。

「ねえ、今ならまだ引き返せるわよ」

「こんなチャンス二度とありえない。引き返すわけにはいかない」

「……ああ、もう。わかったわ。じゃあね。アタシはここで帰るから、アンタも絶対に帰ってくんのよ」

 盗賊は持ち前の身軽さで窓から飛び降りあっというまに姿を消す。

 好機はそれからほどなくして訪れた。

 ガシャン、ガシャンと金属音が聞こえる。部屋に巨大な全身甲冑が入ってくる。あれこそ魔王ヴェンヴェロス。面金の下に宿る赤い眼光もまたおぞましい。数百年前から魔法世界に君臨し、誰もその素顔を見たことがないと言われる。最近は滅多に戦場へ出てくることもないそうだが、その名前と容姿は恐怖と共に語り継がれている。

 これを暗殺する。

 さもなくば重傷を負わせる。

 遊歩には自信があった。スマートフォンを握りしめる。彼が使役する契約精霊――名だたる英雄の分身から選りすぐった戦士たち。SSRでも特に優秀な壊れキャラ五体。いくら魔王とはいえ、油断しているところに最強の連続攻撃をくらって無事では済まないだろう。一撃叩きこんだら契約精霊を盾にして即時離脱。逃げ切れるかは運任せ。

 魔王は部屋に入ると鎧も脱がずベッドに横になった。これは誤算だった。だが楽観的に考えるなら、寝るときも鎧を脱がないということは、意外と臆病なのかもしれない。それなら大した傷を負わせられなくても、最大の目標――警戒させ、魔王側の戦線を縮小させるという目標は達成できる。

 数分ほど経って、面金の下でくすぶる赤い眼光も消えた。眠ったのだろう。さらに数分待って、いよいよ遊歩は捨て身の一撃を発動した。

 ベッドで眠る魔王に、召喚された最強の精霊たちが必殺技を叩きこむ。重厚なはずの甲冑が宙に浮き、精霊五体の連続攻撃によって逃げ場なく高速きりもみ回転して最後には弾け飛んだ――弾け飛んでしまった。

「……あれ? やっちゃった?」

 文字通り魔王は粉微塵になった。

 これでは鎧の中にどんな生き物が入っていたのかもわからない。

 だが、とにかく砕け散った。こうなって助かる生物はあるまい。

 精霊たちをスマホに戻して、遊歩はおもむろにその場を去ろうとした。

 すると、どこからともなく声がした。

「何十年ぶりかの……朕の首を獲りに来た命知らずなど……」

 聞こえてくる方向が特定できない。魔法で脳内に直接話しかけてきている。奇妙な感覚だった。脳内に話されていることもそうだが、遊歩にとって、その声はどこかで聞き覚えがあった。

「歓迎するぞ、無礼で愚かで愛すべき勇者よ」

 窓が勢いよく開いて、風が吹きこむ。

 気付けば外の空中に一人の少女が浮かんでいる。ネグリジェを来た幼い彼女は――

「あっ」

「むっ」

 二人はお互いの顔を見て停止した。魔王ヴェンヴェルス――その正体は幼女であり、先日、城で遊歩に話しかけてきたあの行商人であった。

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