第11話

 大聖堂、召喚の祭壇。

 遊歩はアルカナに二つほど確認する。

「地球世界でもスマホから精霊を具現化できるか?」

「私が近くにいれば可能です」

「よし、もう一つ。この召喚術で、あの雷の魔法使い、エレクトラは召喚できるか」

「はい。彼女のように優れた才能の持ち主は、生前からこの大聖堂に記録されています」

「わかった。それじゃあ始めよう――まずは十連だ」

 遊歩は革袋から妖精石を鷲掴みにして次々と宙に投げる。

 魔法陣の上に次々と精霊が現れる。

 付き添いのカーディナルは目を輝かせていた。

「壊乱の貴公子ロヴィーノ、大鉈使いコンダラ、異端者マレイナ、封印された右目のアンデルセン、強行伝令ロッソ、五枚羽の審判者メルテル、破城剣ダンナー、涙の誘い手メイル、薄幸の軍師ポレア、鎮圧者イステア! どれも名だたる英雄ばかりだ!」

「SR三人……普段なら嬉しいんだけどな……」

 今日の遊歩の狙いはSSRを引くことでもなければ戦力増強でもない。目的は召喚で雷の魔法使いエレクトラを引き当てることだった。もちろん、彼女の代わりになる精霊が引ければそれでいいのだが、アルカナの記憶によれば他に候補はいない。

 召喚でエレクトラを引き当てて、オリジナルの交代要員にする。

 それが遊歩の考えた唯一の解決策だった。人道的な観点からだけではない。リスクマネジメントの観点からも、エレクトラ一人にシステム保守を頼り続けるのは容認できない。

 現状でも十分危険だが、これからARPEGIOの運営が成功すれば、プレイヤーも増えるしイベントも頻繁に開催することになる。エレクトラ一人の処理能力がいつ限界に達するかわからないし、もっとまずいのは、イベントの途中に緊急メンテ(エレクトラ気絶)が発生することだ。

 平常時に緊急メンテが入っても、よほどの人気ゲームでなければ、コンテンツにとってそれほど大きなダメージはない。しかしイベント中、とりわけ盛り上がっているところで緊急メンテなど入ろうものなら、ユーザーの不満は甚大である。こうなると運営の評価はゼロを振り切ってマイナスに向かう。それだけは避けねばならない。

 今後、イベントを実施するには、安定した保守システムが必要不可欠。そのためなら資源が払底しようとやむをえない――と覚悟を決めて挑んだのだが、二十回、三十回と召喚してもエレクトラは出なかった。

「やっぱりSR以上か……」

 エレクトラのレアリティはわからない。Rであればありがたいが、代替の効かない人材という貴重性を考えると、SR以上の可能性が極めて高い。カーディナルと同等、SSRである可能性すらある。

 しかしいずれにしても、最大の問題はレアリティとは別のところにある。

 ピックアップがない。

 ピックアップとはガチャ用語で『特定キャラクターの排出率アップ』のことである。単に確立がアップするだけなので、もちろん、目当てのキャラクターが確実に引ける保証はない。それでもピックアップなしで特定のキャラクターを狙う場合とは可能性が雲泥の差だ。ARPEGIOのガチャ、この召喚儀式にはそれがない。

 ピックアップ無しのSR以上一点狙い。

 それは試験で鉛筆を転がして満点狙うくらい無謀である。

 ガチャというのはもちろん回さなければ絶対に出ない。だが回しても現実問題として出ないものは出ない。思わぬところで深刻な問題が発生し、遊歩は徐々にその現実に追い詰められていた。

「顔色が悪いですよ、ユーホ。大丈夫ですか?」

「……ちょっと休ませてくれ。外の空気を吸ってくる」

 時間を置いたところで事態が好転するわけでもなければ妙案が浮かぶあてもなかったが、このまま石を溶かし続けるほど愚かにはなれない。資料室を出る。

 大聖堂は召喚儀式の場である一方、城内に暮らす住民にとっては祈りの場である。女王にも庶民にも重要な施設なので、王宮と市街地の境に建っている。王宮を出た遊歩は市街地をふらふらとさまよった。

 せめてピックアップさえあれば――遊歩の頭はその一念でいっぱいだった。

 妖精石はまだ召喚七十回分はある。ピックアップさえあればまだ十分希望はある。

 だが召喚儀式の設定を変更するには特殊な素材が要る。この城にはそれがない。産地はだいぶ前から悪霊に占拠されているらしい。どうしたものか――遊歩は考えあぐねて道端に座り込んだ。すると隣にもう一人座った。

「お悩みのようじゃな、若いの」

 遊歩は虚を突かれた。なにしろそう言った当人こそ、目深にフードを被ってはいるが、背も低ければ声も高い、幼い少女なのだ。彼が怪訝に思っているのを見抜いて、少女は釘を刺した。

「ち――じゃなかった。私は旅の商人で、これでもあちこちを巡ってきた大ベテランなのじゃ。見かけで判断なされるなよ」

 考えてみればアルカナも、あの威厳、おそらく実年齢は外見より何倍も上だろう。魔法世界の住人に人間の常識は通じない。この少女が遊歩より年上でもなんらおかしくない。

「商売の基本は困っている者を見つけて欲しい物を売ってやること。お主のような者はまさに、ち――私の上客というわけよ。さあ、遠慮なく相談してみなさい」

「はあ……」

 そう言われても、彼女がこの問題を解決できるとは思えない。

 それでも一応、事情を説明してみた。商人なら口は堅いだろう。口外の心配はない。

「まさかお主が噂の大使殿だったとはな。しかしなるほど。それは困ったことになっておるのじゃな……ふむ、召喚術の改善か……」

 行商人はなにか考えているようだった。

 心当たりがあるのだろうか。それだけでも遊歩にとっては意外だった。手の打ちようがない、と言われて終わりだと予想していた。有意義な情報だけでも得られれば助かる。

「……これはしかたないか。うむ、やむをえんな。ほれ」

 ふところから行商人は小さな紙袋を取り出すと遊歩の手に握らせた。

「なんですか、これ」

「とある地方で取れた花の種を砕いた粉でな、お主の助けになるじゃろう」

「ありがとうございます」

 一応、お礼は言っておく。

「さてと。では、ちん――」

「ちん?」

「なんでもない! 私はそろそろお暇する」

 行商人は立ち上がり

「では大使殿、健闘を祈るぞ」

 と言うと雑踏にまぎれて消えた。

 残された遊歩もすこし経つと立ち上がり大聖堂へ戻った。

 アルカナとカーディナルはなにか相談していたが、遊歩が戻ってくると止めた。結局、なにも改善していないので、場の空気は重苦しいまま。遊歩はとりあえずもう二、三回召喚してみようと考え、石を掴んで、そこでふとさっきの出来事を思い出した。

「そういえば、女王様、この粉がなんだかわかります?」

 アルカナは紙袋を開けると息を飲んだ。

「なっ――ユーホ、これをどこで手に入れたのですか!?」

「え、どこって……」

「これは妖精花の粉。召喚術の魔法陣を書き換えるために必要な道具です!」

「それってつまり――」

「はい。召喚に必要な石の数や、召喚される精霊の格を変化させることはできませんが、傾向を変えることはできます」

「ピックアップってことか!」

 そうとわかれば後は速かった。

 アルカナは粉末を使って魔法陣に必要な術式を書き足し、準備は整った。

「これで解決したのか?」

 カーディナルの言葉に遊歩は否定も肯定もしない。

 そう、まだ一件落着というわけではないのだ。

 他力本願。

 運否天賦。

 ガチャとは非情である。

 ピックアップがあっても外れるときは外れる。

 残りの石で目当ての精霊、エレクトラが引けるかどうか。それはやってみないとわからない。確実なことはなにもない。それでもやるしかない。

「よし、いくぞ!」

 遊歩は勢いよく妖精石を投げる。アルカナが詠唱する。次々に精霊が出現する。カーディナルにとっては神話的にすら感じられる情景。しかし遊歩にとってはさながら苦難の行軍だった。二十……三十……四十回召喚してもまだ本命が来ない。既にSRが七体、SSRも一体引いている。ピックアップすりぬけ七回……! ガチャゲーにおいてよくあることではある。よくある――だとしても、自分の身に起きればそれは悲劇である。なにも感じないということはない。悲しみ、苛立ちそして恐怖が徐々に手を鈍らせていく。それでも引き下がらない。ガチャに挑む人間はそうあらねばならない。未来の恐怖に打ち勝つ勇気と決断力。ガチャとは人間賛歌なのである。そしてついに五十五回目の召喚でそれは来た。

「待て、大使殿!」

 カーディナルに止められて、遊歩も気付く。

 数十人の英雄に混じって、見覚えのある女性が立っていた。

「えっと……ここはどこでしょうか?」

「エレクトラァ!」

 その場にいた三人が皆、彼女に抱き着いた。

 召喚されたエレクトラはまったく当惑している。

 それにも構わず、しばらく遊歩たちは無邪気に勝利の喜びを味わった。

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