第10話
忙しい一日を終えて自宅へ帰るとすぐベッドで横になった。
そのまま寝てしまおうかとも思ったが、意外と眠くならないので、スマートフォンを点けた。するとARPEGIOのアイコンが目に入った。今日一日のことを振り返って、なんとなくゲームを起動する。スマホゲーのいいところはこうやって気が向いたらすぐできるところだ。
もう何度も向こうの世界とこちらの世界を往復しているが、このディスプレイに映る世界が実在することが、未だにわかには信じられない。だが風和の騎士メトエラは確かに手持ちへ加わっている。ちょうどいいので彼女の試運転も兼ねていくつかミッションをこなした。
ゲームをプレイする態度も、実際に向こうの世界へ行った後では、だいぶ異なる。簡単なダンジョンをひたすらこなすだけでも、戦力不足に悩む向こうの世界にとっては大きな助けになることを知っている。気付けば二時間も雑魚狩りをしていた。時刻は深夜一時を回っていた。
「働きすぎだな」
苦笑しながらスマホの電源を切る。
明日も午後からアルカナに呼ばれている。そろそろ眠らなくては。
うとうとしながら、ふと、ひとつの疑問が浮かんだ。
異世界を投影したゲーム。その戦闘や召喚については、今日、体験した。しかし、もっと根本的な部分について彼は知らなかった。魔法世界の風景を地球世界のゲーム画面に映す、その作業は誰がどうやっているのだろう。そんな漠然とした問いを抱えながら、意識は遠のいていった。
翌日、午前中は大学の講義に出席し、午後から仕事に向かった。
魔法世界へ行くには向こうからゲートを開いてもらう必要がある。年季の入ったビルの三階、株式会社アルペジオの事務所に入ると、不気味な老人が出迎えてくれた。
「おはようごじゃいましゅ、大使殿」
もちろんこの老人も魔法世界の住人だ。
アルカナを長らく支えてきた秘書で、名前はグレゴア。こちら側に駐在して、ARPEGIO計画における地球での雑務を処理している。外見はとっつきにくいが、意外と穏やかで親しみやすい人物だ。
「飲み物はいかがでしゅか」
「いただきます」
アルカナが迎えに来るまでの間、彼の淹れてくれたお茶を飲みながら、ARPEGIOのゲームを起動する。タイトル画面をタッチするとゲームが始まる――はずなのだが、今日は画面が暗転してそこから全然進まない。
「……落ちてるな」
ARPEGIOではしばしば起こることだった。
運営側の不具合による緊急メンテ。これもARPEGIOの評判を下げている原因の一つだ。遊歩も一介のユーザーだった頃からどうにかならないものかと常々不満に思っていた。しかし今や運営側だ。しかも本社ビルにいる。
……そもそも、緊急メンテとはなんだ?
普通のゲームと違って、ARPEGIOはバグなど起こりようはずがない。実在する世界をそのまま投影しているのだから。それなのに緊急メンテが頻発する。おかしいではないか。遊歩が疑念を膨らませていると、オフィスの奥からガシャンガシャンと物の崩れる音が聞こえた。
「なんだなんだ!?」
「ああ……ついに限界が来たようでしゅな」
「限界?」
「そういえば、大使殿は彼女に会ったことがありましぇんでしたか」
「この奥に誰かいるのか」
「ええ、まあ。しかし不幸中の幸いでしゅ。アルカナ様が来る直前に倒れるとは」
どうにも話が見えない。
しかもタイミングが一致しすぎている。
遊歩はオフィスの奥へ。物音がした部屋の扉を開けた。
まず不愉快な熱気が顔を襲った。部屋の中は薄暗く、書庫のようにラックが並べられていて、ラックには連結されたPCサーバーが並んでいる。部屋の奥には一台の机があり、その上にはモニターがいくつも設置されていた。そして机の近くには倒れた椅子と、金髪の女性が転がっていた。
「大丈夫か!?」
抱き起しても反応はない。
死んでるわけではないが、意識がない。
「救急車を呼んでくれ!」
グレゴアに向かって叫ぶが、返事はなかった。
代わりに、別の人物が応えた。
「必要ありませんよ」
明るい廊下から薄暗い部屋へと、逆光を背負いながら近づいてくる女王にはいつにも増して威厳があった。アルカナは気絶した女性を遊歩の腕から引き取ると、手をかざして呪文を唱えた。緑色の淡い光が額を撫でると、女性はゆっくりと目を覚ました。
「ん……私は……」
「気が付きましたか、エレクトラ」
「あ……へ、陛下! ……ということは、まさか、私また気を失って」
「そうですね」
「もうしわけありません。すぐに作業に戻ります!」
「まあまあ、今日はそう焦らなくてもよろしい。ちょうど、紹介したい人もいますから」
「はい?」
そこでようやく金髪の女性――エレクトラは遊歩の存在に気付いたらしい。彼女はアルカナと遊歩の顔を交互に見て、あたふたしていた。挙動不審と言えばそうだった。
「あのその、この人は」
「話はグレゴアから聞きましたね? 我々の計画に協力してくれる地球人、ユーホです」
「あ、ああ、この人が。例の大使様。へー。あ、いや、失礼しました。私はエレクトラ。ARPEGIOのシステム保守を担当しています。よろしくお願いします!」
お辞儀しながら手を差し出す。遊歩は戸惑いながら握手を受ける。
「システム保守ってのは、つまり――」
「端的に言えば、魔法世界と地球世界をつなぐ役目です」
アルカナが説明する。
「魔法世界を地球世界でゲームとして利用してもらうには、魔法世界の風景や状況をリアルタイムでデータに変換して配信する作業が必要です。エレクトラは希少な雷の魔法を使えるので、その役目を担当してもらっています」
「いや、簡単に言うけど」
それはものすごい重労働なのでは?
いくらARPEGIOのユーザーが少ないとはいえ、それでも百人以上はいる。百人分以上のデータを一人で処理して配信するというのは、いくら魔法でやっているとはいえ、並大抵の苦労ではないはずだ。いや、それ以前に――
「……確認しておきたいんだけど」
遊歩は悪い予感で胸いっぱいになりながらたずねる。
「はい、なんですか?」
「このシステム保守って、エレクトラさん以外に担当者は?」
「いませんよ。これは彼女の仕事です」
「保守って寝ててもできる仕事なの?」
「ユーホ、いくらあなたでも彼女を侮辱する権利はありませんよ。エレクトラの仕事は難しく、細心の注意と優れた知性が必要とされる高度な任務です」
「女王陛下……!」
なぜかエレクトラは感動しているがそれは無視しよう。
長らく不満だった、ARPEGIOの緊急メンテの多さ。その理由がようやくわかった。
「そりゃこうなるよ!」
いきなり遊歩が叫んだのでアルカナもエレクトラも驚いた。
「突然どうしました」
「どうしました、じゃない。どういう人員配置だよ。おかしいだろ」
二十四時間三百六十五日、一人で保守点検をこなすなど可能不可能という次元の話ではない。とても人間の発想ではない。狂気としか言いようがない。
「なんで代わりの人間を用意しないんだ……」
「ユーホ、あなたはなにか勘違いしているようですが――」
アルカナは、そっちの言い分こそ意味不明だ、みたいな顔で反論する。
「第一に、エレクトラの代わりになる人材などいません。この作業には雷の魔法が不可欠ですが、現状、雷の魔法を高度に使いこなせるのは我が国でエレクトラだけです。第二に、我々は人間ではありません。精霊です。ですから人間よりはるかに丈夫です」
「そうですよ!」
さらにエレクトラも口をはさんでくる。
「精霊は一週間くらい眠らなくても大して辛くないし、一ヶ月くらい食べなくてもそんなに苦しくないんです。それに私は週に一度は、三時間も、仮眠をいただいているので健康そのものです」
週三時間――心当たりがある。ARPEGIOのメンテ時間だ。一介のユーザーだったころは、なにも新しいことを追加しないのにメンテ時間だけきっちり取るなよ、などと思ったこともあった。だが今は間違ってもそんな気持ちはわかない。
眼前の女性に、遊歩はもはや憐れみしか感じなかった。
「アルカナ……あんたはなんて悲しい存在を生み出してしまったんだ」
女王陛下は言われたことの意味がまるでわからないらしい。
不思議そうな顔をしている。
エレクトラも自分の境遇を理解してないらしい。
情緒不安定の男を恐れるような表情をしている。
会社のオフィス、ここはまだ地球のはずだが、魔法世界の森林や宮殿、どんな場所に行ったときよりも今こそ遊歩は未知への恐怖とカルチャーショックを感じていた。もはやかける言葉が見つからなかった。
それ以上なにも言えず、遊歩は黙って魔法世界へ移動した。
彼はこのとき一つの決断をしていた。
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