第9話
そしてイベントを開くには現場の知識も必要ということで、翌日、遊歩はカーディナルに連れられて悪霊討伐へ同行したのだった。任務を終えて城へ戻ると、カーディナルは早速次の仕事にとりかかった。
練兵場に立って訓練を指導する。
「そこ、先走りすぎだ。連携を乱すな!」
数十人いる兵士をくまなく見落とさない。一時間近く、声を発し続けた。
そんな彼女の隣で遊歩は黙って立っていた。本当は部屋に戻って寝たかった。なにしろ今日は夜明け前に起こされた。眠い。しかし兵士たちの信頼を得るためには直接顔を見せるべきだ、とカーディナルからの指摘があり、やむなく臨席させられた。
「――以上で私からの訓練を終了する。班ごとの訓練も怠らないように」
最後に訓示して、二人は練兵場を去る。
カーディナルはゾディアック城において最も偉大な騎士であり、軍事の最高責任者でもある。練兵のあとも続いて城内の治安について報告を受け、午後から出発する討伐部隊に作戦を授け、それからようやく二人は今日の本題に向かうことができた。
王宮の南東に大聖堂がある。
大聖堂は二つのブロックから構成されている。礼拝堂と資料室。礼拝堂は庶民が参詣するために開かれているが、資料室は厳重に閉ざされている。資料室には古今東西の記録や貴重品が収蔵されている。偉大な指導者の肖像、伝説的な戦士の武器、失われた氏族の遺骨。だが最も重要な財産は他にある。資料室には儀式用の祭壇が存在する。長らく封印されてきたそれは、世界存亡の危機に際して、ようやく使用が再開された。妖精術の祭壇――つまり召喚、ガチャを回すための施設である。
美術館とゴミ屋敷を足して割ったような部屋で、酷く埃っぽい。遊歩は換気する窓を探したがそんなものはなかった。天窓すらなくて、アルカナが魔法で照らしてくれていなければ真っ暗だ。カーディナルが革袋を持ってやってくると、いよいよ準備が整った。
「お持ちしました」
床に置かれた革袋。中身は大量の――遊歩の一万円を代償に製造した――妖精石。
アルカナが袋から石を五つ取り出す。
「それでは始めます」
石を宙に撒くと同時に呪文を唱える。妖精石は霧のように散って、辺りが光に包まれる。光と共に、霧散した妖精石がふたたび凝縮して、炸裂する。閃光が収まると、そこには初老の男がいた。見覚えのある顔だ
「カタロンか」
幻惑の術者カタロン。
四つあるレアリティで下から二番目、Rのキャラクターだ。
風属性で敵の攻撃を回避することを得意とする。使い方次第ではそれなりに強かったりもするが、しょせんはR。しかもジジイ。使用するプレイヤーはほとんどいない。いわゆる外れキャラだ。ところがカーディナルは目を輝かせていた。
「幻惑の術者……まさか、本物か……!?」
女騎士は術者に駆け寄り、その手を取る。
「むっ。何事かな、お嬢さん」
「わ、私はアルカナ様の筆頭騎士、カーディナルと申します。恐れ多くも、貴殿はかつてパーニッツ討伐戦で活躍された英雄、幻惑の術者カタロン殿とお見受けしますが」
「いかにも。私がカタロンだ」
「おお、やはり! こうしてお会いして言葉まで交わせるとは! 私、幼少より貴殿の活躍を聞かされ憧れて育ったゆえ、まさかこのような機会に巡り合えるとは……」
「よくわからんが、君のような美人に歓迎されて悪い気はせんな」
はっはっはと笑う初老の男。
困惑させられたのは遊歩だった。
「なんすかあれ」
「カーディナルはああいうところがあるのです」
アルカナが耳打ちする。
「幼い頃から英雄伝を読み漁って、それを目標に生きてきたのです。ゆえに英雄への敬意が深い」
遊歩からすればシュールな光景だった。
SSRがRにへつらっている。お前はSSRなんだぞ、カーディナル。しかしソシャゲのキャラ設定というのは案外そういうものだ。歴戦の豪傑みたいな設定のキャラが低レアで、将来有望な若者がSSRだったりする。
「カーディナル、そろそろいいですか」
女王に呼ばれて、女騎士はふりかえる。その隙に、カタロンは全身が光に変わって遊歩の手元に――スマートフォンに吸いこまれていった。
「な、なんだ、術者様が消えた!?」
動揺するカーディナルをアルカナが宥める。
「これが召喚術です。カーディナル、あなたが見たのは決して術者本人ではありません。物体に照明を当てると影ができるように、召喚術とは本体に強烈な力を加えて分身を作り出す技術。この大聖堂に眠る魂を基盤とし、妖精石の力を加えることで、悪霊と戦うための戦士――契約精霊を作りだしたのです」
カーディナルはまだ半分理解、半分混乱の様子だが、女王には従順だ。
「な、なるほど……しかし、それが消滅ということは召喚は失敗ですか」
「いいえ。消滅したわけではありません。彼の手元に保存されただけです」
遊歩がスマホをかざす。カーディナルはいよいよ理解が追い付かない。そこでスマホを操作してふたたび初老の男を出現させて見せる。科学を知らない女騎士は目を丸くした。
昨日、遊歩はこの召喚システムについてアルカナから説明を受けた。そもそも、召喚それ自体は彼にとってよく慣れ親しんだもの。つまりゲームのガチャだ。それでも、実際に体験すると、内心それなりに驚いていた。ましてカーディナルはなおさらだ。遊歩とアルカナがもっと詰めた話をする間も、首をかしげるばかりだった。
「召喚に必要な石は五つでいいのか?」
「はい。あなたのプレイしていたゲームのとおり」
「レアリティ別の排出率は」
「それもゲームのとおりです」
「SSRが一パーセント、SRが三パーセント……もっとなんとかならないか?」
「難しいですね。現在の設備では」
アルカナが首を振る。
四角い祭壇には魔法陣を中心に燭台や宝石が置かれている。これらをチューニングすれば召喚の設定を改善できるらしいのだが、必要な資材が足りない。
それにしても最高レアが一パーセントはなかなか厳しい設定だ。ユーザーとしての立場だけでなく、運営側に立って考えても、もっと確率を引き上げるべきだと思うが、技術的に不可能ならばしかたがない。別の方法で改善を図るしかない。遊歩がそんなことを考えている間に、カーディナルは妖精石の残りを数え上げた。
「あと百回以上は召喚できますね。陛下、とりあえず全部やっておきましょう」
あまりにも平然と言うので、遊歩は一瞬反応が遅れた。
「……いや、勝手に使うなよ!」
「なんだ。貴様は関係あるまい」
「おおありだよ! その石は俺の石だからな!?」
「そうなのですよカーディナル。これは遊歩の石です」
「なにをつまらないことを。この石を使えば前線で苦しむ兵や貧しさに苦しむ民を救えるのだぞ。誰の物か、など問題ではあるまい。陛下もそう思われるでしょう?」
「……まあ、それもそうですね」
「いやいやいや。なにも俺だってケチってるわけじゃなくて」
このままでは押し切られてしまう。
遊歩は慌てて説得する。
「けど石ってのは貴重なものなんだ。使うタイミングってのがある。とりあえずガチャ回せばいいってもんじゃない。ピックアップとかキャンペーンとかを狙って……」
そこまで言って気付いた。
ARPEGIOでピックアップとかやってるの見たことねえな。
しかも今は自分が運営サイドだわ。
だが説得は思いがけずうまくいった。
「なるほど。遊歩にも一理あります。妖精石は貴重な資源。備蓄は必要でしょう」
「……くっ。陛下が仰るのであれば」
カーディナルは露骨に残念そうだ。
単に自分の意見が却下されたからではない。遊歩はもう見抜いていた。彼女は英雄オタクだ。だからガチャを回してまた別の英雄に会いたいのだ。私利私欲。なんて浅ましい。でも嫌いじゃない。
「まあ、けど騎士様の言うことにだって一理あるわけだ」
袋から石を五つ取り出してカーディナルに投げる。
「一回だけ。俺の奢りだ」
嘘みたいに彼女の表情が明るくなった。
「恩に着る!」
カーディナルが石を投げる。アルカナが呪文を唱える。光が炸裂して、新たな戦士が現れる。今度は遊歩もすこし高揚した。現れたのは細長い角を生やし、二本の槍を持った女性だった。
「風和の聖騎士――」
「メトエラ!」
遊歩とカーディナル、二人して叫んだ。
風和の聖騎士メトエラはその名のとおり風属性のキャラクターだ。
攻防一体のバランスよい戦闘を得意とする。
「二百年前、ベヒシュタインの戦いにおいて渓谷戦士団を率いて文字通り一騎当千の活躍をした槍の達人。しかし腹心に裏切られ、功績は剥奪、さらに戦士団を追放されて諸国を彷徨った。その後起きたアッコンの戦いでふたたび渓谷戦士団に参加、団の窮地を救い、自分を陥れたかつての部下も寛大な心で許した人格的にも優れた偉大な戦士」
設定はカーディナルが早口で説明してくれた。
遊歩にとって重要なのは性能だ。メトエラ――彼女のレアリティはSR。
SSRには及ばないものの、SRは多くのプレイヤーにとって貴重な戦力となりうる。メトエラはSRの中でも強キャラの部類に入る。思いがけぬ幸運に恵まれて遊歩も胸が躍る。だが誰よりも喜んでいるのはやはりカーディナルだ。
「め、め、メトエラ様……その、わわわ私は……」
緊張しすぎて話しかけることすらできない。
引き当てた功績を評価してしばらく待ってやったが、いつまで経ってもそんな様子なので、遊歩はついに呆れてメトエラをスマホにしまった。カーディナルが激怒するかな、と身構えたがそんなことはなかった。だが、代わりにもっとまずいことが起きた。カーディナルがまた勝手に妖精石を掴み取った。
「おいおいおい。なにやってんだ」
「なにって、召喚するのだが」
「言ったよな。一回だけ、俺の奢りだって。一回だけって」
「だがメトエラ様が召喚できたのだぞ」
「それがどうした」
「この好機を逃す手はあるまい。次も素晴らしい召喚になるはずだ」
「……こ、こいつ!!」
確かにそういう思想はある。
運の『流れ』という概念――この世で最も罪深いオカルトの一つ。
科学的には、直前の引きが善かろうと悪かろうと次の引きにはなんら影響しない。だが人間の体感では、一度善い引きが来ると善い引きが続く、あるいは悪い引きが続いたあとは善い引きが巡ってくる――そう考えがちだ。そして、その直感に己の命運を委ねる人間がいる。ギャンブラーと呼ばれる人種である。
「勝利は珍しく逃げ足の速い獲物だ。見つけたときに捕らえなければ、次に出会えるのはいつになるかわからない。だからこそ機会を逃してはならない」
「格言みたいなことを言ったって駄目だ。お前は今、ヤバい世界に踏みこもうとしてる」
「なにを言っている。たった一回召喚するだけ。石はまだこんなにたくさんあるのだぞ」
「その発想がヤバいって言ってんだよ!」
「どうした落ち着け」
「そうですよユーホ。冷静になってください」
駄目だこいつら。
なにもわかっていない。
ここが異世界だと遊歩はあらためて痛感した。
便利な魔法があり、人々の精神が高潔であっても、ふるめかしい社会には絶対的な弱点が存在する。詐欺的手法に対する経験と耐性だ。ねずみ講というものがある。現代日本ではほとんどの人がひっかからない詐欺的商法。ところがヨーロッパのとある小国ではこれが大流行した。その国は数十年も外部との接触を断ち、商業も未発達で、国民は純朴だった。結果、国民の半分が騙されるという壮大な事件に発展し、遂には暴動が勃発して軍隊まで出動した。
ギャンブルは人間心理の構造的欠陥を突いて判断を誤らせる。
魔法世界にもそういう娯楽が今まで存在しなかったが、存在しても未熟で、彼女らは関わってこなかったのだ。経験豊かな女王も歴戦の女騎士も例外ではない。確率の罠には無力だ。
遊歩はそれほどお人好しではないが、まさに今、沼に沈んでいこうとする者を見過ごせるほど冷淡でもなかった。まして、その軍資金が自分の懐から出ているとなればなおさらだ。
「冷静になるのはあんたらのほうだ」
妖精石の詰まった袋を掴む。
「なにをしている。それを返せ、大使殿」
「一回分だけでいいので、ここはカーディナルに任せてみましょう」
魔術を操る偉大な女王と剣に優れた剛腕の女騎士がじりじりとにじりよる。
遊歩は考えた。
この二人を説得する言葉を。
そして結論に至った。
不可能だ、と。
ならば逃げるしかない。
革袋を抱えて、遊歩は一目散に走り出した。
「どこに行く!」
「待ちなさい!」
彼の正しさがこの世界に理解されるには、もうしばらくの時間を要した。
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