第4話
「俺の考えが浅かった。この世界にも生きている人がいる、守るべき人がいる。そんなあたりまえのことにさっき気付いた。だからあらためて――俺のほうからお願いさせてほしい。この世界を守りたい。そのために協力させてくれ。頼む」
「ユーホ、あなたの申し出を喜んでお受けします。また、この世界の代表者として、あなたの暖かい言葉に感謝させてください。我々の迎える救世主がこのように心優しき御方であることは、まさに望外の奇跡としか言い表せません」
アルカナは遊歩の手を握った。
「共にこの世界を導きましょう、ユーホ」
「これからよろしく」
堅く握手を交わす二人。その傍らに不満そうな一人。
「私は反対です!」
カーディナルがテーブルを叩いた。
部屋にはこの三人以外、誰もいなかった。
話し合われるべき議題が極めて重要だったので、トラブルが起きても不安が広まらないよう、最低限の関係者だけで話が進められていた。当事者である遊歩とアルカナそして女王の側近であるカーディナル。
遊歩とアルカナは早々に投合した。問題はカーディナルだった。
「このような不埒な男を迎え入れるなど、到底承服できかねます」
「さっきのことは本当にすまなかったと思ってる」
遊歩は何度も謝っていた。見てはいけないところを見てしまい、そのせいでカーディナルを怒らせて、事態がこじれている。悔やんでも悔やみきれないミス。
「私からもお願いします。カーディナル、彼を許して」
「うぐっ……しかし陛下!」
女騎士はなおも食い下がる。
「私はなにも個人的な感情だけで反対しているのではありません。陛下のご判断であれば皆が従うでしょう。しかし内心では、私と同じように考える者が少なくないはずです。このような――なんの実力もない男を王宮に迎え入れるなど、にわかに受け入れがたい」
「確かに俺は素人だけど――」
遊歩が反論する。
「それでもあんたたちよりは何倍もゲームに詳しい自信がある。女王様のやろうとしている計画の手助けになれる。このままじゃ計画は絶対にダメになる。俺に任せてくれれば、少なくとも、現状よりは良くできる」
「だろうな。それは認める」
カーディナルもそこは素直だった。しかし――
「それでも私は受け入れられない。これは感情と歴史の問題なのだ。我々、精霊族は悪霊族との戦いに多くの時間と犠牲を費やしてきた。それを何者かもわからない者が、あやしげな知識で、口先だけの立場で介入してくるなど、とても耐えがたい。我々を指導するのであれば、それにふさわしい力を披露してもらいたい」
「そんなことを言われても……」
遊歩の考えでは明確な成果を出すのにどうやっても一ヶ月以上はかかる。
この場ですぐに披露できる力が求められても、ただの大学生である彼にそんなものがあるはずはなかった。ところがアルカナはにこりと笑って
「いいでしょう。ただしカーディナル、あなたにも協力してもらいますよ」
と言った。彼女の提案は遊歩もカーディナルも驚かせるものだった。
「ユーホとカーディナル、あなたたちで決闘をしてもらいます」
王宮の中庭に移動すると重臣たちも集まってきた。
三人の会談の結果を待っていたのだが、それが思わぬ展開になったことで、いくらか動揺している。アルカナは彼らを落ち着かせてから、目的を説明した。
「諸君らには立会人になってもらいます。我らの救世主、ユーホが類まれなる賢者であることは私が保証するが、その武力についてはまだ疑う者も多いらしい。そこで証明の機会を設けました。ここで見たことをよく伝え、民の不安を解消する一助としてください」
つまり遊歩がカーディナルに勝つことを前提にしているが、カーディナルには手加減する様子など微塵もない。両手剣を素振りして、それこそ殺気すら漂わせている。さらに遊歩には防具の一つも与えられていない。このままでは本当に死んでしまいかねない。遊歩は助けを求めてアルカナのほうを見た。すると彼女はようやくなにかに気付いた。
「あ、そうでした。ユーホにはまだ大切なことを話していませんでしたね」
彼女は遊歩のほうへ近づくと、耳打ちして、口早に説明した。
「……それマジで?」
「ええ。もちろんですとも」
アルカナから教えられたのは意外でありながら自然な事実だった。
そうとわかると遊歩も俄然この決闘に自信が出てきた。
「なんとかなるかもしれない。やってみる」
「準備は終わったか」
二人の密談を待っていたカーディナルがたずねる。
アルカナが決闘場から離れると、観衆の誰かが合図して、戦いは始まった。
「いくぞ!」
飛び掛かるカーディナル。
矢のような勢い。
瞬く間に距離を詰める。
遊歩はすんでのところで彼女に向けて、手に持ったなにかをかざした。
スマートフォン。液晶にはとあるゲームの画面が表示されていた。
スマホゲーム『ARPEGIO』の画面。
画面が光を放ち、カーディナルと遊歩の間に一人の少女が出現した。
少女のすがたを見て、観衆の一部がざわめいた。
「まさか……」
「あれは!」
「『水翼の乙女リネージュ』……まちがいない!」
水翼の乙女リネージュ――ARPEGIOのゲームに登場するキャラクターの一人である。
外見は青い翼を備えた華奢な少女。設定は古代に存在した伝説の氏族『セイレーン』の公女。つまり現在の魔法世界には存在しないはずの人物。それが突然目の前に現れたことで観衆は混乱していた。しかしカーディナルは事情を知っているようだ。
「なるほど――これが陛下の言っていた『救世主の力』か」
さっきアルカナから伝えられた事実――それは遊歩がこの世界でもスマホゲームで入手した契約精霊を使役できる、ということだった。遊歩はそもそもこの世界でスマホを起動できるとすら考えていなかった。ましてゲームの中で入手したキャラクターを召喚できるなど思ってもなかった。だがゲームがあくまでこの世界を映す『窓』であったなら、そういうことが可能でもおかしくはない。
「陛下から聞いているぞ。精霊の『分身』を操る力。確かに強烈だが、しょせんは分身。どれほどの実力があるかは怪しいものだ――!」
カーディナルがリネージュに斬りかかる。リネージュは翼で刃を受ける。
ガチリ。刃と羽が噛み合う音がして、両手剣の一撃は完全に止まった。
ARPEGIOのゲームキャラクターには四つの属性が設定されている。地水火風。地属性は水属性に強く、水属性は火属性に強く、火属性は風属性に強く、風属性は地属性に強い。リネージュの属性は水である。対してカーディナルの属性は――
「やはり相性が悪いか……!」
両手剣の刃に炎が揺らめいている。
赤毛の女騎士はその外見通り炎属性である。
つまりこの勝負はリネージュが有利。もちろん遊歩は両者の属性を考えた上でリネージュを召喚した。つまりカーディナルの属性も予め知っていた――外見からの推測ではなくはっきりと知っていた。
カーディナルは相性の悪いことを理解するといったん距離を取った。リネージュはその隙を逃さず水翼の羽を飛ばして追撃するが、カーディナルは巧みな剣捌きとフットワークで凌いでいく。
ゲームにおいて相性は重要であるが絶対ではない。
レベルやスキルそしてレアリティによって覆されることもある。
リネージュのレアリティはSR。そしてカーディナルはSSRだった。そうなのである――カーディナルもまたARPEGIOのゲームに登場するキャラクターであり、しかもガチャで引けるプレイアブルキャラクターなのである。
カーディナルとリネージュの攻防はしばらく互角で続いた。レアリティの差というのはガチャゲーにおいて非常に重要。一つ違えば相性の不利が覆ってもなんらおかしくない。それを考えればこの膠着状態は十分に上出来の部類だ。ただし、とある理由から、勝負がこのまま終わる見込みは薄い。
互角の勝負ではあったが、攻撃するリネージュと逃げ回るカーディナルでは後者のほうが疲労する。漫然と攻防を続ければカーディナルが不利になるばかり。そこで彼女は逆転を狙って勝負に出た。攻撃を何発か受けながらも無理に踏み込んで、リネージュに一撃を加える。リネージュはたまらず引き下がり、それに合わせてカーディナルもふたたび距離を取った。これでいくらかの隙ができた。
マズい――!
遊歩はカーディナルが次にやろうとしていることをすぐに察した。
ガチャゲーにおいてレアリティの差は重要である――とりわけ最高レアとそれ以外に決定的な差が設けられていることが多い。ARPEGIOの場合はSSRだけに固有の、そして強力なアビリティが存在する。
カーディナルの固有アビリティは『燃える大地』。
効果は『火炎の嵐を巻き起こし火の力を高めそれ以外を弱める』。
それが現実として展開されるとこのようになるのか――となかば感心するような気持ちになった。荘厳とも言えるほどの、幻想的で危険な光景が出現した。高熱を発する炎が渦を巻いて決闘場を埋め尽くし、その中を女騎士が悠然と近づいてくる。
こうなっては水属性のリネージュも苦しい。水翼でなんとか自分を守っているが、反撃する余裕は失われていた。これまでとは反対に、カーディナルの攻撃が続き、リネージュの敗北は時間の問題だった。やむをえず、遊歩はリネージュを撤退させた。
スマートフォンの画面が光ってリネージュが消える。カーディナルはその瞬間に遊歩を焼くこともできたが、そうはしない。彼女には彼女なりの騎士道精神があった。
「……予想よりは手強かった。まさかこの技を使うことになろうとはな。しかし、しょせんはこの程度か。悪霊族は強い。数だけでない。腕利きの怪物も存在する。それらを倒すのに、この程度の実力では――私に勝てないようでは、指導者として認めるわけにはいかない」
「私に勝てないようでは? よく言う――自分こそぶっ壊れスペックのくせに」
遊歩は追い詰められていた。
追い詰められていた――まだ終わっていなかった。
彼には最後の手段が残されていた。
しかしそれはあまり気の進まない手段であり、そもそも可能なのかも不確定だった。
それでも追い詰められた以上は、もう、やるしかなかった。
カーディナルの温情が与えたこの僅かな時間でゲーム画面を操作し、この状況を打開しうる唯一のキャラクターを――彼の所持しているSSRで、最もレベルの高いキャラクターを召喚した。
画面が輝き、遊歩とカーディナルの間にまた一人の女性が出現した。
髪は赤く、鎧を着て、手には両手剣が握られている。
その名は炎熱の騎士カーディナル。
まさに今対峙している相手と同じキャラクターを切り札として召喚したのだった。
これにはその場にいた全員が驚いた。
遊歩すらも少なからず驚いていた。眼前に実物がいるのに召喚が可能なのか。不可能でもおかしくなかった。しかし本当に驚いているのはやはり彼以外である。アルカナは意表を突かれ、カーディナルは不愉快さの混じった表情を浮かべ、観衆は騒然としている。
「どういうことだ。あれはカーディナル殿ではないか」
「我々は幻覚でも見ているのか……?」
ただ一人、カーディナルだけは冷静に対応する。
「姑息な手を。私の動揺を誘ったのだろうが、無意味だ」
迷いなく分身に斬りかかる。
分身のほうも冷静に受ける。その技量はまさにカーディナルそのものだ。
オリジナルは舌打ちする。
「ちっ、やりづらい」
二人のカーディナルは数分ほど打ち合った。
卓越した剣技のぶつかりあいは芸術的ですらある。
ただし技量は互角でもその他の条件は互角ではない。オリジナルのほうには疲労が蓄積されている。それが僅かだが隙を生んだ。分身はそれを見逃さない。脇腹に鋭い一撃が入った。鎧と魔力で守られているから致命傷にはならないが、かなりのダメージは免れない。カーディナルはよろめき、しゃがみこんだ。
「勝負あったか」
重臣たちが囁く。
アルカナも決着を宣言しようとした。だがカーディナルは立ち上がった。彼女の目はまだ死んでいない。むしろより輝きを増していた。もっともそれは消える寸前の蝋燭と同じこと。遊歩は彼女を心配して提案した。
「もう終わりにしよう」
「そうだな――これで最後だ」
カーディナルは渾身の力を振り絞ると支えにしていた剣を高く掲げた。
刃は白熱し、太陽のような色に変わる。
ここが正念場だ。
ARPEGIOのゲームにおいて、アビリティとは異なり、すべてのキャラクターに設定されている必殺技――スキル。カーディナルの場合はこれも厄介だった。彼女のスキル『フェイム・アンド・オーナー』は自身が受けたダメージに応じて威力が上昇する。つまり今の状況こそ彼女のスキルが最大限活かされる。ただしこの強力なスキルにも欠点はある。そこを突けるかどうか。
いよいよ輝く刃が振り下ろされる。
「焼き切れ、フェイム・アンド・オーナー!」
「今だ、消せ!」
オリジナルのカーディナルが必殺の一撃を放つ、その瞬間を狙って、遊歩は分身のカーディナルに命令を下した。アビリティ『燃える大地』を解除せよ――という命令を。
これも一か八かの賭けだった。カーディナルのスキル『フェイム・アンド・オーナー』はアビリティ『燃える大地』が発動していないと使えない。そこで遊歩は罠をしかけた。剣で切り結んでいる最中、密かに分身にもアビリティを発動させ、じわじわとこの場に展開された炎の渦の支配権を奪っていった。そしてオリジナルがスキルを放ったそのタイミングで、分身にアビリティを停止させる。これによって決闘場に展開されていた炎の渦は大半が消滅し、スキルも条件を満たさずに不発に終わった。
白く輝いていた剣は静かに輝きを失い、なにも成さずに消えた。
必殺の一撃を潰されたオリジナルのカーディナルは、力が抜けたのか、その場に膝をついた。今度こそ、本当に勝負あり。アルカナが遊歩の勝利を宣言した。重臣たちはざわめき、それから大きな歓声をあげた。遊歩は賭けに勝った。そのせいで油断が生じていた。最後にやるべきことを忘れてしまっていた。だから悲劇が起きた。
そのままになっていた、分身のカーディナル。彼女はオリジナルに目もくれず、戦いが終わるとまっすぐ遊歩のほうへ近づいてきた。そして
「やりました、マスター! 今日も貴方に勝利を捧げることができました!」
などと言いながら遊歩に抱き着いた。
炎熱の騎士カーディナル――ARPEGIOのゲームでは最高レア、SSRのキャラクター。遊歩はこのキャラをガチャで引き当てるために二万近く課金した。ゆえに引いたら当然すぐに好感度を上げた。その結果がこれである。彼女は敵対する相手には苛烈だ。しかし主人に対しては極めて妄信的、いわゆるデレデレなのだった。オリジナルにとっては女王アルカナが、ゲームの分身にとってはプレイヤー、この場合は遊歩が主人である。
遊歩がカーディナルの召喚をためらった最大の理由がこれだった。
ゲームのキャラクターとしてはかわいらしいのだが、オリジナルの前でこのように甘えられると、その……なんというか……。遊歩は慌ててカーディナルをスマホに戻す。だが時既に遅し。
「おやめください、カーディナル殿」
「誰か彼女をお止めしろ」
「こら、やめなさいカーディナル!」
「いいえ、陛下の命といえど今回ばかりは!」
カーディナルが剣を握って自分の胸に突き刺そうとしている。
重臣たちがしがみついて、アルカナも必死に制止するが、従う様子がない。
「陛下に捧げた我が忠誠、それがあのように汚された以上は、もはや命をもって証明する他ありません。どうか、どうか名誉ある死をお許しください」
戦闘不能のダメージを負った彼女を抑えつけるのに、この後、数十分かかった。
騎士の羞恥心、名誉心というのは、かくも強烈なものである。
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