第3話
妖精女王アルカナの本拠地――ゾディアック城。
二重の城壁に囲まれた敷地の中心に王宮が、その周りに兵士や役人の暮らす区域が、その周りに庶民の暮らす区域が広がっている。正門から伸びる大通りは三つのエリアを貫通している。今日、その長い大通りの沿道にはラッパを持った兵士が整列していた。正門の鉄扉が開き、馬車が入ってくると、一斉にラッパが吹き鳴らされた。
盛大な歓迎を受ける馬車の中にいるのはこの城の主、女王アルカナともう一人、異世界からやってきた『救世主』。馬車は進み、王宮の前庭に着いた。そこでまずアルカナが馬車が下りると、赤毛の女騎士が駆け寄ってきた。
「陛下、無事に戻られたようでなによりです」
「あなたも仔細ないようですね、カーディナル」
女騎士の瞳は爛々と輝き、燃え盛る忠誠心が表れている。普段は女王以外のことをほとんど気にかけない、半ば狂信的ともいえる彼女だが、この日ばかりはさすがに事情が違った。ちらちらと馬車のほうに目をやるので、アルカナは笑ってしまった。
「さすがのあなたも気になるようですね」
「い、いえ! そんな! 私の心は常に陛下のことだけで」
「ふふ。よいのです。待望の救世主様ですから――でも、今はすこし都合が悪い」
「どういうことですか?」
「体調を崩しているのです。歓迎の式典はしばらく待つように連絡を」
「はっ、かしこまりました。そのように取り計らいます」
すぐに女騎士は駆け回った。数分と経たずに鳴り響いていた歓迎の音楽は止み、宴会の準備も中断された。救世主――沢渡遊歩は兵士に付き添われて個室へ通された。
遊歩が与えられた部屋はおそらくこの王宮で最高級の部屋なのだろう。壁には繊細な刺繍のされたタペストリーがかかり、床には赤いカーペットが敷かれている。しかしベッドは硬かった。現代文明の洗練された寝具に慣れた贅沢な感性を満たすのは、この世界の技術レベルではどうしても難しいだろう。
小一時間ほど、遊歩はベッドに横たわっていた。
一万円を失ったショックのせいだけではない。
異世界へ来てしまったこと。その深刻さが時間の経つほどに実感されてくる。
それでもずっと打ちのめされてはいられない。ベッドから起き上がると、室内を何周かしたあと、部屋を出た。部屋のすぐ外には兵士が立っていて、当然、呼び止められた。
「お目覚めになられたのですね。お体のほうはよろしいのですか」
「まあ、もともと、体調というより気分の問題だったから」
「ならばよかった。救世主様に万が一のことがあれば、もう我々は……」
救世主とは。また大仰な呼び名だ。
だが利用できそうだ。
遊歩はそのまま通り過ぎようとする。もちろん兵士は制止する。
「お待ちください。どこへ行かれるのですか」
「すこしこの城の中を見て回りたい」
「それは困ります。お部屋にいてくださらないと」
「城の中は危険なのか?」
「まさか! ゾディアック城より安全なところなど、世界のどこにもありはしませんよ。この城が危険だとしたら、それは世の終わりということですね」
「なら歩き回っても構わないんじゃないか?」
「それとこれとは」
「さっきも言ったけど、気分がすぐれない。部屋の中にこもっていたら悪化してしまいそうなんだ。それで本当に体調を崩したら、そっちも困るんじゃないか」
兵士は苦しい表情になった。あと一押し。
「城からは出ない。約束する」
「約束……していただけるのであれば……」
こうして兵士を押しきって、遊歩は城内の散策を始めた。
現代日本で生まれ育った遊歩には中世ヨーロッパ風の王宮が物珍しく、単純に見物して回りたいということもある。しかしそれ以上に探したいものがあった。ここがゲームの、ARPEGIOの世界だと言うのなら、アルカナの他にもゲームで会ったことのあるキャラクターがいるはずだ。あの見張りの兵士も考えてみればゲームの背景にいたような気がしないでもない。
ARPEGIOは異常なキャラ数を誇る。遊歩も少なからず課金して、他のプレイヤーより多くのキャラを所有してはいたが、欲しかったけど手に入らなかったキャラも多かった。この王宮でそれを――しかもゲーム画面を通してではない『実物』を――見られるかもしれないと思うと、だんだん手足に力が戻ってくる。
早足で宮殿を巡回する。だが意外なことに、ゲームで見たことのあるキャラクターどころか、衛兵にすらほとんど会わなかった。なんだこの城は。あまりにも不用心だ。呆れながらさらに進むと、廊下の奥を、サッと人影が通り過ぎた。遊歩は走って追いかけて、角を曲がった。そこで自分こそ誰よりも軽率だったと思い知らされた。
「動くな」
気付いたときにはもう背後から喉にナイフを突きつけられていた。
顔は見えない。だがちらりと見えた人影と、手元足元だけで相手の正体がわかった。
「……ライアか?」
「どうして私の名前を!?」
軽妙な盗賊ライア――ゲームに登場するキャラクターだ。
ARPEGIOのキャラクターは四つのレアリティに分けられている。
上から順にSSR、SR、R、N。
ライアはNのキャラクターだ。いわゆる最低レア。ARPEGIOもガチャゲーの例に漏れず最低レアよりそれ以上のほうがキャラ数が多い。R以上のキャラはほぼ全容が把握できないほどだが、Nのキャラはだいたい知っている。ライアは十回以上引いたことがある。だからわずかなヒントからでも気づけた。
しかしそれはあくまでゲームの話。
現実に生きている彼女はそんな事情まるで知らない。
「正直に答えろ。さもないと」
「落ち着け! 俺は敵じゃない。そうだ、同業者なんだ」
「同業者……アンタも盗賊ってこと?」
「そう。お前は界隈じゃ有名人だからな。知ってて当然だろ」
「ふーん。けどアンタ、変な服着てるわね。目立ってしかたないんじゃないの」
遊歩の服装は現代日本では普通の服装なのだが、だからこそ当然に、中世ヨーロッパ風の世界では明らかに浮いている。
「これは、その、なんだ。俺の正装。絶対に見つからないって覚悟の表れ。この服を着てると気合いが入る」
「それにしちゃ、お粗末な身のこなしだったけどね」
まだ完全に信用したわけではなさそうだが、ライアは遊歩を放してくれた。いずれにせよ、自分の脅威ではないと判断したらしい。声色もだいぶ和らいで、年相応のかわいらしい感じになった。
ライアは緑の頭巾と黄色いチュニックがトレードマークの小柄な少女だ。遊歩の服装を指摘したが、彼女自身も盗賊としてはずいぶん派手な格好をしている。なにか理由があるのかもしれないが、Nのキャラ設定までいちいち把握していない。
「で、アンタ、名前は?」
「……沢渡遊歩」
「ユーホね。りょーかい。じゃ、せっかくだし、一緒に来る?」
「来るって、どこに」
「馬鹿ね。決まってるでしょ――食糧庫よ」
宮殿には宝物庫があり武器庫があり、そしてもちろん食糧庫もある。他に比べれば食糧庫の警備は手薄だ。鍵がかかっているが、手練の盗賊にかかれば開けられないものではない。ライアはほとんど達人だった。三分とかからなかった。
ガチャリ。鍵が開く。
「よし。急ぎましょ」
倉庫の前にも中にも見張りの兵はいなかった。さすがにこれはあまりにも無警戒だ。おかしい――そんな義理はないのだが、思わず遊歩は忠告した。
「これは罠じゃないのか?」
「罠?」
「ああ。だってうまくいきすぎだ。見張りの一人もいない、こんなことがあるのか」
「……アンタ、本当に同業者?」
ライアの目つきが鋭くなった。
意外な展開に遊歩のほうが慌てる。
「ど、どういうことだ」
「今日は『救世主様』がやってくる日。だから兵士たちも外の警備やら、救世主を一目見ようって集まった野次馬の対応やらに出払ってて、宮殿の内側はかなり手薄になってるって――それを知ってて忍びこんだんでしょう?」
「あ、ああ。それはその、もちろん知ってる。だとしてもって話だ」
「なるほどね。でも、それは考えすぎ。臆病なのね。悪いことじゃないけど」
つまり今は千載一遇のチャンスだというわけだ。
それならそれで奇妙だ。
なぜせっかくの好機に、宝物庫でも武器庫でもなく、食糧庫などを狙うのか。
多少の危険を冒してでも、価値の高いものを狙ったほうがいいのでは。
「突っ立ってないで、暇ならこれ持って」
ライアから押し付けられたのは小麦が詰まった袋。彼女はさっきから貴重そうな食材には目もくれず、とにかく腹が膨れるものばかりを集めている。ますますもって盗賊としては不可解な行動だ。彼女はさらに袋三つ分の食料を詰め込むと、ようやく満足した。
「……ふう。ま、こんなところかな。さ、行くわよ」
なんだか流れで彼女を手伝っているが、このまま一緒に逃げるわけにはいかない。遊歩はここで別れることにした。
「悪いけど、俺は他にも用事がある」
押し付けられた袋を返すと、ライアは不機嫌になった。
「ちっ、なによ。役立たず。強欲ね、まだなにか欲しいものがあるの?」
「盗賊に言われたくはないな」
「ふん。私だって好きで盗みやってるわけじゃない。でも家族を食べさせるにはこれしかないの」
「事情があるのか」
遊歩が同情したのを悟って、ライアは嘲るように笑った。
「べつに許されるなんて思ってないわよ。今の世の中、私たちより貧しい人は山ほどいる。王城の中に住めているだけでも信じられないほど恵まれてるわ。女王様だって悪い人じゃないのはわかってる。自分も節約して、国民へ平等に食べ物を配ってる。でもね、それがなんだっての? みんな平等に飢えてるからって、お腹を空かせている家族をそのままにしておく理由にはならない。私はね、私の家族だけがよければそれでいいの」
「身勝手だ」
「ええ。そうよ」
ライアはまったく悪びれる様子もない。
それは根っからの本音なのだった。
「さ、納得できたならさよならね。ま、アンタもせいぜい頑張れば」
ライアが去っていく。遊歩はその背中になにも言えなかった。彼女の言葉を、考えを認めることはできない。だが、説教するような資格も、今の彼にはない。
とぼとぼ、また王宮の中を歩き出した。
一歩一歩、歩くごとに彼の考えは徐々に変わっていった。
この世界は追い詰められている。
自分はそれを救うべく頼られた。
この世界はゲームの世界であって、ゲームの世界ではない。
人が生きている。
ならばどうして、なにを迷うことがあるのか。
決意は固まった。また足取りが早くなった。
遊歩は宮殿の奥へ進み、片っ端から扉を開けていった。
「アルカナ、アルカナ、話がある!」
書斎、図書室、寝室――あちこち開いたがどこにもアルカナはいない。
十五個目の扉を開いたときのことだった。
そこには女性が一人いた。背が高く、赤毛で、なにかを持っていた。
「陛下……陛下……もうしわけございません。愚かな私めは陛下の御前で他の――男になど気を取られてしまうとは、本来なら一命をもってお詫びしたいところでありますが、御意に沿わぬとわかっていれば、なお生きて忠誠を捧げることをお許しください……。陛下、陛下、んんっ!」
アルカナの肖像画を抱きしめてベッドに寝転び、呻き声をあげる女騎士カーディナル。ここは彼女の部屋だった。王宮の中に私室を持っている騎士というのも彼女くらいのものだ。だから王宮で出入りする者は皆、そこが彼女の部屋であることを知っていて、入るときにはノックをする。しかし今日初めて王宮に来た遊歩はそんなこと知る由もなかった。
悪意がなければあらゆる行為が許されるわけではない。
直後、大騒ぎが起きて、アルカナも駆けつけた。
それで一応、遊歩の目的は果たされた形にはなった。
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