ピエロと少年
@SUMEN
第1話
人通りの多い駅前で、赤鼻の奇抜なピエロが一人、黙々とパントマイムをしている。壁があるように見せたり、ロープを引っ張っているみたいにしている。ピエロらしく表情は豊かで、リアクションの一つ一つが大きい。観客は一人もいないが、それでもピエロは黙々と、汗を流しながら、必死にパフォーマンスをする。
彼の名は富田正志で31歳である。ピエロの帽子を外すと、頭が禿げかかっているのが見える。普段は製造系のバイトで生計を立て、休日になると駅前でパントマイムをする。彼の夢はパントマイムで人を感動させることである。しかし観客がつくことは滅多にない。それでも正志は、やり続ければいつか夢が叶うと信じて、今日もパフォーマンスを続けている。
彼がパントマイムに目覚めたのは小学二年生の頃だった。当時初恋で片思いの相手だった女の子が、自分がふざけてやった、ちょっとしたパントマイムで大爆笑してくれたのが嬉しくて、やるようになった。
正志はやや対人恐怖の傾向があり、他人を前にすると緊張してパニックになり、うまく話すことができない。しかし、パントマイムだけは堂々とすることができた。正志にとってピエロになることは、臆病で根暗な自分を忘れることのできる唯一の時間だった。
この日も正志は、いつものようにピエロになりきって、駅前でパントマイムをしていた。通りを行く人の目は冷たかった。
そこに、一人の少年が現れた。彼は少し離れたところから、くすりともせず、じっと正志の演技を見ていた。正志は初めて見る彼に対し、ちょっとした緊張感を覚えた。それでも正志は、なるべく気にしないようにして、パフォーマンスを続けた。
結局、少年は硬貨を投げ入れるでも、話しかけるでもなく、しばらく見てから帰っていった。
その日以来、正志が駅前でパフォーマンスをするたびに、その少年はどこからともなくやって来て、観客となった。次第に彼は、最初から最後まで見るようになった。
正志ははじめ、戸惑いを覚えたが、回を重ねるうちに、少年に親近感を覚えるようになってきた。少年の方も、徐々に笑顔を見せるようになってきた。
ある日、ついに少年が正志に話しかけた。
「おじさんみたいに強くなるには、どうしたらいいの?」
正志はパントマイムをしてピエロになりきっているから、喋ることができなかった。それでも見つめてくる少年に対し、正志は苦肉の策で、甲高い裏声で喋った。
「ハロー、少年」
「無理しなくていいよ」
その一言で正志は肩の力が抜け、素の声で言った。
「おれは強くなんかないよ」
日が沈みかけ、辺りはオレンジに染まっていた。
「いや、人前で堂々とパフォーマンスできるなんて、強いと思うな」
少年の目はきらきらと輝いていた。
「実はぼく、学校でイジメられてて、通えなくなったんだ。それが情けなくて」
正志もまた、中学生のときにイジメられていたことがある。そのときのことが甦り、嫌な気分になった。だからこそ、この少年に何か言って励ましてやりたかった。しかし咄嗟にいい言葉が思いつかなかった。
少年が口を開いた。
「天国にいる母さんが、パントマイムが好きでさ。幼なじみがやってたのを見て、好きになったんだって」
正志はふと思い当たる節があり、話した。
「もしかして、お母さんって、園子って名前?」
少年は目を丸くした。
「何で知ってるの?」
正志は思わず鳥肌が立った。もしかしたら、この少年の母親は、自分の初恋の相手かもしれない。
「そっか、君のお母さんはもういないんだね」
「うん、だから、天国で見守ってくれてる母さんに対して、今の自分が情けなくて。だから、強くなりたいんだ」
「そうか。強くなるのは簡単ではないけれど、演じ続けていれば、いつか本物になるよ」
正志は遠くに目を凝らしてから、少年の方を振り向き、言った。
「君もパントマイムをやってみるかい。よかったら教えてあげるよ」
「ちょっとだけ、やってみる。何か変わるかもしれないから」
もう日はすっかり沈み、辺りは暗くなっていた。街灯に照らされて、大きな影と小さな影が二つ並んで、見えない壁に手を当てていた。
ピエロと少年 @SUMEN
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