第11話 天狗の約束

 大阪、夕陽丘のタワーマンション最上部にある一室。


 呼吸も苦しくなるほど、重い空気が漂う。


 そんな中、裏返った声の笑い声がけたたましく響いて……これをカオスと言わずして、何をカオスと言うのか……。


「考える時間をいただけますか?」


 男性が言った。

 拝み屋役のホームレスが答えた。


「分かりました。二日後また伺いますんで、その時までに決めといてください。」


「はい。」


 そうして、二日後――――。


 楓は複雑な思いで、マツリとホームレスと一緒にあのマンションに向かった。

 あの笑い声の主、あそこまで邪悪な念で、とり殺されかかっているのであれば、罪無き者ではないのだろう。

 しかし、家族に見捨てさせるこの行いは、心苦しい。


 確かに人の依代を手に入れれば、あの娘と話すことも叶うだろう。


 しかし! 体裁だけを理由に、我が子を差し出す親などいるというのか!?


 結局、楓は気が進まないながら、マツリ達について来てしまった。


 そして、


「その、天狗様? に入ってもらうの。やってくださいますか?」


 父親と思しき男性が言った。

 女性は、恐らく母親なのだろう。その言葉を横で聞いて、ぐっと唇を噛み締めた。

 祖父母はじっと黙っている。


 一家は、息子より、体裁を選んだのだ。


 すると、楓は呟いた。


「依代を望んだのは某……。この憤りは筋違いやも知れぬ。」


 そして、


「しかし! 生贄のために設けた子ではないであろうっ!!」


 と、怒鳴った。

 そのため、部屋中に天狗の霊気が発散され、締め切った室内なのに、瞬間的に風が逆巻いた。


 このポルターガイスト的な現象に一家は、震え上がり、ソファーからずり落ちた。


 すると、


「何だ……。玲王クンも可哀想だね。」


 本郷玲王がリビングに現れ、ポソっと言った。

 すると、マツリが訊ねた。


「アンタ。河本夢香こうもとゆめかやろ?」


「知ってたん? ふーん。」


「まぁな。ほんで――――」


「今少し、待っていただけぬか?」


 マツリが話を進めようとしたら、楓が口を挟んだ。


「少し、話をしたい。」


「手短に頼むで。」


 マツリが言うと、楓は黙ってうなずいた。

 そして、楓は河本夢香に問うた。


「何故、その少年を祟ったか?」


 河本夢香はフッと笑って話始めた。


「最初、注意しただけだったの。ローラーのついた運動靴。踵で滑れるの、流行っとったん。アレ、履いたらアカンねんでって。そしたら、コイツ犬の糞、私の靴に入れよってさ。知らんと履いて、翌日から、ウンコ呼ばわりされて……。

 皆、楽しそうにイジメてくるようになって……。それで、学校行かんくなってな。

 久しぶりに外で買い物してん。欲しいスカートあって、でも……コイツおるとか、思わんやん。気づかれてさ、すごい笑ってきて……死にそうやった。だから。」


 楓は、泣いている。

 元来、天狗は義理人情に厚いので、同情したのだろう。

 マツリは、相変わらずの仏頂面で黙って聞いていた。

 そして、彼の一家は怯えきっていた。が、母親が震えながら立ち上がって、河本夢香が取り憑いた息子の前に土下座した。


「ごめんなさい。本当に許されないことをしました。ごめんなさい。お願い……。お願いします。息子を……もう開放してくれませんか?」


 すると、河本夢香はニタァと笑って言った。


「開放? もう遅いし。あたしがやられたことを、そのままやり返しただけやのに、コイツ3日しか持てへんかった。あたし何年も苦しんだのに……。」


 母親は絶望的に、息子イヤ、河本夢香を見上げた。

 そして、河本夢香はマツリの方を向いて聞いた。


「ねぇ。因みにやけど、天狗がコイツに入ったらどうなんの?」


「普通、デカイ霊体が入ったら、入られた人間の自我は消失する。って言っても、体が生きとったら、数十年かけて復活でけるらしいで? よっぽどの執念と根性なかったら、しんどいらしいけど……。まぁ、そんだけやられとったら、自我の消失もクソもあらへんけどな?」


 それを聞くと河本夢香は笑って言った。


「コイツの根性ないんは間違いない無いわっ!」


 そして、河本夢香は天狗の方を向いて話しかけた。


「玲王クンあげるん別に構わんのやけど、何でいんの?」


「某、好いた女子がござって、このままでは話すこともままならん。故に、依代を求めておったのだ……。しかし、この楓、御身の耐え難き嘆きを聞き、真、胸の痛む思いであった。そこで、もし、その少年、自我を取り戻すことあらば、不肖この楓が稽古をつけ、改心させること、ここに誓おう!」


 すると、クスクスと河本夢香は少女らしく笑った。


「天狗さんの稽古て大変そうや。」


「うむ。天狗の稽古は厳しいぞ!!」


 楓は腕組みして答えた。すると、


 あははははっ……


 と、あどけない少女の笑い声が、部屋全体に響いて、空気が軽くなった。

 その途端、本郷玲王はドサッと床にへたり込んだ。目には意思もなく、虚ろな目を天井に向け、口をだらしなく開き、涎を垂らしている。

 そこに、


「ご無礼仕る!」


 楓がスッと本郷玲王の体に入り込んだ。

 そして、


「うぬらは何を情けなくへたり込んでいるのか!?」


 と、本郷玲王が仁王立ちし一家に凄んだ。


「れ玲王。」


 黙っていた祖父が絶望の眼差しを向けた。

 体は確かに可愛い孫なのに、中身はまるで別人である。

 ここで、マツリはホームレスに帰りを促し、喋らせた。


「そしたら、仕事は終わりましたんで、帰らせてもらいますわ。……一つ注意ですけど、側は息子はんでも中身は天狗様。敬意を持って接するようにせんと……。まぁ……神さんに比べて大分人間には優しい思いますけどね。」


 マツリとホームレスはとっとと帰った。

 一家は引き止めたかったが、天狗となった息子が睨みを効かせて動けない。


 その後、

 楓は本郷家の家族全員を引き連れ、河本夢香の遺族に謝罪をしに行った。


 あれだけ居丈高なご両親が、鳴りを潜めしょげ返り、威勢の良かった祖父母はすっかり丸くなっている。

 しかし一番驚いたのが、始終口を尖らせ、反省のかけらもなかった本郷玲王が、


「あまりあるご心痛、本当に、申し訳ございませんでした。」


 と、まるで別人のように誤ってきたことだ。

 謝ったとて許せるものでもない。最後に、河本夢香の母親は、彼の母親に対し皮肉を言った。


「良いですね。オタクの息子さんは生きていて……。」


 一矢報いたくて出した、精一杯の言葉の刃だった。すると、


「もう息子じゃないんです。」


 と聞こえるか聞こえないかくらいの声でボソっと言った。


 え?


 どういう意味だったのか、未だに解らない。


 それからというもの、本郷玲王とその家族は、心を入れ替えたように、娘の命日とお盆にはやってきて頭を下げるようになった。


 そして、つい先日。

 本郷玲王から結婚すると、報告を受けた。


 娘が死を選んだ元凶。


 憎くて仕方なかった。


 でも……自然と彼を祝福できたのだ。

 娘も喜んでいる。

 なぜかそんな気がした。








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