第4話 人を喰わなくなった鬼

 最近とんと人間が不味くてしかたない。

 昔はそれはそれは旨かった。イヤ……楽しかったか?


 助けてくれーとか、痛い痛い痛いとか、何でもしますとか、許してーとか泣き叫びながらのたうち回ってるのを、出来るだけ死なないように、出来るだけ苦しむように、手を千切ったり、足をもいだりするのは実に楽しかった。

 あの表情がいい。

 あの深くシワを刻み、鼻水やら涙やら涎やら全部だしきって光を失った目……。

 あれがたまらず何人も何人も……。


 ところが最近、これがつまらなくなってしまった。


 呻き声を聞いても、以前ほど沸き立つものを感ぜず、表情を見ていてもそんなに楽しくなくなった。


 あぁ、生き甲斐がない。

 しかし、人のようにコロッとは死ねぬ。

 他によい生き甲斐はなかろうか?


 毎週水曜日、小堺はでラーメンを食べに行く。

 仕事と言うのは勿論、ラーメンを食べる事ではなく、毎週水曜日に高架下のラーメン屋にラーメンを食べに来る鬼の観察である。


 この鬼がラーメンを食べるきっかけとなったのはマツリ。


 何でも、人を喰うのに飽きた鬼が、マツリを喰おうとしたのだが、返り討ちにされ末期まつごに「旨いもん喰いたい。」と呟いた。それで、当日まだ11才のマツリが、旨いもんと言われて思いついたものが、ラーメンだったのだ。

 それ以来、鬼は人を食うのをぱったり止めラーメンを喰うようになった。


 もそもこの鬼、近年に入って人を食べていないようで、マツリから聞いた話だと彼が最後に人を食ったのは、将門公が怒り狂っていた頃(戦後直ぐ、GHQが駐車場を置こうと、平将門公の首塚を壊して将門公の逆鱗に触れた。)だと言っていたので、恐らく戦後すぐの頃だと思われる。(一応記録を調べたが、該当するものがなかった。被害届すら出てないようである。)


 それがどうして、マツリを喰おうと思ったのかと言うと、″もう人を食ってもつまらないが、普通の人間じゃないマツリだったら、楽しいかもしれない。″と思っての事だったらしい。

 それから毎週水曜日に、マツリが最初に連れ行った高架下の古ぼけたラーメン屋に、鬼は行くようになった。


 小堺この話を聞いた当初、大層肝を冷やした。何しろ人を補食する鬼が、一般人に接触しているのである。ことと場合によっては大惨事になりかねない。


 ″こらぁ慎重に動かんとホンマにヤバイ。″


 だから直属の上司バカを通さず、上の部長に直接掛け合い対応を協議した。結果、今はいたずらに刺激せず経過観察しかし、万一の場合即座の対応をとれるように、常に見張っておくこととなった。

 それで小堺も、マツリと鬼を見張るため一緒にラーメンを食べに行っているのである。


 この数年鬼は目立った動きも見せず、ラーメン食べに行く以外は、四天王寺の五重塔の屋根の上でボーッと過ごすだけ。

 そんなことを続けていたせいか、なんと鬼なのに角と牙と爪が抜け落ちてしまった。

 正に牙の抜けた寅状態である。

 この時点で、鬼の殺処分という選択もあり得た。上からもやんわり勧められたが結局、経過観察で落ち着いた。と言うのも、マツリが変に気に入ってしまっているし、たかがラーメンと言えど、あの鬼は執着がある以上、″祟る″と言うリスクが生じたのだ。

 だったらこのまま、わざわざ危険を犯さず観察を続けた方がいいと、結論づけた。


 ただ、一回だけヒヤッとするようなことはあった。

 それは一年前、鬼がこんなことを言った。


「ラーメン屋のオヤジ。あのまんまやと死ぬなぁ。」


 と。

 マツリから聞いた当初は、あまり気にしなかったが、翌週の水曜、鬼がいつもより早い時間にラーメン屋に向かったのだ。

 何事かと直ぐ現場に向かったが、時すでに遅し。


 ラーメン屋のオヤジの腹に、腕を突っ込んで何かを引きずり出し喰っていた。

 小堺は血の気が失せた。

 数珠を取り出し、直ぐに対応(鬼を殺そうと)に取りかかろうとしたが、どうもおかしい。

 オヤジがピンピンしている。

 倒れるでもなく血の気が失せるでもなくあっけらかんとつっ立っている。


 どういうことや!?


 その後直ぐにマツリと合流し話を聞くと


「オヤジの腹の出来物を喰った。」


 らしい。


「は!? どういうことや?」


 鬼は何事か、モスキート音のようにキーキーと話しマツリが翻訳した。


「せやから、あのオヤジ腹に出来物あったさかい喰うた。せやないと、ワシもうあそことこのラーメン食えんようになってまう。」


 小堺は悩みながら鬼に訊ねた。


「つまり……、少なくとも、あのオヤジを喰い殺すことは絶体にあらへん言うことやな?」


「せや。」


 小堺は難しい顔をした。


「それは……オヤジ以外の人間は、今でも喰う言うことか?」


 すると


「人間はもうえぇわ。ラーメン以外興味あらへん。」


「ほな喰わんのやな?」


「あー……多分な。」


 多分かい!


 その時、マツリが小堺の服を掴んだ。


「何や?」


 …………。

 マツリは黙って、さらに小堺のジャケットをギュッと握りしめた。まるで小さな子供のように。

 小堺は小さなため息をついた。


「マツリ…………。人命がかかっとる。ワシはどうあっても人間側なんや。」


 するとマツリは、スッと冷めた目をして言った。


「解っとるわそんなん。」


 マツリ、小堺のジャケットから手を離すとパッといなくなった。


「アイツ……。また鬼道使いおって。」


 小堺は頭を抱えた。

 マツリが甘えることなどあまり無いことだ。聞いてやれることなら、聞いてやりたい気持ちもなくはない。

 だが、人命と天秤にかける訳にはいかない。マツリだってそれは解っている………はず。


 しかし、翌日ひっくり返すような大騒ぎになった。


 原因は不明だが、鞍馬山の天狗の大群が大阪の空を飛び回る事態となったのだ。

 当然鬼の処分どころではなくなった。

 現時点で、人間に危害を加える気がないのであれば、後回しということいなり、小堺も天狗の対応に追われた。

 お陰で家にも帰れず三日間結界を張り通しの地獄。

 いつ終息するか目処が立たない……と思っていたら――――。


 天狗騒ぎ5日目の朝、天狗が消えた一羽足りとていない。


 後で気付いた事だが、この間マツリの姿が消えていた。


 そして騒ぎが収まったその週の水曜日、ラーメン屋でマツリから聞いたのが……。


「はぁあ……大天狗のじーさん過保護やでなぁ。息子が家出したくらいで、あーんな大騒ぎしてぇ。」


「………………あ!? 家出だぁ??」


 小堺は呆れ半分と驚き半分で、思わず持ってた割り箸をラーメンの中に落とした。

 小堺はガックリ来た。

 たかが家出(幼児ならまだ解らんでもないが、天狗の小倅と言えばうん百歳)のために、3日間も職場に泊まり込んで、結界の守をしていたのだ。イヤそれよりも


「何でお前がそんなこと知っとんのや?」


 小堺は恐る恐るマツリの顔を見た。するとマツリはにんまり笑って言った。


「さぁ? 何でやろうな?」


 小堺は大きなため息をついた。


 はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……――――――。


「オッサンため息ばっかりやな。余計に人相悪なるで。」


 マツリはラーメンすすりながら言った。


「誰のせいや思てんねん! ど阿呆。」


 小堺はやっとラーメンを食べ始めた。

 マツリと小堺の間に座ってる鬼は、ずずっーとスープを飲み干しげっぷをした。

 この呑気さに、小堺は少々腹立てたものの鬼にやつ当たっても仕方がない。

 結局、天狗騒動のせいで鬼の件は小さく扱われ、だらだらと経過観察が続いている。

 これはこれで良かったのかもしれない。

 だが、


「マツリ……。お前……人間やねんぞ? ずっとこのまま、ちゅう訳にはいかんのとちゃうか?」


 店出て、数歩先を行くマツリに問いかけた。

 マツリは鬼の隣に並んで言った。


「何言うてんの? ウチの命はオカンが預こうとる。どないするかはオカンが決めるんや。」


 小堺は胸の奥をギュッと、ひっ捕まれる思いがして訊ねた。


「お前は……自分の人生を自分のために生きたいとは思わんのか?」


 するとマツリは嗤って言った。


「自分の好きにしてますけど? オカンに下ると決めたんはウチや! よそから口出しされる覚えはないなぁ?」


 そう冷たく言い放つと、マツリはくるっと背を向け歩いた。

 小堺はただただその背中を見るしかできなかった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る