第2話 水子供養

 小堺健治は、出勤前の夕方5時から、見たくないものを見てしまった。

 ただでさえ連日の猛暑で、日が傾いても茹で上がりそうな気温なのに……。


 それは斎藤永愛サイトウエア、普段は″まつり″と名乗っている彼女の胸に、ひしっと、しがみつくやたら大きな赤ん坊(大きすぎて彼女の顔が見えない)。

 しかも、なんだか肌の色が青緑で、体全体に黒いもやがかかっている。


 赤ん坊はグリグリと首を180度回して、小堺を顔の三分の一も占拠した目で、ギョロりと一睨みした。

 小堺はムッとして、金縁のサングラスをかけた顔が、更にどすの効いた顔になった。


「それは一体どこで付けてきたんや! 

 まつり!」


「大きい声出しなや。この前受けた依頼。この子、気ぃ済むまで遊びたい言うてたから。」


「はぁ!? お前っなに考えとんねん!! 気ぃ済むまでっていつや? 分かりやすいくらい怨念か邪念でこごっとるのに、百年相手したかてまだ足らんと、ほざきよるか知らんねんで!? それにこういう人を頼ったりしてくるようなヤツ、一回でも助けてみぃ ! 他のんが次から次へとたかってきよるで! 早よぉ祓ってまえ!!」


「おぉ怖っ! ヤクザのオッサンは怖いなぁ。」


 まつりは赤ん坊を揺すりながら言った。赤ん坊は相変わらず小堺を睨みつけている。


「お前に言われとうないわい! つーか誰がヤクザや! これでも勤続12年の真面目なサラリーマンや! 失礼な奴っちゃな! それよりお前ホンマどないすんねん?」


 小堺は顎でクイッと赤ん坊を示した。まつりは小堺の顔が見えるように横向きになると


「この子はあたしが守るよ? 約束したし。なー?」


 まつりがそう言うと、赤ん坊は彼女の胸に顔をうずめた。

 それを見ていた小堺は、ハァーと地の底まで沈みこむような深いため息をついた。


「何やお前同情でもしたんか?」


「……。」


 まつりは答えずただ顔をフイっと背けた。

 小堺は改めて、まつりにしがみつく赤ん坊をまじまじと見つめた。

 それは赤ん坊の形をしているが、通常の赤ん坊の5~6倍で、目が異常に大きく、グリングリンと目玉を四方八方に動かして、辺りをしきりに見回している。


 普通、赤ん坊の霊と言えば水子。憑く姿も赤ん坊であるが、水子は希に近親者の影響を受けて、悪霊化することもあり、異様な姿になることもある。

 しかし、ここまで人間離れした姿のものは小堺も見たことがない。水子というより妖怪のようだ。


 マツリは人間に興味がない。

 というか育ての親の猫魈ビョウショウ(新世界界隈を牛耳る猫の大妖)や、彼女が昵懇じっこんにしている妖怪以外は極めてドライなのだが、マツリが両親に恵まれなかったからか、こう言う子供が絡んだことには感情的になる。

 小堺は心配した。

 何せマツリの持つ能力は、ただ妖怪や神様など霊的存在と意思疏通できるだけではない、相手に対する同調性が非常に高いのだ。

 だから常に相手に対して、客観性を維持していなければ、自らの精神が危ぶまれる。いつもなら相手と一定程度距離を保てるが、今回は感情移入しやすいモノであるから、小堺は気が気ではない。もしそうなったら元より妖怪側寄りな彼女のことだ。


 本格的に人間をやめてしまうかもしれない。


「まつり!」


 まつりは小堺を見た。


「お前、もうちょっと生きた人間に興味もてぇや。」


 まつりは目を見開いた。


 どこかで、誰かが、同じことを言っていた気がする。


「……………。」


 小堺は眉を潜めた。


「何やねんな? どないした?」


「……それ初めて言うた?」


「はぁ?」


なんもない。」


 まつりはそっぽ向いて、レモンイエローのパーカーを肩にひっかけ、アパートから出ていった。


 バタンっ……!


 ドアを閉める音がやたら響いた気がした。まるで、″これ以上踏み込むな!″と、宣言されたようである。


「このくそ暑いのに……。」


 小堺はマツリの背中を見送りながら呟いた。

 夏でも着ているあのパーカーは、猫魈が与えたもので、季節問わず出かけるときは必ず身につける。

 小堺は頭を軽く掻いた。

 タバコでも吸いたい気分だ。


 まつりとは出会ってもう7年以上。

 彼女をこのまま放っておくと、人間に敵対するのでは? と危機感を募らせ、知り合いの養子に入れた。

 そうすれば、少しでも人間に情がわくだろうと思っての事だった。

 が、その知り合いが亡くなった。

 そのため、後見人として小堺が一緒に住むことにした。


 今年で2年といったところだが、何せ育ての親は妖怪だったせいか、産み親が所謂毒親っだたせいか、はたまた17才と言うと反抗期真っ只中な年頃のせいか、こういった拒絶が度々で、人間の交遊関係は相変わらず狭く、妖怪や神様関連には顔が広い。


 確かに、あんな母親のもとで数年間生きていた彼女が、仕込みは完全に妖怪でも、情をかけて育てた猫魈に懐くのも解る。が、野放しにするには彼女の能力があまりにも危険すぎる。


 幸いにも、猫魈は人間の生活圏に近い猫の妖怪とだけあって、人間には割りと寛容な方だから、マツリも人間を忌み嫌う程ではないし、妖怪に顔が広いと言っても、猫魈に仕込まれてるだけあって筋は通しても、シメる所切る所はしっかりしているから、分別なく能力を彼等に供与しているわけではない。

 それでも、やはり妖怪より人間の方が深く関わることに抵抗があるように感じる。


 小堺は頭を抱えた。

 しかし、思いに耽っている場合ではない。もう出勤時間だ。


 小堺はきっちりと、深緑の似合わないネクタイを締め、ダークグレーのスーツに腕を通すと、手首に木製の長い数珠を巻いて出勤した。 

 角刈り金縁サングラスの、いかにもヤクザなオッサンが、真面目なスーツをきっちり着ているのはなんだか異様であるが、これで地下鉄に乗って毎日出勤しているのだ。

 お陰で、出勤時間は帰宅ラッシュにかち合うのに、周りが小堺を避けてくれるので、快適に乗れる。たまに、頭の悪そうな若者に絡まれることもあるが、それはまぁ問題ない。(いつもしゅを掛けて金縛りにしているから。)


 小堺は大阪上本町駅で下車し、地上に上がると本町筋を北へとぼとぼと歩いていく。途中お巡りさんとすれ違えば、やはり風貌が災いして必ず職質にあうが、名刺を出せば大概は引く。たまに何も知らない新人巡査には、しつこくされて結局知り合いの刑事に電話するはめになることもあるが。

 やがて、駅から暫く歩くとベージュのペンキで塗装された、ボロい雑居ビルに着いた。

 テナントの看板は殆ど明かりが点っておらず、唯一まともに点いている看板は(有)土師はじ清掃だけである。

 小堺はビルに入ると、階段を上がって2階の狭いエレベーターホールを抜け通路の入り口から二枚目の扉へと入って行った。

扉のすりガラスに″大阪市担当課″と書かれたプラスチックの札が張り付いている。ここが小堺の職場だ。


 小堺が勤めている(有)土師はじ清掃は、表向きには、大阪府内の公園等の美化清掃が業務内容で、主な受注先は大阪府や自社仏閣だが、実際は大阪府で管轄する事案や、寺社仏閣に持ち込まれた相談などで事、つまり、神様がどうした妖怪がどうした幽霊騒ぎだ等を引き受け、現場で対処すると言うものである。

 ここで小堺は、大阪市内のエリア担当をしており、毎日寄せられる特殊対応事案を処理しているのだ。


 大阪市は人の数も面積も大きいが、実は相談件数が比較的少な目、その殆どが幽霊騒ぎで祓ってしまいさえすれば終わる事案ばかり。

 何故ならば、大阪市にはがいる。

 主が棲んでいるのは天王寺公園の慶沢園、その名は猫魈ビョウショウ。そうマツリの育ての親だ。


 彼女は縄張り意識が非常に高いため、シマで勝手な真似をしようものなら、たちまちに報復を受ける。

 だから、余所者は敬遠してやって来ないし、神様でさえ一言申し入れる。


 その上、天王寺・夕陽ヶ丘を中心に大阪城に至るまで、自社仏閣が多い地域なので、それらが結界石の役割を果たし、妖怪たちの行動を制限してしまう。だから問題が起こりにくい。


 そういうこともあって、この大阪市担当課は人数が少ない。というか、小堺と元宮内庁務めが大層御自慢な上司バカこと藤原ふじわら安徳やすのりしかいない。


 小堺にとって、ここでの仕事はまずこの上司バカをどうあしらうかに懸かっている。と言うのも何せこの上司バカは、仕事の邪魔をよくしてくれるのだ。

 なんの能力もないのに、いらぬ指示を飛ばし適当に無視をすれば癇癪を起こし、説経節の後は永い永い自慢話。

 この厄介な男をどうにかせねば、仕事が永久に終わらない。だったら早くクビにして欲しいところだが、この男は良いところのお家の出だから会社も恩を売っておきたいので、見映えが良くさして問題の起きにくい、この大阪市担当課に置いているのだ。

 それに、この男元来臆病者らしく、見た目の怖い小堺しかうまく扱える人間がいない。小堺だって仕事量を分散させたいから、新しく課に入ってくる社員には目をかけ、育てるようにしているのだが、セクハラ・パワハラ・モラハラの三拍子揃ったこの上司バカにかかれば、秒で逃げられてしまう。小堺だって本当は逃げたいのだから無理もない。

 小堺は職場に入ると


「おはようございます。」


 と挨拶をしたのだが、デスクに上司バカがいない。どうしたんどろう? と辺りを見回すと、応接室のテーブルに漆塗りの古そうな葛篭が置いてあるのに気づいた。すると


「小堺! 何でもっと早く来ない! 使えないなお前!!」


 とデスクの影に隠れながら毒づく上司バカこと藤原がいた。


「課長。何ですのんこれ?」


 小堺は葛籠を見ながら尋ねた。すると藤原


「しっ知るか!! 結界を張ろうとしたらは弾かれた。おおお前! やれ! さっさと倉庫に仕舞ってこい!」


 と言いつけた。いつもなら詫びもないのかと、ヒスってくるのだが、それよりも一刻も早く葛篭をどうにかしたいらしい。よほど怖かったのだろう。


「……………はぁ。」


 小堺は気のない返事返し、葛籠を開けた。

 すると、中から4、50cm程の頭の大きな猿のようなミイラが出てきた。


 小堺はこれを見ながら、マツリに憑いていた水子を思い出した。


 顔が似ている。


「課長コレ人間の赤ん坊ですよね?」


「はぁ!? ……あぁ。そ、そういえば、そんなこと言ってたな。それより! ほ本体が戻ってくる前に、封印するか、しゃ折伏しゃくぶくしてしまえぇ!!」


 小堺はジロりと藤原を見つめ凄んだ。


「課長。今封印掛けるような真似したら、確実に気取られますよ? そうなったら今憑いてる宿主周辺、えらいことになりますやろなぁ? コレやったら、飛行機落としたり、電車脱線させたり、大規模火災起こしたり……朝飯前とちゃいますか? ここまで被害デカなったら、初動でミスったん一髪でばれますよ? それに折伏言うたかて、本体がない状態で出来まへんて。」


 すると藤原は途端に言葉を失い、今度は顔を真っ赤にして


「もういい!!!」


 と怒鳴りつけ、不貞腐れた顔でデスクに肘ついて座り込んだ。

 小堺は


 後で判子貰うん大変やな……。


 と心底うんざりした。

 小堺は葛篭を抱え、地下駐車場まで降りると社用車の白のワンボックスカーに乗り、天王寺公園の慶沢園に向かった。


 天王寺公園は、大阪市内の数少ない緑が生い茂る所で、妖怪達の貴重なねぐらとなっている。

が、その中にある慶沢園だけは、妖怪が一匹もいない。大きな池まである広い敷地なのに、水妖に至るまで皆そこには近づかない。


 皆、猫魈に遠慮しているのだ。

 勿論、天王寺公園の慶沢園以外には多くの妖怪達が住んでいるが、彼等は彼女の許しがあっていさせてもらっているもの達ばかりだ。

 だから、普段から妖怪だらけの場所ではあるが、目立ったトラブルは起きたことがないのだ。

 小堺が葛篭を抱えてここへ着た理由、言うまでもない。


「あ・オッサン! 何してんの?」


 マツリとその足元には目付きの悪い尻尾が3本の黒猫、猫魈だ。それと……マツリに抱きついていた水子がいない?


「マツリ! 水子は?」


「上。」


 小堺は上を見上げた。するとあの妖怪じみ水子が月に並んで夜空を浮遊していた。


「何やってんねんな。」


「えー? 遊んでるんやろ。……あ。」


 マツリは小堺が抱えている葛篭に気づいた。


「なんやオッサンのとこ行ったんか。坊主も神主もぼんくらやなぁ。」


「やっぱりお前、知ってたんか。」


「ん? 何がー? マンションにおった話ぃ?」


「はぁ!?」


「人住む前の新しいマンションやから、人は死んでへん。」


な。――――――。」


 数の問題ちゃうわい!


 小堺はげんなりとため息をついた。


「で? お前ソレどないすんねん? こっちかて人死にが出てる以上、何もせんわけにいかんのや。」


「あー。落し前つけやなアカンってことやな?でも待ってんのに……。」


 小堺は眉を寄せた。


「待ってる? 何をや?」


「高野山行くんよ。」


「……………………………………………は?」


 最早話が通じない。


 高野山!? 何で!? 

 つーか。行くって、どないして行くんや??


 天王寺駅は近くにあるが、ここはあくまで天王寺公園内の慶沢園。駅もなければ電車もない。

 小堺がこの意味不明な会話に、

頭を抱えていると……夜空の月が一瞬揺れた気がした。

 その瞬間、猫魈が池に写った月に向かってダイブした。マツリも「ややこ!」と叫び水子を呼ぶと一緒に後に続いた。


「ちょっ!」


 小堺も慌てて後を追いかけた。


 ドボンっ――――――。


 底の浅い池のはずなのに、足がつかない!

 小堺は一瞬死を覚悟したが、いきなり体が水面に持ち上がった。


 ぷはぁっ! げほっ! げほっ!


 小堺は、顔から半分落ちかかったサングラスを直しながら、よろよろと立ち上がると、何故か四方壁に囲まれている。しかもなんだか寒い。


「ど……どこや? ここ!」


「高野山。」


 真上からマツリが顔を覗かせていた。


「こ高野山って! こないな所が高野山にあるかい!!」


「あー、井戸だから。」


「なんやとー!? ぶぇっくしゅっ!!!」


「はよ上りぃや。風邪引くでー?」


「どうやて上がったんやお前は! わし、ただの人間やど!?」


「あ。そっか。」


 マツリは

 小堺の目の前には、宙を浮いたマツリの手が差し出された。

 小堺はマツリの手を掴み、何とか井戸から這い出した。

 這い出したその先は、墨を流したように真っ暗な高野山奥の院の入り口。


「もー。ついて来んで良かったのに!」


「黙れや! 仕事やゆーとるやろ!」


「あーハイハイ。オッサン気ぃつけや? 奥の院の手前はから。」


 小堺は辺りを見渡した。

 何もいないはずなのに、辺りには人の声の囁きみたいなのがザワザワ……。

 それに明かりはないのに白いのがたまにフラッとたち現れる。


 なるほど、確かに


 マツリは霊共など構わず、道を外れ山林を分け入った。小堺もそれに続いた。


 一体なぜこんなところに……?


 しばらく進むと、辺りの霊と様子の違うのが一体現れた。

 形がはっきりしている。それは長い髪を垂らし、紅い襦袢の女で、木の根本でうずくまってすすり泣いている。


 マツリはそこで止まった。

 女もすすり泣きを止めた。

 すると、


「ややこや……。」


 消え入るような声で呟いた女は、ゆっくり顔をあげた。

 目が黒い穴のようにポッカリ二つ空き、口元は痩せ骨が浮いている。

 マツリは水子を女に渡した。すると、


「ややこや……。」


 女は水子に頬擦りして、大事に大事に抱き上げた。

 水子は女にひしっと掴み、あれだけの巨体がみるみるしぼんだ。

 そうしてしばらくすると、女と水子はスッと姿を消し気配も消えた。

 恐らく、成仏したのだろう。

 それを見てまつりはポツリと呟いた。


「……………いいなぁ。」


「何がや?」


「何でもない。」


 ″贄にされた赤坊のどこがエェねん。″と言いたい気持ちもあった。

 だが、″親″にも″社会″にも見捨てられたも同然だった彼女には、曲がりなりにも愛情がある母がいるだけでも羨ましいのかもしれない。そう思うと小堺はやりきれない。

 それでも――――、


「………………………………わしは、家でお前を待っとるぞ。」


「キモッ。」


 まつりはくるりと背を向けた。その時、


 フーッゥゥゥ!


 猫魈が牙を剥き出し唸り声をあげた。

 小堺を睨みつけている。


「フフッ。ウチはオカンの娘やで?」


 マツリは笑って猫魈を見た。


















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