第三千六百五十話・君のいた、いま

 

 ――君がいた。


 僕の愛する人によく似た、君が。


 年齢はどうやら少し若いようだけれど、肌の白さは変わらずに。


 髪の長さは違うけれど、その金色はそっくりだ。


 少し目元が丸いけど、その蒼色はうりふたつだ。


 古臭い車のヘッドライトを浴びる君は笑っていた。僕の愛する人が、僕が旅立つ時に見せた笑顔と同じだった。


 君は、そうか。

 んだな。


 彼を。

 ぼくを。


 タイムトラベル用のアンドロイドが間に合わなかったから、無理をおして僕が来たわけだけれど、それはどうやら幸運なことだったようだ。だって、こうして君に会えたのだから。

 代償として僕はぼくの名前さえ思い出せないけれど、あのまま時が過ぎ、記憶が消えていくのを待つよりかはよっぽどマシ。


 覚えているのは、愛する人がという記憶と、大切な人がということだけ。

 それだけで……、十分だ。


 愛する人を悲しませてしまったのは申し訳無いけれど、それは僕がに勝った結果なのだから、僕が後悔することは何一つない。

 まぁ、こうなっていることから察するに、僕は過去に戦争に負けているようだから、雪辱を晴らせた、ということになるのだろう。


 良かった。


 そして、このまま勝ち逃げさせていただくとしよう。


 僕は勢いよく飛び込む――。

 青信号の交差点に。

 彼が押さえつけられている交差点に。

 君の待つ交差点に。


 車が突っ込んでくる、その場所に――。


 ……僕がやろうとしていることに、意味がないことは分かっている。

 本質的に、絶対に二人とも助けるということは出来ない。

 

 ここで彼が終わるという事実は本来どうしようもないことだ。たとえ僕が彼を別の場所に移動させたところで、彼は死ぬ。それが決まりなのだからしょうがない。

 

 このどうしようもない運命を変える――誤魔化すことが出来るのが僕たち、タイムトラベラー。もっとも、彼女がタイムマシンを開発をしない限りは後続は出ないだろうけど。

 未来という不確定な場所から来訪しただからこそ、僕らは運命をいじることが出来る。

 しかしそれも微々たる力。

 せいぜい死ぬはずの、の、ことしか出来ない。

 それに、彼が助かってしまったら、結局のところ彼女も消えてしまうことは変わりがない。

 

 でも、それでも。

 彼らには、幸せな終わりを迎えてほしい。

 僕みたいに、未練を残して過去へと意識が向かないような、幸せな未来を歩んでほしいだけ。


 これは自己満足のわがままだ。


 そもそも、今を楽しむしかない僕らが過去に意識を向けた時点で、もうどうしようもない。どうしようもなく過去を生きる人間には、どうやったって今を生きることが出来ない。

 ここに僕がいるのは、たまたま過去に跳べる環境が出来ただけの偶然きせきであり、当然でもあるのだろう。僕が僕である限り、これは当然なのだ。


 だからこそ、僕は誇ろう。

 僕の歩いてきた軌跡を。

 どうしようもなく後ろ向きで、それでも幸せだった道のりを。


 君も今、きっと同じ気持ちでいるのだろう。

 僕らは似ている。

 君が彼を置き去りにしようとしているように、僕は愛する人を置き去りにしてしまった。


 どうしようもなく、愛してしまったから。大切に思ってしまったから。

 

 ただ、僕が後出しだっただけなのさ。

 

 だから、どうか最期に。

 こんなズルい僕に……、君の名を、呼ばせてはくれないか――?


 近づく僕の気配に気が付いたのか、君は蒼い目を見開いて僕を見た。

 相変わらず綺麗だなぁ。驚いた顔でさえ画になるぜ。


 そんな君の瞳に映る僕は、笑えているだろうか。

 僕を見送ってくれた愛する人のように、大切な人のように、笑えているだろうか。


 そうだったら、嬉しいな、そんなことを思って。


「理太――!?」


「あぁ、じゃあな、夕雨――」


 僕は最期に。

 君の名前を呼んだ。




 ……あ、やっぱりもう一つ。


 これはもう言葉に出来ないけれど。僕の内心に留めておくことにするけれど。

 きっとこれは君のコンプレックスに関わることだ。でも、っておきたい。


 別に君が、だったとしても、君は君なんだから、別になんてしなくてもいいんだぜ。

 らしくもなく敬語なんか使っちゃってさ。そんな配慮は彼には要らないよ。

 ま、そんなことを気にする君も君だとすれば、それはそれでいいかもしれないけどね。

 

 これで本当に最後。ほんと、終わる終わる詐欺で申し訳ない限りなんだけど。


 最後の最期に。

 

 でも。

 僕も一度は、<さん>づけで呼ばれたかったな、なんて思ったりして――。

 




 


 

 


 

 

 

 


 

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