第五十五話・君のいるみらいを

 交差点の真ん中で佇む夕雨と、青を示す信号の手前で向かい合う僕。時折誰かの陰になって見えなくなる彼女だったけど、僕には、彼女しか見えなくて。

 彼女の真っ直ぐな視線が、僕に刺さる。それは心地いい痛み。


 そんな、どうしようもなく僕の一部になってしまったお前に、ようやく見つけた彼女に、伝えることがあった。


 口を開く、身体の水分のほとんどが蒸発してしまったかのような、干からびたミイラのような気分だったけれど、『僕はまだ埋まっちゃいねぇ』と、唾を飲んで、喉を潤して――。


「夕雨……、僕は楽しかったんだ。

 もうなんにも覚えてないんだけどさ、それでも二百四十か月の人生の中で、この一か月が一番楽しかったってことは覚えてるんだ、感じてるんだ」


 朧げな記憶のどれもが、明るく色づいている。

 それはまるで花火のように、真っ黒な記憶の中で花開く。

 値段のつけようもない、大切な僕の思い出たちの、残り火。


 彼女は僕の話を、ただじっと、一瞬たりとも僕から目を離さずに聞いていた。


「――想像できる。

 このまま僕らの関係が続いてさ、夏が終わって、五限終わりにはすっかり日が沈むようになって、暗がりなのをいいことに手を繋いで帰りながらさ、夕食の話をするんだ。僕はらしくもなくわがまま言ってさ、お前は適当にボケながら、それでも作ってくれるんだ」


 刺身の船盛とかな。女体盛りにならなければいいけど。


「そんな関係が何年か続いてさ、僕も働き始めて、夕雨もどこかで働いてるのかな。このご時世だからそんな贅沢は出来ないけど、それでも僕らは愛し合っているから、大丈夫だよね。何があっても、僕らはやっていけるさ。

 そんで僕は時を見計らってプロポーズをする。それはそれは緊張するだろうけど、考えうる限り一番のロマンチックなシチュエーションでだ。これはもうイチコロだね。それで僕らは晴れて結ばれるんだ」


「どんなところをご予定ですか」


 彼女も気になるのか、少し前のめりになってツッコんできた。


「船の上とか?」


「そのセンス『タイタニック』で止まってますよね」


 あ、バレてしまったか。


「じゃどこがいいんだよ」


「それは理太さんが決めてください」


「それじゃきっと科学も進んでることだろうから、月とか小惑星の上とかどうさ」


「それは『アルマゲドン』です」


 夕雨は僕の娘じゃないけれど。というかあの場合僕は夕雨を地球に置いていかなければならない。それは嫌だな。


「とにかく、ウルトラロマンチックな場所で、胸がときめく台詞で、プロポーズして、結婚するんだ!

 結婚式は開きたい?」


「そうですね、妹さんと航一さんと、マナー講師の親御さんを誘って、家の中でパーティーをしましょう。それくらいで充分です」


 母さんどんな顔をするんだろうな、僕のお嫁さんがこんな美人だって知ったらさ。


「そっか。まぁ僕も呼べるような友人なんていないからそっちの方がいいかな」


「でも、ウエディングドレスは着てみたいです」


 夕雨は、少し顔を朱に染めて言う。


「――! そりゃいいな! 絶対綺麗だろうな、惚れ直すこと間違いなしだ」


 僕の瞼の裏に浮かぶ、純白を纏った夕雨は、こちらを振り向いて、幸福そうな笑顔をみせる。

 想像するだけで、胸が温かくなる。


「結婚したあとは、そうだな。何しようか」


「……子どもが欲しいですね」


「ま、そうなるよな。『美少女・中古・3980円』には子作りは可能なのかい?」


「すいません、難しいかもしれません……」


 ……やっぱり、そうか。

 ま、そんなことはどうでもいいんだけどさ。


「あはは、気にするなって。そんときゃ、そうだな。養子を迎えよう。血の繋がりなんて関係あるものか。僕らの愛情をいっぱい注いで、育児をしよう」


「きっと理太さんに似て、臆病な子かもしれませんね」


「そうかもな。そしたらびしっと言ってくれ。こんな綺麗なお母さんの言うことならきっと聞いてくれるさ」


「お母さん、ですか」


「あぁそうだとも」


「理太さんは、お父さん」


「そうなるな」


 僕らは顔を見合わせて、くすりと笑い合う。

 だって、僕らにはまだ似合わなさすぎるから。


「それで、子どもが自立したら、あとはもう自由さ。二人でいろんなとこに出かけよう。ハワイとか」


「いいですね」


「ゆったり流れる時間の中でさ、二人きりで余生を過ごすんだ。きっと楽しいだろうな。あんなことあったね、とか言い合ってさ、のんびりと、ゆったりと」


 ――僕らは、終わりを迎えるんだろう。


「これが、僕の夢だ。僕の思い描く人生。夕雨のいる、未来なんだ。

 どうだったかな」


 問う。

 花火と花火の間の隙間、本来あるべき黒色が、夕雨に影を差す。


「そうですね……本当に、夢みたいです」


 彼女は空を仰いで答える。

 炸裂音。

 光が散って、夕雨の顔をぱっと照らし出す。

 その顔は、苦しそうに歪んでいた。

 

「でも、それは夢なんです。きっとこの先、が叶えてくれるでしょうから、少し待っていてください。そうすれば、必ず――」


「そんな勝手なこというなよ!

 これは僕らの夢だ。

 僕だけの夢じゃない。

 だから、この夢には君が必要なんだ」


 彼女は、すぐさま何かを言おうとして、口を開いて、しかしそのまま俯いて。


「……ですから、それは不可能なんです。私はここで消えないといけないんです」


「消えなくていい」


 僕は頑なに、ただそれだけを返す。


「そうじゃないと、理太さんが――」


「消えなくていい」


「だから――」


「お前は消えなくて――」


 いいんだ。

 そう言い切る前に、彼女が僕の声を掻き消すような大声を上げた。


「だったら見捨てろというんですかッ!

 私の世界で一番大好きな人がになる姿をただ見ていろと言うんですかッ――!!」


 それは叫びだ。

 悲痛に響く、彼女の悲鳴だ。

 瞳には大粒の涙。

 感情でいっぱいになった、彼女の姿。


「あはは……、僕はぺしゃんこになるのか」


 まぁ、そりゃ普通の死に方は出来ねぇよな、と。僕は笑う。

 もちろん、ショックではあったけど、別に口を閉ざすほどではない。泣きわめくほどではない。

 だってそれは分かっていた話だ。予想出来ていた筋書きだ。


 ――よくある物語である。

 死んでしまった恋人を助けるために過去へと赴く。

 そんな使い古された物語の主人公。

 それが夕雨――夕雨のような、誰か。

 そしてヒロインが僕。

 そのくらいの出来事が無い限り、タイムマシンを開発しようだなんて思わないだろうし。


 なによりも、それに。

 彼女が僕だったら、きっと同じことをしたと、確信をもって言えるから。

 それが成功するか否かは、主人公の才能によるだけという話。

 たまたま彼女が天才だったばかりに、うっかりタイムトラベル出来てしまったというだけで。

 これはただの、偶然きせきに過ぎない。


「だから夕雨が背負い込む必要なんてない。本来ここで僕が死ぬはずだった。ただそれだけの話だろ。ならその通りにしよう。

 ここで僕が君を犠牲に生きたところで、それは死んだことと一緒だ。いや、それよりも辛いか。

 だから、僕はここまででいい。

 最期の視界に君がいれば、それでいい。さっきのは夕雨の言う通り、ただの夢物語に過ぎないんだ。

 だから、これでいい。君と今を過ごせれば、未来なんて、いるもんか」


 きっぱりと、はっきりと、彼女に届くように、真っ直ぐ見つめて、僕は告げた。

 これが僕の結論だと。

 これが僕の人生なのだと。


「――そうやってまた押し付けるんですか!

 私に! に! あなたのいない世界地獄に生きろと! そう言うんですか――ッ!」


 地獄。

 そうだな。きっとそうなのだろう。

 愛する者を永遠に失った世界は。愛を失った世界は。


「うん、そうだよ。

 さっき結論が出たんだ。

 僕の他意識過剰は、結局のところただの<わがまま>だったって。

 だから謝るよ。ごめんな。

 お前を愛してしまって。お前に愛されてしまって――ごめんな。」


「――――っ!」


 彼女は力が抜けたように、交差点の真ん中に膝をつけて座り込む。

 そして同時に、僕は彼女に向かって歩き出す。

 

「僕はお前の持ち主なんだからさ、『3980円』も払って買ったんだから、最後くらい言うこと聞いてくれよな」


 彼女を救う、つもりだなんてないけれど。

 間違った世界から彼女を掬い上げるために。

 僕は斜め四十五度の角度で、彼女に向かって手を差し出す。


 僕は死ぬ。

 彼女は生きる。

 ただそれだけのことなのだ。


 交差点は未だ青信号。

 道路の向こうから、ゆらゆらと不安定にふらつきながら近づいてくる、白い光線は、きっと。


「理太さん……っ」


 覚悟は出来ている。

 夕雨は、泣きじゃくりながら、僕の手を握ろうと手を伸ばして――。


「――ごめんなさい」


「――――!?」


 衝撃。

 彼女の声が、一瞬にして遠くになる。

 視界が暗転したかと思えば、僕はいつの間にか地面に仰向けなって、空を仰いでいた。


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