第五十四話・パッと散る花火の色は


 一歩一歩、彼女を探し求めて疾駆するたびに、大切だったなにかが抜け落ちていくように、心の温度が低下していく。それは汗が噴き出すほどの暑さとは反比例して、気持ちが悪い。

 

 初号機のお面。

 蝶の髪飾り。

 水色の浴衣。

 金色の髪。

 蒼い瞳。


 ――いない。

 人込みの中、何度も肩を他人とぶつけながら、まるで罠にかかったネズミが檻の中を逃げまわるように当てもなく、価値も無く、勝ちも無く、走り続ける。


 僕らは戦争中なのだろう。

 だったら一方的に消えるなんて、反則じゃないか!


 目をかっと見開いて、それで視野が広くなるわけでもないのだけれど、僕の全身全霊を以て、彼女の背中を探す。

 あんなに目立つ奴だ、きっと誰か目撃しているに違いないと、お祭りの参加者手当たり次第に訊いてみるけど、有益な情報を得られない。

 

 走る。

 走り回る。

 大通りを外れた裏通り、大通りの奥に座する神社の厳格なる空気に満たされた境内けいだい。ひたすらに走り回っても、彼女の痕跡ひとつ見つからない。


 六時五十二分。

 

 いない。

 僕の隣に、彼女はいない。


 ――――。

 蝶の髪飾り。

 水色の浴衣。

 金色の髪。

 蒼い瞳。

 

 走りながら、、僕はしっそうする。僕は後ろを振り向いて、襲い来る暗闇を直視する。

 きっと、彼女はその暗闇の中にいるのだろうという、直感をもって。


 未来から来た、彼女。まだ見ぬ暗闇の先からやってきた、夕雨のことを。

 改めて、考える。

 僕のために、未来から過去にやってきたカノジョ。


 彼女がなんでここにやってきたのか。

 彼女のゴールは、いったいこの時代のどこにあるのか。


 考える――いや、考えるまでもないことだ。

 僕が今すべきことは、考えることではなく、見つめることにある、そんな気がした。


 僕が夕雨を好きだと思うのと同じくらいに、彼女は僕のことを好きでいてくれた。そんな彼女が別れましょうと言った。

 別れる。

 僕はそれを受け入れられずに、戦争を起こした。


 僕は彼女とずっと一緒にいたくて。

 彼女は僕と別れたい。


 お互いの想いの、正義のぶつかり合い。

 改めて。

 僕らは好き合っているのだ。


 だからこそ、彼女の別れたいという言葉に矛盾を覚えるというのは無理も無いことだろう。

 しかし、言葉としての矛盾はあっても、何でも突き破れる矛なんてありやしないように、なにからでも守れる盾など存在しないように、人間が何か行動をするにあたって、矛盾という言葉は意味を成さない。


 人間が行動することには、何かしらの、絶対的な法則がある。人はそれを信条と呼ぶ。


 政見放送でぶっ飛んだ発言をしようと、選挙公約を高らかにうたいながらそれを実行しなかろうと、客観的に見てそこに矛盾や論理破綻はあれど、行為者からすれば、それは何かの信条があるからこそ(それが無意識であろうとなかろうと)を行っているのだ。

 後者の例にならって言うならば、ただ自分が議員になりたい、という願望であったり。それは周りからすれば選挙公約を守らずに矛盾を言っているように聞こえるけれど、自分としてはそれで議員になれればいいわけだから、矛盾にはなりえまい。


 なればこそ、彼女の言動と行動にもなにかしらの信条があるはずなのだ。

 それが分かれば――というのが一般的な展開であるが、生憎、僕の一か月にはそれへのヒントが多すぎた。


 傲慢に、僕は高らかに、胸を張って言おう。

 彼女は、僕のために行動をしていると。

 まさにその在り方は僕の所有物が如く、彼女の信条は、僕のために尽くすことである――と。


 であるならば、彼女はやはり、僕のために別れを選んだ、ということなのだろう。

 僕にとって矛盾に聞こえるその言葉も、彼女からすればきっと初志貫徹の言葉であるはずだ。


 別れる。

 交際関係の解消、または物理的に距離を置くこと。

 そのどこに僕の利益があるのか……。


 見つめ直せ。彼女のことを。


 ――――。

 ――――。

 水色の浴衣。

 金色の髪。

 蒼い瞳。


 目は人波に彼女を探して、足をせわしなく動かしながら、僕は内面に意識を向ける。


 彼女は未来人だ。

 とても信じられないことだけれど、彼女の話してくれたの話には説得力があった。

 観覧車のゴンドラの中、彼女がメ〇カリで売られていた理由。

 僕らの会話。そんなこと言った覚えはないけれど、僕なら絶対にそう言うだろうと確証の持てる、未来の話。


 それ以外は何も喋ってくれなかったけど、彼女が未来を、僕らの行く先を知っているのであれば。

 その未来に、僕らにとってのだと知っているのならば。

 それは十分に過去へ戻りたいという願望を持つに相応しいのではないか。だからこそここで別れようとした。それがひいては僕のためになるのだから――。


 もう、結論は見え始めていた。

 とびきりの嫌な予感。心臓を鷲掴みにされたような、不快極まりない感覚。


 僕はそれから逃げようと、必死に駆け回っている。


 ――――。

 ――――。

 ――――。

 金色の髪。

 蒼い瞳。

 

 予感を確信に、悪寒を絶望に変える橋は、もう渡されていた。

 

 ――記憶の消去。

 僕にだけにではなく、彼女と関わった全員から、彼女の記憶が、それに付随する日常の景色が、黒く、白く塗りつぶされていく。


 彼女は未来人。過去を変えに来たタイムトラベラー。彼女が、過去を変えるため、ただその一心で生き、駆け抜けた存在なら。

 そして彼女の変えたい過去が改変出来たのなら、目的が達成されたのなら。


 ――彼女の存在が根底から無くなる。

 なんてことは、当然のことなのではないか……?


 僕らの過去せかいが変わったのなら、行き着く未来せかいも違うはずで、そこに、僕の知る彼女は存在しえない。

 残るのは彼女が変えたという結果であり、彼女じゃない。

 ――彼女のいない、僕らだ。


 考えて、思わず足を止める。

 もう、動ける気なんかしなくて。過去が僕を縛り付けて、未来が壁のように立ちはだかって。

 時計を確認する。

 見えない。

 視界がにじんで、見えない。

 提灯の明かりがぼやけて、それはまるでイルミネーションみたいに。

 

 その時、遠くで音がした。

 それは胸に響く、花火の音。

 終わりを告げる鐘の音に似て、その音はひたすらに重く。

 

 ――――。

 ――――。

 ――――。

 ――――。

 蒼い瞳。

 

 もう、何も無くなって。

 僕はすっからかんで、呆然と、立ち尽くすだけの木偶でくだ。

 気づくのが遅すぎた。

 もっと早くに見つめていれば、手を離していなければ。

 意味のない仮定が渦を巻いて、僕を呑み込んでいく。

 夜の空は黒く、水底みなぞこのように、くらく。


 彼女は、送り人だ。

 過去を燃やして、煙を焚いて、あるべきところへと送る、葬儀屋。

 そして最後に自分を燃やす。

 灰にもなれず、煙すら上らず。

 ただひとりでに燃え尽きていく、それだけの。


 何が他意識過剰だ。

 他人のことなんてちっとも見ていなくて、自分に都合のいい他人を作って、ご機嫌取りって言い訳を作って、何の意思も無く、突き通せる我もく漂う死人。

 でも結局はそれさえ自分本位わがままで、自分大事で、嫌な予感がするから止めにするとかほざいて、過去に向き合わず、今を貪り、未来さきを見ず。

 

 何もかも失って、何もすることもなく、ただのうのうと今を貪り続けるのか、僕は――。

 彼女という犠牲を知ることも無く、理解することもなく。


 なんて無様だ。

 なんて醜態だ。

 でも、それが僕だ。


 そう受け入れてしまえば、楽だった。

 あんな一か月なんて知らない、忘れていくのなら、そのまま。

 なにも無かったように、僕は生きていけばそれで――。


 周囲の視線を一手に浴びて、涙を流しながら突っ立つ僕は、何もかも諦めて帰ろうと身体を反転させた――


 させようとした、その時。



 ――そんなぼくを愛してくれたのが、彼女だったのだろう?



 声がした。

 それは聞き慣れた男の声。気持ち悪く思えるほどに聞き馴染みのある男声だった。

 そして同時に、背中を押される。

 お前が向かうべきはそこではないだろう、そんなことを言われた気がした。


 幻聴か、白昼夢か。

 そんなことは、どうでもいい。

 

 僕は、愛されている。

 そして、愛している。

 

 それだけは、残っている。未だ僕の中でくすぶる熱の正体。

 そうか。

 それだけで、十分だったのか。

 

 ――――。

 ――――。

 ――――。

 ――――。

 蒼い瞳。

 

 あの蒼色を、いつだって僕を真っ直ぐに見つめていたあの瞳を、忘れることなんて出来やしない。

 出来やしないんだよ――ッ!


 愚かでもいい、みっともなくてもいい。

 そうだ、そうなんだ。

 僕はお前と一緒に生きていければ、それだけで十分なんだ。

 それが、僕。

 どうしようもなくお前が好きな、僕である。


 他に余計なモノなんていらない。

 だから、

 走る。

  走る

   走る。


 過去を置き去りにして、未来を突き破って、僕は疾走する。


 僕は、お前と今を生きたい――!


 だから、僕は最高の今を生きるために、走り続ける。

 目標なんてない、ゴールなんてない。

 ただ走り続ければ、おのずと。



 ――開けた交差点。青信号。


 

 彼女しか映らないこの目で、僕は見た。


 センスのない人造人間のお面を。

 願いを込めた蝶の髪飾りを。

 淡い水色の浴衣を。

 夜に瞬く星のような金髪を。


 間違いようのない、僕のカノジョ。

 僕の愛する、大切な人。


「夕雨――ッ!!」


 名を呼ぶ。

 僕の名付けた名前を。


 ――瞬間。

 僕の後ろで、花火いまが弾けて、晴れ渡る夜空を強烈な輝きで彩る。

 赤、青、緑。

 彼女の浴衣が、染め直されるように、次々と色を変えていく。


 かこも無く、みらいも無く。

 真っ黒な夜に咲く光の花弁は、孤独に、されど華やかに。誇り高く。


 闇夜に浮かび上がる僕の世界は、鮮烈に色づいて、染め抜かれる。

 

「……理太さんの、ばか」


 上がる歓声に混じって聞こえた彼女のか細い声。

 そして、彼女は振り向いた。

 底抜けに透明な、どこまでも蒼く、そして涙に濡れた瞳を、こちらに向ける。


 炎色反応の光の雨を浴びて、暗闇から照らし出された夕雨は、泣きながら、きらめく涙をこぼしながら、薄紅の唇を歪ませて、困ったように、照れたように、笑っていた。


 ……あぁ、綺麗だ。


 彼女の瞳の中に見える、刹那せつなを現す花火は、この世の色を全て詰めたように、鮮やかで。


 ただひたすらに、美しかった。


 


 

 

 

 


 

 

 


 

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