第五十一話・戦争終結編 地の文谷(じのぶんだに)の戦い


 二十一日が終わる。


 つまり、妹が遊びに来たのは昨日で、帰ったのは今日の午前。そして今は同日の夜中。

 次に目が覚めたときには、ついに戦争の決着がつく日だということだ。


 そんな不安と期待が募る一日だったわけだけど、今日も一日夕雨といちゃいちゃ出来て僕は満足だった。


 熱帯夜。

 僕は布団の上。夕雨は既にベッドで就寝中だ。

 聞こえるのは彼女の可愛らしい寝息と、遠くで鳴く鈴虫の声くらいで、十分に静寂といって差し支えないだろう。

 そんな無駄の無い静かな夜だからだろうか。

 こうして僕が無駄なことを考えたがるのは。


 ……まぁ、そんな詩的な理由ではないことくらい、自分でも分かっている。

 明日、プレミアムロールケーキに苺がのる日。

 夕雨が未来に帰る日であり、僕がそれを引き止める日でもある。

 明日を最終回にしてたまるかよ。

 と決意しつつも、やはり不安な夜なのである。


 僕の不安を煽る要因は主に二つ。


 ひとつ、彼女はいったいなんのために過去へ来たのか。その理由である。


 彼女は、僕が『僕のために過去に来たのか』と問うた時、確かに頷いた。彼女は僕のために過去に来たのだ。

 だが、僕に会うために過去に来た、というわけではないのだろう。それは副次的な結果であって、会うこと自体が目的ではない。

 つまりは、僕に会って何かをするために過去に来た、ということ。

 こちらの方がしっくりくる。

 となると、試験運用の話や一か月後に(つまり明日のことである)帰還することへの説明がよく分からなくなってしまう。


 見当は、ついていなくもない。だけれどもこれは仮説であるし、そんな不吉なことを考えたくもないので、ここで思考を止めることにする。

 ……こんなこと、考えたくもない。


 そして、二つ目――つまりは、僕とその周りの人間の現状について話したい。


 端的に、単刀直入に言ってしまえば、僕には一か月前から今日にいたるまでの、

 今僕を支配しているのは、何か大切なモノがぼろぼろと崩れて欠け落ちていく喪失感と、それが違う何かで埋め合わされていく不快さである。


 渋谷でタピオカを食べたかもしれない。

 肉じゃがを作ってもらったかもしれない。

 彼女が失踪したことがあったかもがあったかもしれない。


 そんな忘れているということを覚えている感覚さえも、最近は薄れていっている気がする。

 そしてそれが僕だけに起きている現象ではないということ。

 昨日妹に確認したのはそのことである。

 やけに夕雨の名前を言わないものだから、嫌な予感がして訊いてみたのだ。


「……うん。なんかよく分からないけど、夕雨ちゃんとの思い出を忘れちゃってる気がするの。最初は名前も思い出せなくて……」


 それを聞いた時は本当に恐怖を感じた。

 

 ベッドですやすやと寝ている彼女は、一か月間僕と一緒にいた、僕の大切なカノジョだ。『美少女・新品(?)・3980円』だ。

 なのにそこに記憶がないだなんて、思い出がないだなんて。

 ――気持ちが悪い。


 世界そのものが、夕雨を否定しているようで。

 例え世界を敵に回しても夕雨を守る、と胸を張って言える僕でさえも彼女の敵になってしまった気がして。



『――私は、私ですよ。

 こうあることを、私です。

 そしてあなたの、私です』



 いつの日か聞いた言葉が、脳内を不気味に反響する。

 思い出になり損ねる、つまり、僕の記憶からいなくなるという解釈。そしてそうあることを望んだ、夕雨。

 

 僕が夕雨のことを忘れるだなんてあり得ない――そんな言葉の説得力は、既に半減している。


 襲い来る無力感に、心臓が握り潰されるように収縮する。

 動悸がして、視界はぼやけ、冷や汗が止まらない。

 苦しい。

 でもきっと彼女の方が苦しいということに、余計に苦しく――。


「――私は、苦しくなんてありませんよ。理太さんが私の味方であり、所有者マスターなのですから」


 激しく鼓動していた心拍音を掻き消すように、ベッド上から声がした。

 やがて夕雨がするりと僕の僕の寝ている布団へ飛び込んできた。


「……だから、地の文を読むなとあれほど」


「分かってしまうのですから仕方がありません。

 恋人が苦しい思いをしているというのに、そのままにしておけるわけがないじゃないですか」


 布団に二人。

 身体のあちこちが柔らかい感触につつまれる。特に胸のあたり。彼女は就寝時に着けないタイプなのか、その感触が直接伝わってくる。


「……私は苦しくなんてありませんから。理太さんも苦しむ必要は無いんです。私たちの戦争はどうあれ明日に終わります。それを楽しみにしましょう」


 ごく至近距離で、まつ毛の数まで数えられそうなほどの近さで、彼女は囁く。


「…………」


「もう、そんな怖い顔しないでください」


「そう言われてもな……」


 さきほどから震えが止まらない。

 彼女を、夕雨を目の前にしてしまったからこそ、すっからかんな自分に気づいてしまって、身体が強張ってしまう。

 すると、夕雨はさらに距離を詰めてきて、というかもはや詰める距離は存在せず、完全に密着する。

 布団の中で、抱きつかれる。僕と一緒のボディソープ(女性用)の甘いにおい。


 温かくて、柔らくて、安心する。それでも彼女はここにいるのだと、そう思えてくる。


「私は理太さんの幸せが幸せなんです。だから幸せでいてください。まぁ、私にどう見られるのなんかお構いなしに震えている理太さんの成長を見ているのは、これはこれで幸せなんですけどね」


 僕の耳に、彼女の吐息がかかる。くすぐったい。


「……夕雨」


 そっと、華奢なその身体に腕を回す。

 あぁ、カエルの寝間着、やたら高かっただけあって、やけに触り心地がいい。すべすべしている。彼女の髪と同レベルのサラサラ度合いだ。


「――んっ」


「そんな声をだすな」


「そんなに乱暴にされたら困ります……っ」


「誤解を招く言葉はやめてくれよ。僕は今豪商の家の引っ越し業者な気分なんだからさ」


 つまりは、すごい繊細に取り扱っているということ。


「――ちなみに追加オプションとして『スーパーご奉仕モード』がありますが、どうしますか?」


「そのネタなんか懐かしい気がするな……、ってのはともかくこの状況だと奉仕の意味が色々と誤解されかねないからやめてくれ」


 その設定生きていたのかよ! と、四週間前の僕がツッコんだ気がした。


「ちなみに『1980円』です」


「予想に反して安いッ!」


「ご購入されますか?」


「買――わん! いいよ。今のままで。僕は今のお前が好きなんだから」


 と言いつつも、数瞬の逡巡に情けなくなる僕であった。


「そうですか。満足できしないかもしれませんよ……?」


 きゅっと、いっそう強く抱かれる。


「んなわけあるか」


 だからいっそう強く抱き返す。

 今のままでいい、と。僕は現状を維持するために戦争をしているのだから。


「……そうですか」


「そうだとも」


 記憶が消えていくのなら。思い出が色あせていくのなら。

 それを感じさせないほど今を過ごそう。

 結局は、そんな在り来たりの決意に落ち着いたのだった。

 在り来たり万歳。僕らは在り来たりな関係で充分だ。


 さて、もうこれ以上は地の文で語ることは出来ないので、ここらでフェードアウトさせていただく。

 そぉーれでは、またあーしたー。

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