第五十話・日常大戦争 の 余談

 今日のピークは明らかにゲーム中の妨害工作プロポーズであり、その後のフォロー――具体的にはプロポーズを冗談だとなんとか弁明し、謝罪するまでのすったもんだであり、つまるところ、今から僕が回想しようとしている内容は<余談>だということになるのだろう。


 僕が顔を熱くしながらさっきのは忘れてくれ、と懇願し、それに真っ赤な顔をした夕雨がどこか不満そうに、それでも納得したように頷いてくれた後、洗面所で歯を磨いているときのこと。正確には、磨き終わった直後。


「お兄ちゃん、いる?」


 それは洗面所に隣接する風呂場から響いた声。家主のよりも先に何の断りもなく一番風呂を浴びやがった妹の、気の緩んだ女声ソプラノである。


「ん、なんだ?」


 歯ブラシを仕舞いながら返答する。僕のは青色、夕雨のは手前のオレンジの歯ブラシである。ま、そんなことどうでもいいか。


「別にこれは何のフラグでもないし、なんとなく、本当になんとなくな話なんだけどさ」


 思わせぶり――にしてはやはり気の抜けた声。妹言う通り、なんとなくな話なんだろう。


「……? なんだよ」


「明日から肉じゃがが食べられなくなったら嫌だよね」


「肉じゃが……? そりゃまぁ、好物だし、嫌だな。いつかは夕雨にも作って欲しいしな」


 きっと、美味しいに決まってる。その確率は百パーセント。ラプラスの悪魔公認である。


「じゃ、明日からずっと雨だったら嫌だよね」


「うん」


 鬱っぽくなってしまうし。


「ずっと晴れでも嫌だよね」


「うん」


 それでは干からびてしまう。


「それじゃあさ」


 改めて、と間を置いて。


「うん」


「――明日私が死んじゃったら、嫌だよね」


「うん、だったら代わりに僕が死んでやるよ。……って、は? どうした急に。宇宙の始まりでも考えちゃったか」


 僕も高校生の時によく考えたなぁ。自分が死んだら周りはどう思うんだろうって。結局結論は出なかったし、そもそも結論なんてないし、幸運なことに僕はまだ死んでいない。

 ただそれだけの話だ。


「それって本当?」


「嘘ついてどうすんだよ。僕はお前の兄だぞ? そんなもん当たり前だろ。わざわざ聞くことじゃない」


「あはは、そっか」


 風呂場のドアのモザイクの向こうで、真衣が呟く。なんというか、らしくない。


「んで、話ってのはそれだけか? このままだと僕の渾身のギャグで無理やりオチをつけることになるけれども」


「まぁ、それだけっていえばそれだけかな。もう一つだけ言わせてもらえば、お兄ちゃんが私を思ってくれてる以上に私はお兄ちゃんを思ってるよ、ってことくらいかな」


「なんだ、今度は妹に対しても戦争けしかけなきゃいけないのか……?」


 今の戦争が僕の夕雨への想いの証明であるように。

 次の戦争では僕の妹への思いの証明をしろと。


「いやいやその必要は無いよ。もう、私は勝ってるんだから」


「は?」


 すると、ドアの向こうから水の跳ねる音がして、直後、伝わる熱気と湿気。妹君が風呂からおあがりになったようだ。不意なことだったので、視界に隅に風呂上がりの真衣を映してしまったものの、一応の配慮はしていたらしく、白のバスタオルを巻いた姿であった。

 

「ほら、こうやって無防備を晒せるくらいにはお兄ちゃんを信頼してるんだよ」


「僕だって実家暮らしの時は半裸で歩き回ってたろう」


「そういやそうだったね」


 というわけで、別に妹の健康的な太ももや、濡れた黒髪に興奮したりはしない。だってお兄ちゃんだもの。ただ男と女との差異を感じるだけである。

 ……お兄ちゃんだもの。


「なぁ、そういやお前のお願いってなんだったんだ? わざわざ僕じゃなくて夕雨にだなんてさ」


 そう、レースで勝利した妹の『お願い』とやらは僕とのデートの約束ではなく、夕雨に向けられたのだった。風呂に入る前、二人はわざわざ外に出て何やら話し込んでいたので、そこでお願いを伝えたのだろう。


「乙女の秘密ってやつだよ。大丈夫だよ。お兄ちゃんを害することじゃないから」


「夕雨を害することでもないんだよな」


「にひひ」


 そうはにかんで、返事の代わりに、ウインクをひとつ。自分を可愛いとでも思っているのだろうか。

 僕は可愛いと思います。


「ま、それならいいんだけどさ。僕のカノジョに無理させんなよ」


「僕のカノジョ、ねぇ……」


 妹はそう呟いて、18禁への抑止力であった布一枚を平然と脱ぎ捨て、お構いなしに着替え始める。

 そのままというわけにもいかないので、僕は一旦洗面所を出たところで壁に背をもたれて会話を続ける。


「んだよ。釣り合ってないってのはもう聞き飽きたぞ」


「いやいや、もうそんなこと言わない。あんなに愛されてるんだもん、妹に口を挟む余地なんてないよ。ま、個人攻撃は続けていくけど」


「お前そんなS設定だったか?」


「からかい上手って言ってよ」


「お前名字興野だろ」


「殴るよ」


「からかい下手過ぎるっ!」


 人はそれを暴力という。もれなく『2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料』を科されます。


「それで、いつまで私の着替え覗くつもりなの? 完全に出るまであと十分くらいかかるよ?」


「長いな」


 それに覗いてなんかいない。

 ま、ここからでも洗面台の鏡を利用すれば覗けないこともないのだけれど、そんなことをしたら各所から抗議の声が聞こえてきそうなのでやめておく。

 まあ、兄の色眼鏡を外してみても妹は十分に美少女なので、妹の裸体の描写次第では称賛の声も聞かれそうではあるのだが。もちろんしないけど。


 ポニテ解くと一気に女の子のらしくなるんだよなあ······とだけ言っておくことにする。


「乙女ってのは手間と時間と小間こまを使うの」


「小間使い?」


「お兄ちゃんのこと」


「そんな気はしてたよ」


 ま、実家を出てから妹にパシられることもなくなったけどね。それを寂しいと思ったことが何度か。不自由さも、時には郷愁の対象になるのだなと勉強になったものである。

 だから。だからさ。

 どんなものであれ、あったものが無くなるのは寂しいからさ。


「……お前は僕より早く死ぬんじゃないぞ」


 フラグではないと前置きをされていても、不安になるのが人間のさが


「わぁ、シスコンだぁ~」


「あぁ、お兄ちゃんは妹が大好きだ」


「気持ち悪いね」


割とガチのトーンで言われた。


「なんとでも言え」


「そ、じゃ言わせてもらうけど。私はお兄ちゃんに好かれようと嫌われようとそんなの気にしてないから。別にビッチと思われてもいい」


「思われるようなことはしないでくれよ」


「親のかたきだと憎まれてもいい」


「同じ親だけどな!」


 お前の仇は俺の仇。俺の仇は俺の仇。

見事なジャイアニズムである。


「それでも、私はお兄ちゃんの妹だから」


 真衣は言い終えると、手をパチンと叩いて、


「――ほら、もういいでしょ妹回は。早く……早くカノジョさんのところに行ってきなよ。結婚するんでしょ?」


「戦争から帰ったらな。あ、最後に一つ訊いて――、聞いておきたいことがあるんだけど」


 僕はその答えを貰って、少し憂鬱な気分になりつつ、夕雨のいるベッドへと向かった。


これが<余談>

 確かに妹の言ったことはフラグではなかったのだけど、夕雨の宣告した期限まであと二日まで迫ったこの日にわざわざ妹が来た意味を、僕はよく考えていなかったのだ。


 だから<余談>なのであり、本編になりえぬものであり、つまりは僕の油断なのだ。

 

 






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