第四十七話・遊園地大戦争 観覧車編

ところで、『よこはまギャラクシーワールド』の真骨頂は夜のイルミネーションである。イルミネーションというか、

 空間そのものにホログラフィを投影するホログラム技術を用いたショーは圧巻の一言であった。

 このショーに関して、空気中の水分子をどうにかして実現した――、というニュースが流れていたのを思い出したが、内容はよく覚えていない。

 まぁ、自分のすぐそばを鮫やらエイやらが飛び回る光景を前にすれば、理屈なんてどうでもよくなるに違いない。現に僕はそうなったし。


 よく分からないものは、よく分からないからこそ面白いのである。トイレの花子さんは腹を壊した清掃のおばちゃんでした、なんてのは夢が無さすぎるであろう。

 

 そんな幻想的なショーに包まれたのは数分前のコト。

 僕らはコーヒーカップの他にもお化け屋敷やフリーフォールなども体験して、遊園地を十分に満喫した、というのが数時間前のコト。

 ところで、やはり最後にはアレだろうということで、夕雨と二人、関東圏最大を誇るこの観覧車に乗車した、というのが現状である。


 窓の向こうに見える青白い三日月。眼下には仮想の海が広がる。

 科学技術の発展、人類の栄華を感じる光景。かの藤原道長が見たのなら、どのように詠うのだろうか。

 

 この世をば

 わが世とぞ思ふ

 望月を

 もう一つくらい

 作れそうだね


「……何故藤原道長なのですか?」


「いや、栄華つったら道長かなって思っただけで、特に深い意味は無いぞ。

 ――というか僕にとっての一大事は、僕はこれから地の文を読まれるの前提で思考しないといけないのか、という危惧なんだけども」


「いえ、これは一種の演出みたいなものですので。種明かしをすれば、理太さんが藤原道長を思っているような顔をしていたのを私が発見しただけです」


「全然種明かしになってない……」


 というか道長を思ってそうな顔ってなんだ。試しに眉毛を触ってみるけど、まろ眉になっているようでもない。

 それに、これ以上突っ込んだところで新たなボケが創出されるだけなような気がしたので、これでやめとする。

 時間は有限なのだ。特に僕らにとってはね。


「なんか未来っぽいですね、虚空を魚が泳ぐだなんて」


 正面に座る夕雨が、蒼い目にホログラムの光を宿して言う。


「未来人のお前が言うと説得力ないな」


「私は研究に没頭していたようですから、研究室の外については無知なのです。それに、私もそこまで未来を生きていたわけではありませんから」


「ん? どういうことだ?」


 なんかやけに他人事というか。そんな印象を受ける。


「いえ、気にしないでください。未来でも、というか様々な科学が発展した未来だからこそ、科学・生命倫理については厳しく議論がなされていまして、その結果から鑑みるに、私の存在はどうやら好ましくないようでして」


「は? そんなわけないだろう。僕のカノジョになんてこというんだ、未来人は」


 思わず口から飛び出した台詞を聞いて、彼女ははっと僕の方を見て、


「そうですよね、私はあなたのカノジョなのですよね。ふふっ、うれしい――」


 頬を緩ませて、ニコリと笑う。最近、彼女はよく笑う。

 うん、やっぱり笑ってる夕雨が一番綺麗だ。


「しかし、これはあまり私も口にしたいとは思えませんので、秘密にしてもいいですか? 私は、エヴァでもなんでもない、理太さんのカノジョということにしておいてくれませんか?」


 もちろん、詳しく訊きたいという気持ちはある。恋人として不穏な言葉に説明を求めたいとも思う。けれど、真に向き合うべきはそこではない、向き合うは彼女の未来かこではなく、僕たちの将来みらいだと思うから。


「そうだね、夕雨がそういうのならいいさ。まぁ少なくともエヴァではないと思うけど」


「ところがどっこい、ってこともありますよ?」


「そんなオチだったら僕は何を信じて生きていけばいいんだろうな」


 観覧車はもうすぐ頂点。光の海は段々と遠く、黙する三日月は更に近づき。

 夜をまとい始める夕雨の姿は、『3980円』とは思えないほどに美しい。

 手放すには、あまりに惜しい。


「なぁ夕雨――」


「なんでしょうか」


 僕を見つめる、青い瞳。


「何回でも言うけど、やっぱり別れたくないよ、僕は」


「私だって別れたく――いえ、そのために戦争をしているのですよね、私たちは。現在私が二勝リードしていますので、それにはお応えできません」


 彼女は、じぃっと月を見ながら、返事をした。確かに、戦争を始めたのは僕だけど、そういうことではなくて。


「僕じゃ頼りないかもしれないけど、きっと、夕雨を幸せにして見せるから、だからさ――」


 すがるように、救いを求めるように僕が言ったところで、彼女は僕の台詞に被せるようにして言葉を返す。


「それは無理ですよ」


「っ――!」


「私はもう、これ以上幸せになれませんから。今の私は、もう十分に幸せなんです。

 ヒトには幸福の許容量キャパシティがあります。今まで人生の功績や不幸に応じて、享受できる幸福の量が決まっているんです。幸せな人がずっと幸せだったら、この世の仕組みがおかしくなってしまいます」


 上昇し続けるゴンドラ、深くなっていく暗闇の中、彼女は微笑をたたえて続ける。


「今まで、私はずっと幸せでした。理太さんに買われた時から、出会ったときから、私はずっと幸せでした。

 最初は手探りで、ちょっと過激なこともしましたが、それでも、私は幸せでした。

 でも、私は、私が幸せになるためにここに来たわけではありません」


 ――理太さんに幸せになってもらうために来たのです、と。

 

 彼女は、夕雨は、僕の予想通りの言葉を吐いた。


「これは幸せの前借りのようなものです。

 ですから、幸せは返さないといけません。それが一か月後だっただけの話です。

 最初から言っておけば、というか、私がこんなこと言わなければ良かったんですよね。私がわがままになったばかりに……それは申し訳なく思っています。

 やはり、私は買われたのです。所有物は、所有者のために全てをけるべき――」


 彼女の懺悔ざんげは。

 独りよがりの勝手な言い分は、そこで終わった。


 ――僕が、終わらせた。


 僕の胸に、彼女の小顔をうずめる。

 両腕を彼女の背中にそっとまわす。

 これ以上何も言えないように、彼女を抱きしめる。

 強く、優しくを心掛けて。


「何が『美少女』だ。何が『新品』だ。何が『3980円』だ……!

 お前が僕のモノなら、お願いだから言うことを聞いてくれよ!

 僕は……夕雨が幸せならそれでいいんだ。夕雨の幸せが僕の幸せなんだ。

 だからお前は僕の分まで幸せになっていいんだよ。許容量なんて気にするな。幸せなら幸せのまま生きていればいいんだ! それじゃあ……あまりに救われないじゃないか……ッ!」


 栄枯盛衰。

 盛者必衰。


 何故栄えたものが滅びなくてはならないのだ。そんな決まりはこの世界にどこにもないじゃないか。

 僕らはおごってもいないのに。他人をおとしめてもいないのに。

 僕らはただ、二人でいたいだけなのに。


 そっと、ぎゅっと抱きしめる。

 華奢きゃしゃな身体。

 僕の体温と彼女の体温が交わる。安らぐ温もり。


 僕の胸に存在する熱を感じてしまうと、僕は悔しくなって。悔しくて悔しくてたまらなくて、涙があふれる。

 僕は、

 こんなにか弱い女の子に、なんてものを背負わせてしまったんだ、と。


 はたから見れば、突然彼女に抱き着いた男が泣き始めるという光景は異様に映るのだろうが、夕雨は、そっと僕を抱きしめ返してくれて、


「一応、私がメ〇カリで売られていたのにも理由があるのです」


その声は我が子をあやすような、優しさをびて。


「……なんなんだよ、それは」


 鼻水をすすりながら訊くと、彼女は「これは過去の話ですし、パラドクスには関係ないでしょう」と前置きをして、答える。


 ――以前、私は尋ねたそうです、と。


 ……それは実にくだらない話だった。

 たったこれだけの会話で、違う世界の僕の安いジョークで。

 彼女は、彼女の値段を決めたそうだ。

 普通に出会ってもよかったそうだけど、どうせならインパクトのある出会い方をしたかったらしい。


 はぁ、なんだか一気にシラケてしまった。

 僕は彼女の元から離れる。


「もういいんですか? そのまま手籠てごめにしてもいいんですよ?」


「なんかそのノリ久しぶりのような気がするよ。とにかく、やっぱり僕はまだ納得できない。戦争続行だね」


「いいですとも、受けて立ちますとも」


 ゴンドラは頂点に差し掛かる。

 僕らはこれから、降りていく。

 ゆっくりと。

 幻想の光に包まれて。

 

 



 

 


 


 

 

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