第四十二話・「言えません」


 

 ……僕は、身を引くべきなのだろうか。


 僕の願いと彼女の願い。

 どちらかが叶えば、どちらかが叶わない。

 単純な話。この世の縮図。

 願わねば、起きるはずも無かった闘争。

 自らの届く範囲の幸福で満足していればよかったのに、僕は、変わってしまった。彼女もまた、変わってしまった。


 ただ一緒にいられればそれだけでいいのに。


 僕が引けば彼女は幸せになる。僕が折れるほどの覚悟を、彼女は持っている。

 でも、でも、でも――折れてもいいとは、思えない。

 受け入れることなんて出来なくて、彼女と離れるなんて嫌で仕方が無くて。

 僕は夜通し彼女に問い詰めた。何故一緒にいられないんだと。


 しかし、彼女の答えは、あまりにも冷たかった。


「……言えません」


 その一点張り。苦しげに顔を歪めるでもなく、彼女は淡々とその言葉だけを返す機械を演じていた。

 彼女は僕が好きだと言った。

 なのに、何故、別れる必要があるんだ。


「……言えません」


 未来に何があったってんだよ。


「……言えません」

 

「夕雨……」


「……言えません」


 言えない、言えない、言えない――。

 繰り返されるその言葉は、誰かを傷つけるためなんかじゃなく、きっと大切な宝物を守るための盾なんだろう。

 その宝物とはきっと、僕のことだろう。自惚れうぬぼれだとあざけられても気にはすまい。だってそれは真実だ。

 彼女は僕を守るために僕に盾を構えている。僕は彼女の宝物であって、それを守ることは自分の幸福を守るということになる――否、僕を守っている状況こそが、彼女の幸せなのだろう。彼女がそんな人として理想的で、異常な利他性を持っていることは、これまでの生活で知っている。

 

 愚かな闘争だ。唾棄すべき独りよがりの愛情だ。愛とはかくも矛盾するものなのかと、息が苦しくなる。

 守りたいがゆえに、拒絶する。真実を知る権利を剥奪する。


「あ、でも今の私のパンツの色なら言えますよ」


「いや、え、い、言わなくていいから……」


 なぁ、それってこの鬱屈とした熱帯夜(というか早朝)の空気を少しでも晴れやかにしようという気遣いからの発言なんだよな。そこまで考えでもってシリアスシーンをぶち壊したんだよな。


「ちなみに最初のキャラ設定ではこんなパンツパンツ言う設定じゃなかったんですけど、一度言ったら意外にハマってしまった、とかいうノリでの発言ではありませんよ」


「最初のキャラ設定っていうのは僕と出会った当初どう仲良くすべきか探っているときの状態って注釈をつけたうえでパンツ発言に趣味を見出すなそしてそういうノリでの発言だということはよく分かったからそんな安易にキャラ変した自分を自嘲しつつこれからは自重していただけるとありがたい!!!」


 怒涛のツッコミ。迫真の感嘆符三連撃であった。


「ちなみに今は赤の勝負下着です」


「さっき黒って言ってたじゃん!?」


 もうなんか嫌だ! いつの間にか下ネタもいけるカノジョになってたのも嫌だし、下着の色を覚えていた僕も嫌だ。僕もタイムトラベルして強くてニューゲームしたいよ。


 まぁ、このように。人は変わっていく。


 けれど、簡単には変われない。平気なフリして今頃照れ出して、頬を朱く染める彼女のように。


 舌足らずの自己主張を覚えて人生の守護が”I"になったところで、目的語には"YOU"がいることに変わりなく。

 完全に自立出来ぬまま変わってしまった僕らの定め。

 人間に相互理解なぞ不可能なんだ。

 それでも、ひと月前の僕は探し求めていた。見えぬ他人の背中を、他人の心象モノローグを。

 それが叶わぬ望みだったとしても、その姿勢が間違っていたとは、僕は思えない。

 愚かだったとは思う。だからこそ変わったのだけれど、それは正しい判断だったのか?

 

 成長とは、変化とは、そんなに良いことなのか……?

 下ネタという評価の分かれる芸風を覚えた彼女を見て思う。

 

 駄々をこねなくなった。それを大人になったと人は言う。

 でもそれは妥協を覚えただけなのではないか。ていのいい諦めの言い訳を身に着けただけなのではないか。


 自分の意見を言えるようになった。それを人は強くなったという。

 けれど、それは他者を理解しようとする弱さを失ったということではないのか。


 屁理屈だとは分かっている。そんなことを言い出せばキリが無いのも分かっている。

 けれど、思わずにはいられない。

 僕が他意識過剰のままで、お互い同じ方向を見る関係のままだったのなら。

 別れを知ることも無く、別れを悲しむことも無く。僕たちはあと一週間、平和に暮らせていたのではないか、と。


 ……でも、お前は僕の目的語になった。お前は、僕の主語でなくなった。

 だからこそ僕は僕の幸せを見つけられた。だからこそ、お前は固定化されてしまった。本当のお前との、乖離かいりが始まったのだろう。


 でも、それでも。僕の世界の夕雨と本物の夕雨との間に違いが生まれたとしても。


「僕は君といられれば幸せで。君は僕といられれば幸せ。

 そこに、なんの破綻があるんだよ、夕雨……!」



「……言えません」


 夕雨の枝垂れた前髪が顔に黒い影を落とす。

 ――そう言うと思ったよ。

 君にも僕と同じような論理があるのだろう。

 きっと、それはくつがえしようがないのだろう。


 あぁ。僕らはどうすればいい。

 こんな時、僕らはどの道に進めばいい……?


 この夜、結局答えは出ずに、夜はどんよりと明け、僕は一睡もしないまま大学へと向かった。


 こんな時に『尋ね人ステッキ』でもありゃいいんだけどな。70パーセントの確率(で尋ね人のいる方向を向いて倒れる)でもいいから、何か頼れるものがあるとないとじゃ、大違いなのである。

 『尋ね人ステッキ』。僕的には『鉄人兵団』で出たヒミツ道具ってイメージが強いんだよね。あの映画の印象的なエンディングは未だによく覚えている。切なくて、それでいて希望を感じさせる、あの自己犠牲の少女の結末を。

 

 あ、そういえば。

 歩きながら思う。


 あいつ、ドラ〇もんに会ったことあるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

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