第三十四話・そういえば単位がかかってるんでした

 おい待てよ、と。

 

 ぐうたらして、夕方。日テレお馴染みの黄色いお天気マスコットをぼんやりと眺めていると、ふと思い出したことがあった。


 じわり、汗がこめかみを伝う。

 

 あまりに致命的な状況に汗が止まらない。エアコンを除湿から冷房に切り替えても、汗が引くことはない。

 そして血の気はとっくに引いている。テレビ画面に反射する僕の顔は蒼白だ。


「――どうしたのですか? 大分顔色がチーズみたいになっていますが」


「チーズつっても色々あるからな? その言い方だと顔色が『モッツァレラ』な可能性もあるんだからな? それはなんか健康的で良さそうだけど」


 彼女が言いたかったのは『ブルーチーズ』のことだろうが、正直僕以外に伝わらないと思うぞ、そのボケ。


 と、ツッコみ終えたところで、隣に座っていた夕雨の視線が、スマホの画面から、僕の方に映る。ちなみに彼女が開いていたのはツ〇ツ〇というスマホゲームである。「古風でいいですよね」とのことだったが、正直その感覚は分からない。道行く自動車を見て「いいですね、エモいです」とも言っていたし、彼女の感覚はやはり独特だ。最新型の電気自動車(自動運転付き)にエモさもニモさも無いと思うんだけどな。


 ともかく。現実逃避はここでやめにしよう。

 

「……来週から大学のテストだわ」


 夕雨のことですっかり失念していた。

 そう、来週からは怒涛のテストウィークなのだ。それを終えれば楽しい楽しい夏休みなのだが、残念ながら今の状況でそんな明るい未来を想像するのは難しい。


 単位単位単位単位単位単位単位単位単位単位単位単位。

 単位が、欲しい。三千円くらいなら出すから、単位が欲しい。

 高い学費を払って一体何を学んでいるんだ、とも思うことがある僕ではあるが、結局のところ行きつく先はただ一つ。

 単位が欲しい。

 ほんと、大学生ってなんなんだろうね。


「テストですか。対策は?」


「してたらこんな風にそ〇ジローが青く見えやしないだろうな」


 ちょっとしたホラーな視界である。落単という言葉にはこれほどの重みがあるのだ。だったら勉強しとけって話なんだけど、それは大学生にご法度な台詞だからね。


「明日は経済とドイツ語でしたっけ」


「西洋美術はレポート出し終わってるからそうなるな――って、何で知ってるんだ?」


 こいつと講義受けたことなんてあったっけか。食堂にはほぼ毎日のように来てるけど。うーん、まぁどうでもいいか。


「私は理太さん学を履修してますので」


 彼女は胸を張って言った。こう隣に並んでいる状態で胸を張られると、男と女の違いを実感してしまうというか、なんというか。シャツの文字が歪んでるのとか、うん。

 自制ッ!


「……中身薄そうだな」


「テストは理太さんに告白させることです」


「我ながら鬼だと思うぞその課題」


「――だから、合格者は私だけです。ふふっ」


「――!」


 夕雨はにかっと笑って、身体を僕の左肩に預けてくる。伝わる柔らかい感触。絹糸のような髪がくすぐったい。

 やっばい。甘いよ甘すぎるよ。

 本当に人が変わったみたいだ。


「理太さん、意外とちょろいですよね。他の女の子に同じことされたらなびいちゃいそうです」


 すぐ隣で囁くように言う彼女はちょっと不満げだった。


「だ、大丈夫だと……思います」


 どもってしまう僕が情けない。

 まぁ、そんなのあり得ない話だけどね。


「ま、私もそう思います。理太さんにそんな度胸なさそうですし」


「流石単位取得済み。よく分かってる」


「それでは勉強しましょう。その二教科なら教えられるくらいには修めてますので」


「なんだかんだハイスペックだよな」


「一応大学は出たことになっているので」


「……そういや年いくつなんだ?」


 今までまったく気にしていなかったから、聞くことも無かった質問。


「十九です」


 あ、一つ年下なんだ。


「じゃあどうやって大学出たんだよ」


「四天王のいるところでなみのりをした後、そこから、右に200歩進んで、下に256歩進む。次に、左に63歩進んで地上にあがったら卒業出来ました」


「そんな裏技があるのかっ!!」


 多分元ネタはポケモンである。一回画面真っ暗な状態で動けなくなっちゃって泣きわめいた覚えがあるやつだ。そこでセーブしてはいけない。お兄さんとの約束だぞ。


「ツッコんでないで、ほら、早くレジュメを出してください」


「ボケたのユーじゃん……」


 本当に掴みどころがないというか、なんというか。電波系予備軍みたいなやつだ。

 とはいえ彼女の行ってることは正論なので、ちゃぶ台をこちらに寄せて、ファイルからレジュメを取り出す。全十四枚。相当なボリュームである。そりゃあ、九十分×十四回なのだから、高校の授業とは比較にならないのは当然なのだけど。

 ……というか、いつまで高校と比べてるんだよ……。

 

「ほらほら、早くやりましょう。手ごたえがあったのなら、明日はクッキー焼いてあげますから。少し勉強したので、前回よりかはきっと美味しく作れますよ」


「……クッキー?」


 んなもん、いつ作ったっけ?


「…………」


「夕雨?」


「……丁度一週間前ほどです。クッキーを作ろうとして爆発させてしまって」


「あ、あー! あったあった! 僕のボケが進行してきてんのかな?」


 脳内にキッチンの茶色い惨状と、夕雨の驚いた顔が再生される。あんなことを忘れてただなんて、僕もそろそろ年なのかもしれない。


「今度ボケ防止のパズル雑誌でも買ってきますね」


「やめろよ、あれ買い出したらいよいよ人生終わりって感じになるじゃんか(偏見)」


「でしたら、今後もボケないことです。まったく、これではテストが思いやられますね」


 夕雨はため息一つ。


「先生、よろしくお願いいたします」 


 僕の単位がかかってるからな。


「ふふん、よろしくお願いされます」


 夕雨は眼鏡をくいっと上げる仕草を見せると、ペンを片手に授業を開始した。


 あぁ、きっと。

 夕雨には、スーツとメガネがよく似合うだろうな。


 


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