第三十二話・中古ノ夜

 

 

 ――夢を、見ていた。

  

 具体的にはよく思い出せない。よくある夢の忘却現象。

 それは良く知っている(はずの)日常だった。楽しい(はずの)光景だった。

 それなのに、何故だろう。あの夢は、どうしようもなく

 そこに救いも何もなく、あの夢は、どの道を辿っても、と感じられた。

 楽しくて、でも不気味で、どうしようもなく終わっている夢。

 それはまるで走馬燈のような。

 だとするならば、そうだな。


 ……僕は、



*



 熱帯夜。といっても窓から覗く空は藍色に明るんでいる。

 僕は浅い眠りを繰り返しているうちに、意識が覚醒してしまっていた。されどやることもなく、僕は床に敷かれたた布団に仰向けになって、見慣れた天井を眺めながら今日(というか昨日か)という日を振り返っていた。


 バイトをして。

 帰ってきて。

 夕雨がいなくなって。

 大慌てで探して、決心して。

 告白して。

 ――キスをした。


 うぉああああ! めっちゃリア充してんじゃん! こんなに可愛くていい子(元僕のベッドで就寝中)と、付き合えたの俺! マジかよ! 

 そりゃ興奮して眠れないのも当然だ。

 ベッドと布団との高低差によりできた死角でガッツポーズを繰り返す。

 今なら盗んだバイクで走りだすのもやぶさかではない。

 しないけど。


 ちなみに夕雨を回収した後、家にいた妹はグッと親指を立てると、そのまま何も言わずに帰っていった。

 航一についても、僕がお礼の電話をかけると、「グッ」と言われて切れてしまった。いや、言うのはおかしいだろ、言うのは。


 ともあれ、一応はハッピーエンドを迎えられたわけだ。ほんとにハッピー。こんな幸せは給食の時のプリン争奪じゃんけんで勝った時以来だ。

 いや、それレアでもないじゃん。とか思うやつもいるだろうが、それはナンセンスというものだ。少なくとも僕は十二歳以来給食を食べていない。それに今後一生給食を食べる機会はないだろう。そういう意味で、この僕の喜びは人生において一~二を争うものなのだ。

 というか勝ち取った食糧はマジで美味しい。


 ちなみに、理太幸せランキングの一位を争っているもう一つの事柄は、妹が初めて『お兄ちゃん』と呼んでくれたときのことだ。そう考えると僕はまぁまぁなシスコンなのかもしれない。認めはしないけど。


 そんなことを考えていると、聞こえた彼女の安らかな寝息。

 結局、今回の出来事の発端は、僕が彼女への気持ちを口にしていなかったことが原因だった。(夕雨曰く)彼女は彼女で、僕の負担になっていないかと不安になっていたらしい。

 だから、今回軽く家出をしてみて、もしも僕が彼女を探しに来なければ、あるいは諦めたら、その時はそのまま出ていく算段だったらしい。もっとも、出ていったあと彼女がどういう生活をする予定だったのかは僕の知らないところだ。


 彼女は、いびつだ。

 階段の上で、彼女は『我慢していた』と言った。

 何故、我慢する必要があったのか。そこまでして『あなたのモノ』になる必要があったのか。

 

 僕が彼女のことを好きなのは本当だが、それでも彼女のことを知らないという事実は未だ変わっていない。

 これからは、本当に意味で、彼女のことを知る時間になるのだろう。

 

 きっと楽しくなるだろう。もっと彼女のことが好きになるだろう。

 

 でも、さっき見た夢のように。どこか、不安がある。

 知ってしまったら、覚めてしまいそうな、終わってしまいそうな。

 それでも、僕は、彼女を知りたい。

 好きになってしまったから。なんだかんだでずっと僕を想ってくれていた彼女を好きになってしまったから。


 ――予感。


 いつかきっと、知らなければ、知りたいと思わなければ、と今の僕を後悔する未来がある。

 それでも僕は、この僕を、この僕の気持ちを誇っていたい。


 たとえ終わりが来ようとも。

 僕らは、一緒に……。


 ベッドから垂れ下がってきた、彼女の小さい手のひらを、そっと握り込む。


「……んぅ」


 彼女は可愛らしい寝言とともに、僕の手を握り返してきた。きっと無意識。

 

 あぁ、そうだ。

 きっと大丈夫。

 僕は、この握力ぬくもりを忘れることなんて、出来ないだろうから。


 

 


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