第二十八話・妹による兄の救済
「夕雨ちゃ――なんだお兄ちゃんか……ってびしょ濡れじゃん! ちょっと待ってて!」
さながら溺れた河童のような(?)僕の姿にぎょっと目を丸くした妹がわたわたと動いて、タオルを手にして僕の元にやってくる。
「夕雨は……?」
そんな分かり切った質問に、妹は顔を暗くして、俯く。
僕はタオルをポケットに押し込むと、妹に背を向けてドアノブに手を伸ばし――
「――お兄ちゃん、待って」
一方の腕を、雨と汗でびしょ濡れの腕を、掴まれた。
「……離してくれ。あいつはまだ見つかってないんだ。だから――」
「お兄ちゃん」
振り払おうとしても、離してくれない。
「離してくれ」
「お兄ちゃん……」
よりきつく、妹の小さい手が、僕の腕を掴む。
「僕があいつを迎えに行かないと――」
「お兄ちゃん……っ!」
悲痛とさえ感じる妹の声。だけど、僕は譲れない。
「行かせてくれッ!」
「こんなボロボロのお兄ちゃんを行かせられるわけないでしょ!」
「
僕が行かないと、あいつが――!
「しっかりしてよお兄ちゃんッ!!」
「――――!」
「……僕が、しっかりしていないっていうのか」
「してないよ」
きっぱりと、真衣は言い切る。
「その証拠は? 僕がいつどこでそんな素振りを見せたって言うんだ。
何時何分何秒何曜日、地球が何回まわった時?」
「……お兄ちゃん」
…………。
真衣は、呆れたように、半目で僕を見つめる。
「……はは、少し、休むとするよ」
どうやら、僕の体力はとうに限界だったらしい。
僕はその言葉を言い終えるやいなや、廊下に伏した。
まったく。
大の学生が、地球が何回回った、なんて、な……。
*
瞼を開ける。
眼前には、透き通る蒼い瞳――ではなく、僕のとそっくりな黒の瞳。
ちなみにパンツ一丁らしい。妹に
「あ、今、夕雨ちゃんじゃないのかって思ったでしょ」
「思った」
そして、今夕雨はいないということも、思った。
「即答されるといっそすがすがしいね」
妹は肩をすくめて、ほら、とお皿に乗ったおむすびを差し出した。
「転がすのか」
「食べさせるの!」
妹はしかめっ面でおむすびを手に取ると、
「ムグォ!?」
こぶし大のおむすびを僕の口にねじ込む。
く、苦しい……!
妹よ、いつ他人の口に食べ物をぶち込む技術なんて覚えたんだい?
――もぐもぐもぐ。
素朴な美味さの塩むすびを流し込んで、元気百倍リタパンマンは、上体を起こしたところで
リタパンマン、弱し。これではルンルン気分のカビにさえボロ負けしまう。
せっかくだからこのまま新しいイケメン顔を焼いてほしいところではあるが、夕雨が僕のことを認識できなくなるのは嫌なのでやめておこう。
「まだ七分しか寝てないでしょ、もう少し休んで」
「……そうするよ。あいつ見つけたときに僕がぶっ倒れたらどうしようもないからね」
「……まったく、無理しちゃって。そんなに夕雨ちゃんが好きになったの?」
「そうかもな」
「………っ!? 本当にあなたお兄ちゃん?」
話を振った張本人である妹が顔を真っ赤にして、僕の顔にペタペタと触れてくる。僕だよ、僕。まさか本当に新しい顔に入れ替わったわけでもあるまいに。
「私のお兄ちゃんはもっとヘタレでチキンのはずだったんだけど」
「残念ながらそのクソ野郎が僕だよ。そのせいでこうして実の妹とベッドでお話しすることになったんだから」
「それっていやらしい意味?」
「どう解釈したらエロ妄想が出来んだよ」
「ベッドってそういうところでしょ?」
「こうして寝る場所だ! 僕は今までベッドを間違った用途で使ったって言うのか!」
「人類の繁栄的には」
「教育的には正解だと思うんだけどな」
確かに、妹には真っ直ぐ育ってほしいという両親と僕の教育方針のもと、そういう情報からは遠ざけてきたが……。なんか嫌な道の外れ方しちゃったなぁ。
「ねぇ――」
「どうした」
お皿を洗いにキッチンに向かう妹の後ろ姿。白いセーラー服に真っ黒のポニーテールが跳ねている。
「夕雨ちゃん、どこにいるか、分かってるの?」
「分からないから走り続けたあげく、疲れ果ててダウンしたんだろうが。
僕は知らないよ。あいつがどこに行ったのか、あいつが何を好きで、あいつが何を嫌って、あいつが何をしたいのか。なんも知らないし、分からない」
僕が言うと、妹がここからでも聞こえるほどに大きなため息をつく。
それは夕雨の居場所が分からないことへの絶望からではなく、僕への呆れのように感じた。
そして、それはどうやら正解だったようで、
「あのね、お兄ちゃん。
私はね、夕雨ちゃんは無事だと思ってるの。というかあの夕雨ちゃんがお兄ちゃんのところを勝手に離れるわけがないと思ってる」
「いや、でも――」
こうなっているではないか、という言葉を発する前に妹がかぶせて言う。
「それは、そうならないでくれってお兄ちゃんが思ってれば――というか、そうして欲しくないってお兄ちゃんが夕雨ちゃんに伝えればの話。
他人の話を信じられない、それですれ違うっていうのはお兄ちゃんの得意技でしょ」
「……どういうことだ?」
「はぁ……これだからお兄ちゃんはいつまで経ってもハーレムを築けないってこと」
「別にそんなこと望んだ覚えはないけどな」
「卒業文集に書いてあったじゃん」
「いやいやいや嘘つけ妹よ……」
いくら小中学生時代の僕がぼっちで妄想力育まれる生活を送っていたとしても、卒業文集に
『僕はキャッキャうふふなハーレムを作りたいです』
なんて書きやしないだろう。
……書いてないよな、昔の僕?
「ま、
「くそっ! こんなにもルビに不安を覚えたのは初めてだ!」
この事件を解決したら確かめてやろう。
もしも僕が戯言を書いていたのならすぐ燃やす。燃やしてキャンプファイアーでもやってやる。僕は決めたぞ。
「で、お兄ちゃんは何がしたいの、エッチがしたいの?」
流石にそんなサカってないぞ僕は。
「お前なぁ……何がしたいって言われると、今はアイツを見つけたいな」
「見つけたらどうするの、エッチするの」
「ちょっとありそうなのやめろよ! っていうかありそうでもないから! プラトニックな関係だって何度か言ったよね!?」
それに女子高生が連呼する言葉ではない。
「…………」
なんでここでじっと見つめるかなぁ。
「そりゃあ、あいつと一緒にいたいよ。一緒にいられる限りは」
永遠では無くても、死ぬまででは無くても。
僕は、あいつと一緒にいたい。この三週間、そうだったように。
「じゃあさ、それを夕雨ちゃんに言ったことはある?」
「……無い」
恥ずかしくて言えるわけがない。
その僕の言葉に、妹は皿を洗う手を止め蛇口を締めて、(というか洗い終えたのだろう)、言った。
「夕雨ちゃんにね、この間訊いたの。なんであんなすかぽんたんな兄ちゃんと一緒にいるのかって」
すかぽんたんなんて、現代で聞いたことないぞ。僕が現代最後のすかぽんたん。
「もちろんお兄ちゃんのモノだからって言われたけど、もっと訊いたの。そしたらね――あ、これ私が言っちゃダメなやつだ。
とにかく会ったら聞いてみなよ。きっと悶え死ぬから。私は死んだ。そしてお兄ちゃんを殺したくなったよ」
「急なサスペンス!?」
まぁ、殺意の理由は分かるけどさ。もっとちゃんとしろってことだろ、妹よ。
「お兄ちゃんも分かってるでしょ? あの夕雨ちゃんが自分勝手にどっか行くはずないって。だからさ、夕雨ちゃんは――」
「僕のためにいなくなった、ってんだろ、真衣」
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