第二十六話・彼女のしっそう


「――航一、今大丈夫か」


「……何があった」


 午後八時。

 スマホから聞こえる航一の、落ち着いた声。

 僕は端的に簡潔に、要件を述べる。


「夕雨が……帰ってこない」


「……今どこだ」


「近所の公園」


 一向に返ってくる気配のない夕雨を探し始めてから三十分。目ぼしい成果は無く、芝生生い茂る薄闇の空間に、僕一人。

 湿った空気に青臭さが混じっている。本当に不快だ、この暑さと空気は。


 彼女が、良くも悪くも僕の傍をついて離れない彼女が、何も告げずに一人で歩くなんて、初めてのことだった。あり得ない、と言ってもいい。

 しかし事は起きた。

 ならば、彼女の身にただならぬことが起きているのではないかという推測をするのは、ごく自然なことだろう。


 ……言い知れぬ不安。


 年頃の女の子がこんな夜に一人で歩く危険性は言うまでもない。行きつけも何もない(正確には、あるかもしれないけれど、僕は知らない)彼女の行方なんて見当もつかない。

 だからこそ、ここは人手が必要だと判断して、航一に電話をかけた。

 妹には既に連絡を入れて、入れ違いにならぬように家で待っていろとお願いをしてある。妹は二つ返事で了承してくれた。ありがたいことだった。


「警察には」


 航一は冷静に、状況を確かめるように問うてくる。


「まだ言ってない。あんまり口外できるような関係じゃないから」


「彼女の安全のためなら早く連絡した方が良いと思うが……すぐに対応してくれるとも限らないか。分かった。すぐに向かう。家の者にも指示を出しておく。

 ――そういや、いなくなってどれだけ経つんだ」


「合鍵を渡して一人で帰らせたのが、五時過ぎくらいか。お金も持っていないからそこまで遠くに行ったとは考えられないけど……」

 

 三時間もあれば十キロは歩けるはずだ。

 ……クソ……!

 僕が、しっかりしていないから……っ!


「分かった。理太は家の周りを探してろ。俺らはアタリをつけて探してみるから。もし日付を跨ぐようなことがあれば――」


「分かってる。通報するよ」


「……理太。自分を責めるのは後にしろよ。今は彼女の身の安全だ」


 忠告。


「分かってる。分かってるよ」


 本当に、見透かしたように言うな、お前は。


「それじゃあ」


「恩に着る」


「今は脱いでおけよ。見つけたらそん時に着込みゃいい話だろ」


 溢れ出る汗を拭う。確かに、今は着てる余裕が無いか。


「……ありがとう。頼りになるな、ほんと」


「それが俺の生き方だからな」


 ぷつり、通話が切れた。なんてイケメンなやつだ。僕が女ならば惚れていることだろう。

 僕は彼の厚意に胸を温かくしつつ、そのままスマホを操作して、ネットで周囲の事故、事件の情報を調べる。


 ――ヒットなし。

 ひとまず、安堵する。


 そしてまた緊張する。心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。

 早く、早く、見つけなければ。

 彼女が、そのまま消えてしまいそうな気がして。まるで胸に大きな穴が開いたような感覚だった。


 しかし、探すと言っても心当たりがない。僕らにそんな場所は無かったし、僕が大学に行っている間、どこかに行っていたとしても僕は知らない。


 僕は知らない。

 僕は、彼女のことを、知らない。

 彼女が何を考えていたのか、知らない。


 事件に巻き込まれていないと信じて、今は、彼女の行きそうな場所を探すほかないだろう。


 ひとまず、彼女が知っている場所を当たるほかあるまい。

 ――大学。

 あそこの閉門時間は十時過ぎまで。入ることは十分可能だ。


「……夕雨――」


 僕は彼女の姿を求めて、大学に向かった。

 

 

 

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