第二十五話・バイト先のお話


 午後五時。

 夕陽、というにはまだまだ明るい空模様。流石は夏、日が長い。

 歩きながら太陽の隠れた空を見上げるこの僕の向かう先は、バイト先のコンビニである。仕事完遂の報告と、制服を返還するためだ。

 ちなみに僕の後をついてくるのは僕の影ひとつ。つまりは一人きり。

 夕雨はあの調子だったから先に帰らせた。彼女も連日の活動に疲れていたんだろう……きっとそのはずだ。明日はゆっくり休ませることにしよう。



 *



「お、興野氏、お疲れ様」


「お疲れ様です、オーナー」


 エアコンの効いた店内のバックヤード。

 品出し前の商品の詰まったダンボール箱のタワーの向こう、ストコンを操作していた店長がこちらを向いて労いの言葉をかけてくれた。

 我が店の長、店長。カウンターの入るのがやっとなくらいの巨漢の男性。いつも目の下にクマを作っている、不健康を体現するような巨躯である。確か年齢は三十二とか言ってたな。迫力満点の外見ではあるけど、中身は面白いおじさんだ。


「いやぁ、暑かったでしょ。俺が行ってたらしゃぶしゃぶになってたところだね。助かったよ」


「いえいえ、お仕事をくれたのはオーナーですから。こちらこそありがとうございます」


「後々やらなきゃいけないことだったからね。興野氏がやってくれなきゃ僕が家に帰れなくなってたよ」


 オーナーが苦笑する。

 コンビニの店長ってのは相当にハードで、加えてウチは人手が足りていないからオーナーには基本休みが無い。それはもう見てはいられない状況だったこともある。

 働くってのは大変なのだと、つくづく思う。


「はい、臨時お給料二人分――ってあれ.......興野氏の他に誰かいたんだっけ」


「え、あ、はい。今朝会ってなかったですか?」


 制服とティッシュの受け取りの時に一緒に来店したはずなのだが……シフトを見てもその時間は店長のいる時間だ。

 目立たない子ってわけではないしなぁ。オーナー相当疲れてんなこれ。


「オーナー、明日シフト入りますから休んだ方がいいですよ。この前だってフライドチキンの入荷数十倍にしちゃって大騒ぎだったじゃないですか。末期ですよ末期」


 忘れもしない先月十八日のチキンパニック。ショウケースいっぱいに積まれたチキンの山。店の前の道路で「頼むから買ってくれ」と叫んだ記憶はいまだ新しい。


「あはは、大丈夫だよ。このお腹に溜めてあるエネルギーを切り崩していけばね。

 大学生の本分は勉強。それを邪魔してまで楽をしようとは思わないよ」


 オーナーはぷっくりと膨れたお腹を叩いて言った。

 コンビニ経営はやりたくはないけれど、こんなことを言える大人にはなりたいと思った。


「そういや今試験前でしょ。このタイミングでシフト増やしてくれってのは何か理由あるの?」


「あぁ、まぁ……」


 店長になら、まぁ言ってもいいか。


「ちょっと、勝負がありまして。お金がいるんです」


「それは告白かい? 青春してるねぇ~。俺みたいに脂肪と結婚する前にイイ女の子見つけられてよかったね」


「――!?」


 ……正解であった。


「当たりかい? いやぁ、客の顔色窺ってきてもう十年。そろそろエスパーが身についてきたかな」


 僕の周りはエスパーばかりだなおい。


「そんなカッコいい顔して勝負なんて言うのは好きなの女の子がいるときだけだよ」


「カッコいい、ですか?」


「うん。いつもはボケっとしてるのに、最近は妙にキリっとしてる」


「確かにここ三週間は寝覚めがいいですけど」


 僕の寝顔を観察している物好きな美少女が毎朝起こしに来るからな。

 朝が弱いコトに定評のある僕がすんなり起きられるようになったのは、紛れもなくあいつのおかげである。

 『3980円』で超高性能目覚ましを買った、と言ってもいいほどだ。


「あはは、そりゃいいことだ。俺も高校大学の頃は好きな子が夢に出てきて朝からハッスルしたもんさ」


「やめてくださいよ……」


 年上の下ネタって反応しづらいんだよな……。しかもすげぇこともなげに言ってるし。


「ま、なるだけ早くアタックすることだよ。誰かに盗られちゃ大変だからね」


 幅の広い肩をすくめて言うオーナー。


「盗られる、ですか。それは心配ですね」


 夕雨に限ってそんなことはないだろうが……うーん、なんか不安になってきたなぁ。彼女はいったい何を思っているのだろうか。

 元から思考の読めないやつだったけど、今日は特にだ。負担だとか言い出したり、謝ったり。そんなことは気にしなくてもいいというのに。


 む、なんだかこれ僕がしょっちゅう言われてることじゃね……? 


「ま、頑張りなさい。お客さんってのは自分から行かないと来てくれないからね。最初のうちはがむしゃらに、だよ。どうせ他人の考えてることなんて、分からないんだからさ」


「でもオーナーさっき僕の心読んでたじゃないですか」


「あれはネタのつもりだったんだけどね、いやはや、本当に青春してるとは思わなかったよ。興野氏はあと四~五年はここでのんびりやってくれるものだと思ってたから」


「完全にフリーターかましてるじゃないですか」


「お似合いだと思うよ、フリーター」


「どんな誉め言葉ですか!?」


「――とまぁそんな感じでツッコみ役として、当分はウチで働いてくれると嬉しいな。再来週から新人さんも来るから、そしたら大分楽になると思うし」


「新人、ですか」


 それはありがたい。今の調子なら僕のシフトは減らせないだろうけど、店長が毎日出張ってくる必要もなくなるだろう。


「うん。ハーフの子らしいんだけどね。パツキンでありえないくらい可愛いから期待しておくことだね。興野氏としては、『僕の彼女の方が絶対に可愛い』と思ってるかもしれないけど」


「いや、そんなことないですって」


 嘘である。まさにその通りにそう思ってしまった。金髪被ってるし、それなら余計に。

 僕は思ったよりも、彼女に惚れているのかもしれない。そう思った。





 アパートを駐車場から見上げる。夕雨を連れて来た時が懐かしい。

 まだ一か月もたっていないというのに、ずっと前からこうだった気もして不思議だ。

 あの時は驚きの連続で、まさに非日常感にあふれていた。


(そのうちこんな時間も日常になりますよ)


 それは彼女の言葉だったか。

 ただの大学生が『3980円』で『美少女』を買って、『新品』ですよと強調されて。

 あの時は何が何だか分からなかったけど、というか今でも分からないけど、もう慣れてしまったのかもしれない。

 まさに彼女の言う通り、『美少女・新品・3980円』は、僕の日常になった。

 

「――晩御飯何かな」


 そんなことを思わず口に出してしまう。

 あいつの肉じゃがは本当に美味しい。お母さんの味なんて忘れてしまうレベルのものだ。今度レシピを教えてもらおう。


 なんて、辿り着いた扉の前。

 カギを差し込んで、捻る。

 扉が開く、その先。

 

 …………。


 明かりのない、雨戸の閉まったままの部屋。

 彼女の靴もない。

 買い物にでも行ってんのか……?


 特に気にすることは無く、テレビをつける。普段は一緒に見ていた夕方のニュースを、ひとりで鑑賞する。


 グルメ特集が終わって、報道が終わって、黄色のマスコットが登場して、お天気予報が終わって。


 ………………。


 夕雨はそれでも帰ってこずに。

 空に長居していた太陽が、灰色の街並みに沈んだ。

 


 

 

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