第二十四話・彼女の謝罪

 大罪人。

 彼女の在り方に相応しくない単語に、眉をひそめる。


「――君は、そんなんじゃないだろ」


「私利私欲で他人の歩く道を踏み荒らした存在が、まったくの無実だというのですか」


「曖昧過ぎる。

 君の言っていることは曖昧過ぎるんだ。もっと具体的に、詳細に言ってくれよ」


 分からない。僕は彼女の言っていることが分からない。

 罪人。

 少なくとも、僕にとっての彼女はそんなものじゃない。

 なんなら、そう。君は、僕の退屈な日常を変えてくれた――。


「お仕事中ですよ?

 ティッシュはまだまだあるのですから、先に配っちゃいましょう」


「…………」


 夕雨は明らかに誤魔化している。とことん嘘が下手なやつだ。

 そこまでして言いたくないのか……だとするならば、僕に、彼女を問い詰めることは出来ない。

 それは他意識過剰が原因か、それとも、時折胸に去来する嫌な予感のせいか。

 まったく、そんなオカルトめいた感覚に身をゆだねるなど僕らしくない。


 こういう時は無感情に、機械的に事をなすに限る。

 僕は、他人の顔色を伺いつつ、人当たりのよさそうな人間にティッシュを差し出す。

 ……暑い。

 下に来ているシャツが背中にべとりと張り付く。非常に不愉快。

 だからといってどうこう出来るような現象でもない。夏が暑いのは、どうしようもないことだから。

 

 ……あぁ。

 こんなんでいいのかなぁ。

 僕は、このままでいいのかなぁ。


 分からない。

 分からないことばかりだ。まったく、機械のように、とはいかないものだ。


 何も考える必要がなかったあの頃が懐かしい。

 それは人によって様々年代を思い浮かべるだろうが、僕にとっては高校時代までのことを指す。

 時代といっても、たかが二年前のことなんだけど、夏というのは思い出を美化させる。

 それこそ蝉しぐれの中を虫取り網片手に駆けた――なんていう記憶はインドア派で、成績表の評価に


『落ち着いていて、優しい男の子です』


 と、教師に書かれた僕にはないけれど(一年のまとめにわざわざ性別を書くのはどうかと思う)、それでも、あの頃は楽しかったと思える。


 楽しかった、というか、だった。


 あの頃は一応はガキっぽい性格をしていたし、他人をおもんばかるほど成熟していなかった。もっとも、今が成熟しているとは思っていないが。

 とにかく、あの頃は何も考えずに済んだ。


 なんとなしに中学校に行って、友達と駄弁って、ちょっと勉強して高校に行って。

 なんだかんだで、色々なバカをした。

 楽しかった。ただそこにあるを享受していた。

 でも、高校三年生。大学を決めるとなったときに、色々と考えてしまった。


 ……やりたいことはなかった。

 ……やれることもなかった。

 漫然と、刹那的に生きてきた自分の人生に残るものがなかったというだけ。それはただの必然。嘆くだけおこがましい。

 だからこそ、僕は『興野理太』という空の器に他人を詰め込んだのかもしれない。まぁ、程度の差はあれ、僕のこの性格は小さいときからのものだから、本当のところなんて分からないのだろうけど。


 とはいえ、それが僕のことわりになってしまったというのは、我ながら情けない話だ。

 まったく、イヤな生き方を選んだものである。


「――負担、ですか。私は」


ティッシュを捌き終えた彼女の声が、バスのエンジン音に混ざって聞こえた。


「……何言ってんだよ、夕雨。お前らしくもない。

 負担になんか思ってる訳ないだろ。そもそも僕の勝手で住まわせてるんだから、気にしなくていいんだよ。こうやって働いてもらってるわけだしな」


 別にこれは表向きの言葉だとか、そんなことではなく、嘘偽りのない僕の本心だ。

 それでも、夕雨は、俯いたまま、顔を曇らせている。


「どうしたんだよ、夕雨。そんなんじゃティッシュはけないぞ?」


 からかうように言って、鎌をかける。


「そう……そうですね。ここはコーナーで差をつけないといけませんね」


「……夕雨。ちょっと日陰で休んでろ」


 夕雨はそう答えた。彼女の箱の中身は既に空になっているのに。

 どうやら注意がかなり散漫になっているらしい。


「……ごめんなさい」


「だから、謝る必要なんてないって」


 それでも、夕雨は申し訳なさそうに俯くと、とぼとぼと、駅舎の影へと去って行った。


 


 

 


 

 

 

 



 

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