第二十一話・ほっぺたすりすり事件
二人の帰った部屋は、まるで祭りのあと。
喧騒の余韻残るポテチの空き袋などを片付け終えたメイド夕雨は、居間でぐたりと眠っていた。
妹いわく、夕雨は今日の日に向けてかなり張り切っていたらしく、パフェの後に出てきたオムライス(出す順番はともかく、実に美味であった)の作り方のコツや、メイドの作法を調べていたそうな。あの風格は努力の賜物だったのだな。
加えて、料理や片付けはほぼ全て夕雨がこなしていた。
だから当然、疲れも溜まっていたのだろう。メイド服のままの彼女は、カーペットの上で無防備な寝顔を晒していた。
そして晒されているからこそ、見てしまう。
閉じられた瞼、伸びるまつ毛。透き通るような白磁の肌。
ほっぺたなんて、触ったらすべすべしてんだろうなぁ.......。
――そう意識してしまった時点で、いけなかったのだろう。
「……触ってみたい……!」
人間の
いくら相手が夕雨とはいえ、これは立派なセクハラだろう.......とは理解しつつも、どうにもこうにも彼女の頬から目が離せない。
別にこれは女性だから、というわけではなく、例えるならば子犬のもふもふに惹かれる気持ち――いや、この僕に弁明の余地などないか。
おうそうさ、僕は女の子の頬っぺたをすりすりしたいんだッ!!
僕が見つめているのにも拘わらず、彼女はすぅやと安らかな寝息を立てている。
……童貞の衝動。今まで起きなかったそれが、今日の話をトリガーとして、沸き起こってしまった。
くそ……寝ている女の子に触れるなど外道のすることだ.......。
そんな理性とは裏腹に、彼女に伸びる僕の右手。
やめなさい、理太! 人間に戻れなくなるわよ!!
と理性が必死に叫んでいるが、残念ながら、それは意味をなさない。
唾を飲み込む。
彼女は眠ったまま。
そうだ、バレなきゃいいってどっかの国の法典にも書いてあるだろ。
3すりすり。
3すりすりまでなら、僕は僕を許そう(法律が許してくれるかはさておき)。
まぁそれくらいなら、全人類に平等に授けられた人権で保障されているだろうさ。
ということで、更に、手を伸ばす。
高鳴る心臓。
指の腹で彼女の体温を感じる。
ラブコメ恒例、ここで目が覚める――
勝ったな……。
寝ている女の子の前で、勝利を確信する興野理太とはいったい。
経緯はともかく、かくして僕は勝利した。
指の背でもって、夕雨の頬をそっと撫でる。
うぉお!? なんだこのすべすべ! そしてすさまじい弾力!
強いて例えるのならば……トマト。そう、トマトの感触だ。
トマトは美少女のほっぺ。
いいかい、これ重要。
僕はそんな既知のような未知の感触を更に楽しむべく、2すりすり。
ふぁ~癒されるぅ~。
触れる
美少女はネコ。
これもまた重要なことだ。
というわけで、3すりすり。
我慢できずに、4すりすり。
おまけにいっちょ、5すりすり。
背徳感が分岐点を越え、快感に変わる。
これ以上は流石に駄目だ。僕の人生はせいぜいR15指定くらいの、プラトニックなものであるべきだ。
と、僕がなんとか理性さんをお呼びして、彼女の前を立ち去ろうと腰を上げた。その時。
目が合った。
――蒼い目。
合うはずのない視線が、交錯する。
「――もうやめてしまうのですか……?」
彼女のその言葉に、僕はすぐさま腰を下ろし直して、正座の形を作ると――。
そのまま韋駄天もかくやという素早さで額を床につけた。
「通報だけは……勘弁してください……!」
土下座。
横になったメイドに向かって土下座する、男。
この世の最下層の光景が、そこにあった。
「……流石に寝ている間に、というのは、恥ずかしいですね」
身体を起こして、目を
「申し訳ありませんでした……これからはトマトで我慢しますので、どうか、どうかお許しを……」
あー、恥ずかしい。
というかクズ。僕はクズだ。今すぐ飛んでいなくなりたい……。
「そうですね……タダで許してしまうのはなにか勿体ない気がします……」
あ、あれ。
自分でいうのもアレだけど、彼女のことだから「何をされても大丈夫ですよ」と返されると思っていたのだが。
……ん、いや、僕は今とんでもない
「む、何か良くないことを考えていませんでしたか?」
「いえ、草原を走る白馬を想像していただけでございます」
「そうですか……まぁいいでしょう。これは貸しいちということで」
「ありがとうございます……」
平身低頭。
にしても、夕雨が恥ずかしがることがあるとは……。
いや、それは当然ことなのだけど、今まで反応を見てきたらこうなることも理解してほしい。
まぁ、感情らしい感情を見せてくれたのは素直に嬉しい。
「メイドさん、いいですね。私に合っている気がします」
僕はここで顔を上げる。
「テレビで見たんだっけ?」
「はい。合法的に『ご主人様』呼ばわりできる機会はないものかと思いまして」
「それはそう呼ぶ環境に違法性が高いという傾向があるだけで、『ご主人様』と呼ぶだけなら違法では無いと思うんだけど」
「今から二十五年後には法律で禁止されるんですよ」
「マジで!?」
「表現の自由を訴えた絵師・作家数百名がシベリア送りにされました」
「規模すげぇ……」
というかそこまで『ご主人様』呼びに固執する人間がいるとは思わなんだ。
日本、平和だなぁ。
――と、冗談はここまで。
「とにかく、そういうわけでして、メイドとして理太さんのお背中を流させていただきます」
「間違いなく風営法違反だ」
お金を払っていないじゃないか、という言い訳は通じない。何せお相手が『美少女・3980円』だからな。
「では歯磨きだけでも……」
「そんなマニアックな趣味はないっ!」
「ではやはりお背中を流すだけでも……」
「別にそれがメジャーなプレイだというわけでもないからっ!」
「オオタニサンも驚きのツッコミですね」
「確かに彼はメジャーでプレイしているけども」
格助詞一つで大違いである。
「お堅いですね」
「年頃の女子と一緒にお風呂だなんて無理だろう」
「一緒にお風呂……? 私は背中を流すだけで、お風呂でやるとは一言も言っていないのですが……」
困惑気味に、眉を顰める夕雨。
「ハメられた!?」
いや、どこで背中を流すつもりなんだよ……というツッコミが喉まで出かかるが、ほっぺの件があるため、思い切ってツッコめない。
「流石に一緒にお風呂は恥ずかしいです」
「くっ……『性行為』なんて言っていた娘が、こんなに成長して……」
「……私、そんなこと言ってませんよ?」
「……へ?」
あれ? 僕の記憶じゃあホテルに泊まった時に、そう言われたはずなのだが――。
「それは本当に私だったのですか? そんな恥ずかしいことを言う人が、私だと思うのですか?」
すまし顔。
「……僕の記憶は間違っていないはずなのに何故だか不安になってくる!」
くそっ……どこかに僕のモノローグと夕雨との会話を切り取って
「とにかく、私はそういう恥ずかしいことを言う娘を卒業しましたので、これからは品格あるメイドとして生きていくのです」
ふふんと、胸を張る夕雨。この日見たおっきめの胸が揺れたことを僕は忘れない。
「あ! 卒業したということは入学してたってことだろう! ハハッ、墓穴を掘ったな!」
「……卒業してない分際でよくそんなことほざけますね」
「ひでぇ!?」
いくら僕がチェリーボーイだからってキャラ崩壊すれすれの暴言は良くないと思うな!
「……でも、ありがとうございます」
そこで、夕雨は何の文脈もなく、礼を言った。
「な、なんでだ……?」
「――メイド、気に入りましたから」
彼女は、そう言って、はにかんだ。
そのお礼は是非とも妹たちに言って欲しいな。きっと喜ぶだろうからね。
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