第十五話・君に、君の好きなことを見つけてほしい。


「確かに抽象的過ぎた。具体的に、単刀直入に言おう。

 僕は――君に、君の好きなことを、見つけてほしいんだ」


 それが、ひどく傲慢な台詞だという自覚はしている。

 だって、彼女はやりたいことが、好きなことが無いと言ったわけじゃない。

 

 ――僕のやりたいこと、好きなことが、彼女のそれになる。


 彼女は確かにそう言っていた。

 だからこのわがままは、正真正銘、自己中心的なわがままだ。


「……それは、どういうことですか……?」


 夕雨が、じっと、僕を見つめる。その瞳は、わずかに波立っているように見えた。


「正直に言うとさ、僕は、僕への好意とか、高評価が信じられないんだ。

 だから、僕のもの、とか、僕の好きなことを好きになるとか言われてさ、もちろんキュンとはくるけど、その後に来るのは心配であって、嬉しさではないんだよ。

 なんていうのかな――こいつ、自分のことも評価してほしいのかな、とか。僕をあわれんで言ってるんじゃないか、とか思っちゃうんだよ」


 これは僕の習性といってもいい。いつからそう思い始めたのか、なんてことは分からないし、その原因も分からない。きっとあるにはあるのだろうけど、心理学者を呼んでこない限り明らかになることはないのだろう。

 けれど、今、僕はそうあるのだから、こればかりはしょうがないことと言えよう。 

 それは、夏が暑いのと同じくらいに、しょうがないことだ。


「自意識過剰ですね」


 その言葉はまるで針のような鋭さで、僕の鼓膜を貫いた。


「そうズバッと言われると結構イタいんだけど、まぁ、その通りだと思うよ」


 妹に言った時も同じようなことを言われた覚えがある。その時は、


(うわ、ナルシきも!)


 なんて言われて夜も眠れなかった――わけでは無いな。快適に八時間は寝られた記憶がある。

 妹に何を言われようと気にはならないしな。


「とにかくそういうことなんだ。僕のため僕のため、と言われてもちょっと引いてしまうから、それはやめてほしいということなんだ。

 それに夕雨の好きなことが増えたら、それは良いことだと思うし、結果的に僕の好奇心も満たされるわけだから、名案だと思っているんだけど、どうかな」


 自分の好きなものを見つけろ。


 出世した作家の言いそうな台詞だけれど、それは僕の本心だ。

 彼女は感情の表現が薄くても、感情が無いわけじゃない。ならば、彼女が思わずにやけてしまうくらいに好きなモノだって、きっとどこかにあるはずなのだ。

 だから、僕は、それを見つけてみたい。

 それが何より、彼女を知ることになるだろうから。


 ……まあ、そうはいっても、つまるところは、『僕のため』という言葉が気に入らないだけの話なのだろうけど。


 僕の言葉を静かに聞いていた夕雨は、しばらく無言で僕を見つめた後、くるりと反対を向いて、肉じゃがを煮ているの鍋の火を弱めて、言う。


「……私は、『3980円』で買われた『新品の美少女』です。

 であれば、購入者であり、所有者であるあなたのためを思って行動するのは、当然であり、義務であり、そして私の目的でもあります。

 ですから、それは承服しかねます」


 彼女は頑なだった。

 なぜ、君はそこまで……。


「でもそれは本当に好きなことじゃないだろ」


「私に好きなことなど必要ありません」


 あなたのもの。

 あなたの好きなこと。


 そこに、彼女はいない。

 それはひどくむなしくて、寂しいことなんだよ、夕雨。


「夕雨――僕は、君に、僕みたいになってほしくないんだ」


「……!」


 意外な言葉だったのか、彼女ははっとしたように僕を見た。


「自意識過剰とは言うけど、それはつまり『』なんだ。

 君がどんな過去を歩んできたのかは知らないけど、自分の中心に他人がいる空しさを知らないというのなら、それを知る前に、君は早く自分を大切にした方がいい。そのうち、自分がどう思われるか心配になって警察も呼べなくなる」


 ――事の真相というのは、発端というのは、ひどくつまらないものだ。


 彼女を買って、コンビニを放り出されて、彼女に頼りなく思われたら嫌だなと何とか気丈に振舞って、頭を下げたりなんかして腰の低いやつだと思われるのが辛いなと頭を下げずに、なるべく僕の情報が無いホテルに泊まらせた。どれもこれも、僕の自意識過剰が、『他意識過剰』故の、自己中心的でわがままな行動だった。


 と、との乖離。

 それを自覚して、かつ改善されないからこそ、僕は、僕が許せないでいる。


 だから、相手に「いいよ」と言われても、気を使わせていると思ってしまう。気を使っているということは、それが本心ではないということ。事実は違うのかもしれない、本当に「いいよ」と思っているのかもしれない。けれど、どうしても、それが気遣いだというリスクを考慮してしまう。


 他人が僕の中心にいるというのも、その面で言えば不正確なのだろう。

 僕の中心にいるのは、他人のフリをした僕のエゴの塊、なのかもしれない。


 ――傷つきたくないという恐怖。

 ――傷付けたくないという臆病。


「君は、『新品』で『美少女』なんだろ?

それならさ、もっと楽しい生活を送れると思う。今はこうして一緒に暮らしてもらってるけど、他所よそに行きたくなればそれでいい」


 たまたま買ったのが僕なのであって、もっと、彼女を幸せに、充実させてくれる人間はこの世にごまんといるだろう。

 だから、そんな人を見つける前に。

 君は、君を見つけるべきだ/僕に、構っている場合ではない。


「だからさ、君には、自分が自分でいられるような、それくらい好きなことを、見つけて欲しいんだよ」


「…………」


 彼女は黙ったまま、くるりとキッチンに向き直る。

 押しつけがましいよな、やっぱり。だから、今まで言わなかったんだ。

 ついに嫌われたか――そう覚悟した時、


「……理太さんは、優しすぎるんですね」


 背中を向けているから、表情は伺えなかったけれど、彼女の声は柔らかな、でも、どこかに悲しげに聞こえた。


「やっぱり理太さんは、理太さんです」


「そりゃあそうだろうな。残念ながら」


「二人もいたらちょっとまいりますし」


「なんか微妙にショックだなそれ」


 そんなやり取りを終えると、夕雨は、はぁと、深く息を吐いた。


「……理太さんの言いたいことは、思っていたことは分かりました。

 今まで、理太さんはただの根性・甲斐性・意気地無しなのだとばかり思っていたのですが、それはどうやら半分正解だったようですね」


「どちらかといえば半分だったの方が流れ的に相応しくないかな!

 というかそこは全面的に否定してほしいところなんだけど――いや、でもさっきの発言からして認めざるを得ないのか……?」


「この意気地なし」


「あっ。ちょっとイイかもそれ」


 半笑いというか、冗談交じりに言われたそれには、結構グッとくるものがあった。


「ふふっ、気持ち悪いですねっ」


「『面白いですねっ』的な感じで言われても言葉の意味変わらないからな」


 彼女が背中を微かに震わせて、笑う。

 ついこっちも笑ってしまうような、一等な笑顔。


「理太さん、帰り際に怒っていましたよね。私、知ってるんです」


 ぐつぐつぐつ、肉じゃがが煮える。


「.......気づかれてた?」


「はい。眉間にしわが寄っていましたから」


 僕はそんなあからさまな怒り方をするのか……。

 怒っている最中に鏡で自分の姿を確認するようなやつはいないだろうから、人間、意外と自分の怒っている姿というものを自覚していていないということなのだろう。

 なんか嫌な怒り方だな……。僕は指で眉間の皮膚を伸ばす。


「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」


 視線を指先から移すと、そこには、頭を下げて、髪の毛を雨露のごとく垂らした彼女がいた。


「いや、だから――」


 謝られる義理は僕にはない。

 そう言いかけて、彼女の言葉がそれを遮る。


「これから、色々と迷惑をかけるかもしれませんけど、よろしくお願いします」


 それはまるで、嫁入りの台詞みたいだと思った。

 迷惑っぽい何かは既に被っていたような気がするのだが、それを口にするのは野暮だろうから。


「うん、よろしく」


 とだけ返す。


「はい、よろしくお願いされます」


「なんか立場逆になってる気がする」


「細かいですね。寛大な心というものを身に着けてください」


「さっきと言ってること違くない!?」


 とまぁ、こんな感じで今後の方針が決まり。


 それから食べた肉じゃがは、それはそれは熱くて、甘くて、美味だった。







 

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