第十四話・僕のわがままの襲来


 リズムよくまな板を叩く音が聞こえる。

 それは心地よく聞こえる一方で、チクタクと残り時間を告げる時計の音に似ていると思った。


 見慣れた景色、僕の部屋。

 見慣れ始めた華奢な背中、料理するエプロン姿の夕雨。


 さて、何へのカウントダウンかといえば、僕の思いを彼女にぶつけるまでのカウントダウンである。

 正直、あの怒りにも似た感情は大分縮小してきてはいる。例えるならば、WEB小説の一話分ほど時間が空いてしまったのだから、仕方がないことなのだが。

 だから、僕が彼女に伝えるのは僕の『怒り』というよりは、『訴えわがまま』の方が近い表現なのだろう。


 もっとも、僕がそんなことを言える立場なのかは分からないけれど、僕が彼女の所有者ならば、このくらいは言ってもいいだろうと、自分に言い聞かせる。

 これはあくまで僕のためだ。

 僕が不快に思うから、わがままを言うのだ。


 しかし、そんな決意をとろかすような、美味しそうな甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 あの肉じゃが、確実に美味しいぞ。

 先日のカレーも夕雨のアレンジが効いていて、いつもとは違う、まるでお店の料理のような出来だったのを思い出す。


 駄目だ。多分あの肉じゃがを食べてしまったら、僕の戦意は空っぽになってしまうだろう。まさに彼女の料理の虜になってしまうに違いない。


 時は金なり、値千金。


 僕はそんな決意をもって、料理中の彼女に話しかけることにした。


「なぁ、夕雨」


「はい、なんでしょう。やっぱり私を食べたくなりましたか?」


「やっぱりも何も最初から食べるつもりはない」


「そうですか。根性無しですね」


「僕にそんな下衆な根性はいらない!」


 まったく、せっかくシリアスシーンにしようと思ったのに、これじゃあ雰囲気がくずれてしまう。

 

 んっんん! と咳払い。

 ――コメディよ去れ。

 脳内を流れる星に願い、再度視界の中心に彼女を据える。


 彼女は振り向かずに、鍋を見つめたままだ。正面切って話したいという気持ちもあったが、どうにもそれだと僕が彼女に申し訳なく思ってしまいそうなので(仕事の邪魔だから)、特に指示はしなかった。

 僕は彼女の背中に向かって、話を続ける。


「夕雨さ」


「はい」


 相変わらずのフラットな返答。感情を感じさせない声色。

 

「――何か、やりたいことはないか?」


 僕は、自分では真剣な顔のつもりで彼女に問うた。


「あなたがしたいことが、私のしたいことです」


 ろくに考える時間も無く、彼女は迷わず答えた。

 明らかに、常軌を逸している、その思考。


「……それ以外で、何かないのか」


「ないですね」


「本当に?」


「はい」


 一切のよどみなく、彼女は言ってのけた。

 それはばっちり僕の予想通りだったのだが、嬉しい気持ちにはなれなかった。


「……それで、僕が喜ぶと思っていたら、それは考え直してほしいんだ」


「つまり、私の回答に満足していないということですか。

 それならば、私はなんと答えればいいのでしょうか」


「そうじゃない、そうじゃないんだよ」


「では、どういうことですか」


 今まで背中を向けていた夕雨が、こちらに振り向く。左手に小皿という主婦然とした様相だったが、やはり、彼女の顔には感情というものが欠落していた。


「確かに、僕は君を『3980円』で買った」


「しん――」


「新品の! 君を買ったさ、買ったんだろう。でもさ、美少女を買うなんて出来事なんて、よく考えれば、よく考えなくても、やっぱりおかしいと思うんだ」


 こんなこと、僕のこの事態をもし知っている人間がいたとするならば、妹同様、やっぱりおかしいと断じることだろう。


「でもだからといって、それはただ、おかしくって笑けてくる話でしかない。信じられないけど、こうして僕は3980円の美少女に肉じゃがを作ってもらっているわけだから、それを今更どうこう言っても生産的じゃないと思う。

 ただ、僕が言いたいのはひとつでさ、夕雨は僕のものかもしれないけど、夕雨は、夕雨だってことなんだ」


「……?」


 彼女は意味を汲み取れないとばかりに、首を傾げる。ショートカットの金髪がさらりと揺れる。


 僕は息を吸って、僕の中の気持ちをきちんと確かめて、思いを伝える。


「確かに抽象的過ぎたか。具体的に、単刀直入に言おう。

 僕は――君に……君の好きなことを、見つけてほしいんだ」







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