第十一話・可愛いについて / 彼女の準備時間の物語

 

というわけで、僕は店内の安物椅子に腰かけた。


 目の前には、白いカーテンで仕切られた、四角い試着室。時たまカーテンが揺れるのは、その中に彼女が入っている証拠だ。


 確かに言われてみれば、彼女の洋服のセンスを見てみたい気もする。

 センス、フィーリングというのは明確なカタチは取らないものの、人と人との関係を決定づける重要な要因である。そしてそれは同時に、服装が個人のパーソナリティを表すものであることを意味する。


 夕雨のパーソナリティ。

 彼女が一体何を思って、何を思っていないのか。それは僕の気になるところ、というかそれを知るために彼女といるのだから、この状況は僕の願うものであるはず……。


 ――いや。

 別にそれは彼女の買ったものを見ればいいだけの話で、このチープなラブコメ的展開に対する言い訳にはなりえないのではないか。


 そもそも、彼女、またはに対する服装の評価なんて『予想外の可愛さ』とか言って背景キラキラさせておけばいい、みたいな一辺倒なものだろう。これを安易チープを言わずしてなんというのか。


 そんなイベントに巻き込まれるのはまったく御免――であったのだが、こうなってしまった以上はこちらで何とかするしかない。どうせあいつが何を着たところで偏差値60はゆうに超えてくるのだろうから。


 だとすれば、僕の取れる方策は大きく二つ。


 「可愛くねぇ」とテンプレの逆を行くか。

 「可愛い」という表現を越える単語・言葉を生み出すか、その二つ。


 僕が一体何と戦っているのかということはおいておくとして。

 前者は正直ただの嘘になりそうなので、僕としては避けたいところだ。こんなところで嘘カウンターを増やしたくない。


 だとすれば必然的に後者を選択することになるわけだが……世界で通じる『KAWAII』を超える表現となるとなかなか難しい。

 『萌え』はこれはこれでありきたりだし、その『萌え』を超える、次世代を担うセンシティヴな言葉は、どこかの物語で発見済みという報告も上がっている。

 

 そもそも『かわいい』の元々の意味は『かわいそう』だった、らしい。元の言葉は『顔映かおはゆし』で、顔向けできないという意味そこから紆余曲折あって、今の状態に落ち着いたというわけだ――とウィキに書いてあった。

 ならば語源からとって『え~』というのはどうか。


 ……なんか既視感アリ。


 これは難しいぞ。というかそもそも正解オチがない。

 もうこれは素直に「可愛いな」と安直に褒め称えるのが最善策ではないか(逃避)。

 夕雨級美少女ならそうそう適うやつはいなさそうだし。


 なんて諦めていると、カーテンの揺れが収まった。どうやら出撃準備が整ったらしい。

 謎の緊張感を、深呼吸で紛らわす。

 彼女はあの薄布一枚の向こうで不安に思っているのだろうか。期待に胸を膨らませているのだろうか。だとしたら、なんだか心がほっこり――。


「……あーねっむい」


 試着室の向こうから、夕雨の声が漏れ聞こえた。


 ……いや、全然そんな感じじゃないやん。


 というか、え、今聞いちゃいけない感じだったよね。ミッ〇ーの中身覗いちゃったみたいな罪悪感なんだけど。

 何、あれが夕雨の素なのか? 

 人間誰しもそういう顔を持っているのは承知の上なんだけど、すっげぇショック……。

 なんて僕が肩を落としていると、


「理太さん、出てもいいですか?」


「あ、ちょっと待って。今、心の大掃除してるから」


 この心境で出てこられても僕は疑心暗鬼のあまり「可愛い」も言えなさそうだ。


「私、誉められたくてウキウキしてるんですけど」


「絶対嘘だッ!」


 ウキウキしてるやつは「眠い」なんて言わないしその直前に「あー」もつけない!

 

「急にどうしたんですか。更年期です?」


「カーテンの向こうからそんなこと言うな! ツッコむのがかなり恥ずかしいじゃないか!」


 声のボリューム的に、遠くから見れば僕は愉快な独り芝居をしているようにしか見えないだろう。


「だったらツッコまなければいいじゃないですか」


「ボケなければいいんだ!」


「えぇ~」


 カーテンがぶすくれたように揺れた。一体それがどんな揺れ方なのだと問われると、ちとキツイのだが。


「なんでそんな不満そうなんだよ」


 きっとカーテンの内側で頬を膨らませているに違いない。


「それが私の目的生きがいですから」


「一週間でそんなことを生きがいにしないでくれ!」


 それに何か、彼女の『生きがい』のニュアンスが通常と異なっていたような気がする。もっと、生きがいよりも確かで、強固な響きだったような気が。


着替え中。


「いいツッコみですね」


「八日間で大分キレが増したと思うよ、自分でも」


「横浜のジャックナイフですね」


「そんな二つ名は嫌だ!」


「では果物ナイフ?」


「僕は別に実用性を求めているわけじゃない!」


「そうですか」


「そうだとも」


 はぁ……なんなんだ一体。いつになく激しいボケの洪水だ。

 しかも目の前に彼女本体がいない。僕が今まで相手にしていたのは、ボケる度にひらりと揺れるカーテンだ。

 想像してほしい、試着室の前でひとり激しいツッコみを繰り返している様を。駆け出しの芸人でもしないぞ、こんなことは。恥ずかしいったらありゃしない。

 もう彼女の本心なんてどうでもよくなってしまったではないか。


「では出ていっていいですか?

 準備終わったんで」


「今まで終わってなかったのかよ」


 僕は半裸の彼女と言い合っていたというのか。それこそ見てられないよ。


「はい、ようやく決まりました」


「渾身のボケが?」


「いいえ」


 カーテンが勢いよく開く。

 

「――心が、です」


 こちらに一歩を踏み出した彼女は、少しうつむきがちに、そう言った。

 


 

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