第五話・僕の帰還は雨の日に
僕らの帰還は、生憎の雨の朝だった。
じめじめとした肌触りの空気はうざったいけれど、六月の梅雨どきだし仕方のないことだ。
雨嫌いな僕をしてそう諦められたのは、僕が天候操作系の能力を持っていないからではなく、少し奮発して買った赤い傘が見込み通り、夕雨にお似合いだったからだ。
別に濡れてもいいと彼女は言うから本当にそうしてやろうとも思ったけど、なんとなく傘を差した彼女の姿が見たくなったのだ。
だから駅前のデパートで赤血球みたいに真っ赤な傘(1980円)を買った。彼女には最も遠い色だと思ったから。
まぁ結果として、深刻な金欠のせいで僕はびしょ濡れなわけだけど。
まぁその辛抱のおかげで僕は生まれて初めて、傘差す人間を花に例えてもいいと思えたのだから、万々歳の成果だろう。
と、そんな僕の初めてのヒトは、僕の住処を前にして言った。
「普通のアパートですね」
それは都市に溶け込みたいアパート君(仮称)にとっては最高の誉め言葉だろう。
「異常なアパートが良かったか」
「悪くありませんね」
満更でもなさそうに、彼女は肩をすくめた。
「……流石にこれ以上の異常事態は勘弁してほしいんだけど」
「そのうちこんな時間も日常になりますよ」
「そうかね」
「分からないですけど」
彼女は僕ではないどこかを見て、投げやりに答えた。
「なんでそこ自信ないんだよ」
「部屋に他の女の人がいたりしたらと思って」
「いねぇよ」
いたとしたらそれは泥棒か、地縛霊のどちらかだ。
「それでは行きましょう。
風邪をひく前に」
すたすたと僕の前を歩いて行ってしまう夕雨。
その時、前髪から、ぽたりと水滴が垂れて視界が滲む。
たしかにこの状況はよくない。
「そうだな。風邪移しちゃ悪いし」
僕らはなんの変哲もない階段を上る。
足音はふたつ。
見慣れた景色だからこそ、隣に誰かがいるという状況にどうにも違和感を覚えてしまう。それは決して不快じゃないけど、やっぱり変だ。
でもこの変も、彼女の言う通りいつかは日常になって、なんの感情も抱かなくなる。だとすれば、それななんだか寂しい気がした。
「ここですか」
「うん。206号室」
彼女はドアの前の傘立てに真紅の傘を突き刺す。
かこんと小気味いい音が鳴った。
僕はポケットから鍵を取り出しながら、室内の状況を思い返す。
部屋を出たときはまさかホテルで一泊するとは思っていなかったから、カップラーメンが机の上でしなびているだろうけど、散らかっては無いし、オトナな本を見ていた記憶もない。
僕の部屋は僕の日常を映したように、ひどく空っぽでいるはずだ。
カギを捻る。
ドアが開く。
「――!」
咄嗟にドアを閉める。
理由は単純。
かなり予想外の出来事が起きたからだ。
「どうしたんですか?」
夕雨が大きな瞳に僕を映しながら、濡れた袖を引っ張る。
まさかこんな時に袖クイされるとは思わなかったよ。
「あ、いや。僕はまるで主人公みたいだなと」
「ハリウッド映画のですか」
「いや……昼ドラの」
僕のこの発言で何かを察したのか、彼女は僕を威嚇するようにジトっと見ると、ドアノブに手をかける。
僕には止めることが出来なかった。
遂に開かれる
そこに眠るのは。
――玄関には、廊下を背負った少女が立ってゐた。
僕の思考は、古風な『ゐ』みたいにグルグルしている。
なんだ、僕の部屋に女の人がいるじゃないか――。
と、若干他人事のように呟いてみるけど、特に意味はないし状況は好転しない。
夕雨の視界には既に廊下の少女が映っていることだろう。
……怖くて顔は見れないけど、きっと般若の面みたいな顔をしているに違いない。
――言っておくが僕に彼女なんていう高尚なモノはない。
加えて言えば僕に霊感は無いし、高価なものもひとつもない。
だから、この光景にやましいものなんてひとつとしてないんだ。
本当なんだ。
しかし、どうやら僕はこの場では
廊下に立った少女が糾弾するように僕を睨みつけて言った。
「――お兄ちゃん。ちょっと説明してくれないかな?」
さて。
うまくやれよ、次の僕!
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