第四話・ひとつのベッドに頭がふたつ。

 一階のホテルの売店に入ってから、僕は外で待っていた方が良かったのではないかという考えが浮かんだけど、ここまで来たら真性の変態になってやろうと、僕はローブ姿の彼女と一緒に、女性用下着売り場の前で突っ立っていた。


 この僕としたことが、随分とアホな選択をしたものだな。


「理太さん、お好きなものをどうぞ」


「……からかってんのか」


「ご主人様はそういうのがお好きなのでは」


「おい僕はそんな傾向見せたことは無いぞ――無いよな……」


 僕にそんな調教趣味は無いはずだ。これは本当に。

 流石にそこまでひねくれちゃあいない。


「ほら、カード渡すから好きなモノ買ってこいよ」


 棚に並んだショーツ、ブラジャー、女性用シャツなどなど。

 色やデザインもそれなりに充実していることに、この国の資本主義を思いながら彼女にクレカを渡す。


「じゃあ適当なもので――」


 夕雨は言葉通り、考えもせずに正面の商品を手に取って――。


 僕は、その商品に『T』を見た。

 シャツではない。ショーツのパッケージにデカデカと描かれた、『T』だ。


「ちょっと待った。それは反則じゃないか!?」


 なんでこんなとこに売ってんだよ、『T』バックなんて。しかも赤色とはいかがなものか。


「駄目ですか」


「……あ、いや。別に君がいいのならいいんだけど。

 これから夕雨に『清楚系ビッチ』疑惑が浮上するだけで」


「なんですかその矛盾した単語」


「日本人ってのはたまに頭がおかしくなる人種なんだ」


「そうですか……それは難儀ですね」


 彼女は他人事のように言った。


「僕もそう思う――で、どうするんだ」


 Tバックを深刻な顔でじっと見つめる夕雨。一体彼女の中でどんな会議が開かれているのだろうか。

 天使と悪魔か、いや、彼女の場合は悪魔と死神って感じかな。


「では、この白いやつにします。

 これ以上所有者マスターを変態にしたくありませんから」


 どうやら死神様は白パンティ派らしい。

 気が合うな、君。


「うん、そうしてくれるとありがたいんだな」


「はい、私は『新品』ですから」


 どうやら自らが『新品』であることは彼女にとって重要なことらしい。

 僕は別に気にやしないんだけど。


 彼女はパパっとカウンターに向かって、対する僕は売店を出て、エレベーターの前に立つ。


 閉まっているドア、メタリックな表面に写る僕の顔はご機嫌そうな顔をしている。

 こんな顔をするのは、嫌いな教授が階段からコケたとき以来だった。



 とまぁそんな思い返せば大分恥ずかしい体験を終えて、僕は熱冷ましに、十二階の部屋から見える、黒と銀と橙で出来た固い夜景を眺める。


「夜景、好きなんですか?」


 既にベッドに寝ころんでいる夕雨がそんな質問をしてきた。


「いいや、果たしてここの廊下の寝心地が良いのかって考えてただけ」


「一緒に寝ればいいじゃないですか」


「なんだ、そんなに僕に課金させたいのか」


 残念ながら今の僕に7980円を払う余裕はない。

 でもそんなこと知ったことかと、後ろから聞こえる柔らかな布擦れの音。

 きっと彼女が僕のためのスペースを開けてくれているのだろう。

 

「……私を信用できませんか」


 と、不意に飛んできた彼女の言葉。


 あまりにその声音がまっすぐで、僕も思わず本音を口に出してしまう。

 こういうのを反射的、というのだろうか。


「そうだね、信用しきれてないよ。僕はまだメ〇カリで美少女が買えるという事実を受け止めて切れてない。

 それに、君は女の子だ。もう少し自分の体を大切にするべきだ」


「僕は童貞だ。情動を抑えられるか自信がない、ということですか」


「君の超高性能読心機能は取り外し可能か?」


「無理ですね。これを外してしまっては私はただの人形になってしまいます」


 そうか、お前はただの人形ではないんだな。


「まったく高性能過ぎるのにも問題アリだな……。

 で、僕の思考の七割方を読める君が僕に同衾どうきんを勧めることに、僕は疑問を抱いているんだけど」


「前も言いましたけど、別に私はをされても構わないんです。

 それが私に出来ることならば、私は全力でそれに応えます。そして性行為に関しては、私にも出来ることですから――」


 それは予想通りで理解不能な答えだった。とても僕と同じか、それより下の女子が言う台詞じゃない。

 一体彼女の何がそんな受け答えを可能にしているのか、気になった。


「――君は、一体何者なんだ」


「それは――」


「『美少女・新品』以外で」


「…………」


 そこで振り向く。

 逃げ道を失った彼女は、困惑気味に、きょろきょろと青い視線を彷徨わせて。

 やがて、息を吐くように、彼女は答える。


「私は、私ですよ。

 こうあることしか出来ない私です。

 そしてあなたのものになった、私です。」


 それはまるで詩のような響きだった。

 だから、意味は分からない。

 でもきっと、それは彼女が彼女について語った言葉しんじつだ。


「……だから、どうぞ。

 この場所はあなたのものです。

 私の隣は、あなたのものです」


 それは、一風変わったお洒落な告白のようだった。

 でもまぁ彼女が言っているのはあくまで所有権のことであって、決して気持ちだとかそういう有機的なことじゃないんだろうと思うと、不思議と心が休まった。


「だから、寝ましょう。

 理太さんはお疲れです」


 彼女は言う。


「……まったく、その通りだよ」


 僕は大きく息を吐くと、彼女と同じベッドに潜り込んだ。

 うん、とても温かくて、心地が良い。家の安物布団とは大違いだ。

 でも……、家の布団じゃこんなに緊張しない。


 彼女のまつ毛の一本一本が数えられるほどの距離。

 鼻腔をくすぐる彼女の――というかボディソープの甘い匂い。僕からも同じ匂いがすることだろう。


「まさか向かい合うとは思ってませんでした」


 彼女は、ほんのり頬を朱に染めて、囁くように言う。


「うん、失敗した。これじゃ寝れない」


「私も少し寝づらいですね」


「そりゃ意外だな。こういうのも一切気にしないかと思ってた」


「気にするなと言われれば、気にしないですよ。

 どさくさに紛れてキスされようと、気にしませんとも」


「僕はファーストキスをそんな雑にするつもりはない! 初めてはもっと素敵であるべきだ」


「童貞にありがちな幻想というやつですね」


「たまにユーは口がバッドになるよね」


「これがデフォルトですから」


変更チェンジ


「398000円になりますが」


「たっか⁉」


 桁数がおかしくないか⁉


 お金云々の前に、僕は今の彼女が嫌いではないので替えるつもりも、送り返すつもりもないんだけど。


「お試しモードでしたら無料体験できますよ」


 なんだそのバナー押したらウイルス感染でもしそうな怪しげな言葉は。


「試してみます?」


 問われる。

 無料より高いものはないというが、無料が一番安いのも事実だし。

 僕は首を縦に振った。


 すると。


 七時間ふだんはどこか人形めいた、感情の薄い表情が一変。

 ヒマワリのような笑みを浮かべて――。


「お兄ちゃんっ! 大好きだよっ!!」


 甘い猫なで声。

 むぎゅっと、僕に抱き着いてきた。

 

 全身に伝わる、彼女の体温とテディベアよりも遥かに柔らかな感触。

 首筋を彼女の絹のような髪が撫でる。


 これはいけない……!


 女の子ってのは薬物のような依存性と核爆弾並みの破壊力を併せ持つ、大変凶悪な兵器だったのか。

 こんなものが日本に五千万以上あるとかもはや終わりだ。みんなよく生きてるな。

 僕の理性が爆発四散しそうだったじゃないか。


「――はい。どうでしたか。好感度マックス義妹ぎまいモードは」


 その声は、いつもの起伏のあまりない彼女の声だ。

 なんか仕事終わりのOLみたいだな、なんて思った。


「あ、うん、意外とマニアックな設定なのはおいておいて、はい、ひとまず離れてくれまセンカ」


「お気に召しませんでしたか?」


「い、いや、そんなことはないんだけど、ほら、『可愛い子には旅をさせよ』って言うじゃん?」


「旅をしろと」


「ひとまず十センチ向こうまで旅立ってほしい」


「分かりました、お兄ちゃ――理太さん」


 うん、なんかそのグダグダ感に安心したよ僕は。


 彼女がそっと、まるで僕を気遣うように、丁寧な挙動で遠ざかっていく。

 僕もそれを好機にと寝返りをうって、彼女に背を向ける。


 そしてそのグダグダに免じて。


「起きたら、僕の家に来るか?」


 言うと、


「はい。ありがとうございます」


 彼女は、静かに、感謝を告げた。


 ……これが僕の人生において三番目、あるいは二番目の気の迷いであることは、知る由も無かったのだ。

 

 

 



 

 


 

 

 

 

 

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