第三話・彼女の名前と、僕の行方
買ってきたのはミートドリアとうどん、それに『か〇あげくん』のチーズ味だ。
ちなみにドリアは火傷しそうなほどに熱々である。
そんな数十分後には胃の中にまるっと収まっているであろうものを、どさりと机に置いた僕に、彼女は間髪入れずに聞いてきた。
「私の名前はどうなりましたか?」
ドラマでよく見る、手術の結果を伝える医師になった気分になる。
「一緒に考えようと言ったじゃないか」
「私は私のモノじゃありませんから、名前は理太さんが決めてください」
名前で呼ばれたのが少しくすぐったかった。
とはいえ僕に残念ながらネーミングセンスは無い。
某RPGのパーティーメンバーの名前は全員知人の名前にしたし、実家で飼っていた犬の名前はポチ。
お手本のような名付けである。こんなところで凡庸を晒したくはない。
「……といってもなぁ、おま――君はそもそも
なんか似たようなことをつい最近訊いた気がするな。
「あなたの子を妊娠できるくらいにはヒトですよ」
「うん、インパクトのある説明をありがとう」
どうやら彼女に答える気はないらしい。
飛行機の上で生まれたのだろうか、こいつは。
「じゃあ、好きなものとか」
「ないですね」
「強いて言えば」
「理太さんが好きなものを好きになります」
「ちょっとそれキュンときた」
「それを口に出すことにゲロっと来ました」
「…………」
うん、やはり彼女の僕に対する好感度は未だゼロらしい。女の子がゲロとか言っちゃうのね、ふうん。風紀の乱れを感じるぞ。
「それで、名前は――?」
彼女は明け方の空みたいな澄んだ蒼の目を輝かせている。
そこで、僕は疑問に思う。
「なぁ、そんなに名前に意味なんてあるのか?
名前なんて個体の識別に便利なだけで、余計な属性が付与されるだけじゃないか」
例えば、坂本龍馬の名は全国にとどろいていることだろう。
されど彼がやったことを把握している人はその中の何割だ。
名前ばかりが先行するばかりで、彼を彼たらしめる人生の内容は一体どこに行ったんだ、なんて思うことがある。
すっからかんの
彼女は、僕の目を見て、でも同時にどこか遠くを見ているような望郷の顔をして、答えた。
「……名前が、残るじゃないですか。
その人が死んだり、消えたりしたって、記憶は、想いは、名前は残るんですよ」
その声は静かに、こげ茶のカーペットに沈んでいく。
「無意味だ。死んだ後の話だなんて」
「……そうでしょうね。
でも、葬儀屋にとっては意味があるとは思いませんか」
ふと脳裏に浮かぶ、交差点に置かれた、いつの間にか死んだ誰かの苗字の書かれた白黒の看板。
「将来の夢は葬儀屋なのか」
「ふふっ、そうですね。
私は葬儀屋なのかもしれません」
葬儀だなんて線香くさい単語は嫌いなんだけど、まさか彼女の初めての笑顔がそこで出たから、どうにも心がざわついて。
「はぁ……まぁ君が言うのならいいさ。
興野のセレクションで汝に名を与えてやろう」
とっさに魔王のフリをして誤魔化した。
はたして誤魔化しきれているのかは疑問だけど。
「なんですか?」
実は部屋を出た時点でひとつ思いついてはいた。
面倒くさくごねたのは、まぁ、テストの赤点を隠す小学生の気持ちを痛いほど理解したからだ。
「……『
その理由は単純だ。
夕方に会って、雨ってのは今が梅雨だから。
それに、お前は
「いいですね」
彼女は即答した。
「いやそこはちょっと噛みしめて答えるところじゃないの⁉」
――魔王はかくして倒されたのであった。
「ふふっ。だって、中身を詰めるのはこれからなんですから」
彼女は微笑む。
聖母のような穏やかなそれではなく、もっと無邪気で花咲くような笑顔だ。
「……じゃ、その第一歩としてまず、どっちを食べたいか決めよう。
俺はうどん」
まず手始めに満たされるべきは満腹中枢だ。
「私もうどんです」
顔を見合わせる僕ら。
「そのなりでうどんは反則じゃないか?」
立ち食いそば店で江戸前寿司をフォークで食べるくらいには違和感がある。
「外見で物事を判断してはいけないと教えてもらってないのですか?」
「バカにしないでくれ。俺の親はマナー講師だ」
「ハッ(嘲笑)」
「瞬時に
「理太さんの親御さんを笑ったわけじゃないですよ」
「……言いたいことは分かった。さぁ、
*
意外にも美味だったドリアはゴミ箱へ。
華奢な身体の割に食べるのが早い彼女は先にシャワーを浴びている。
出荷(あえてツッコミはすまい)されるときに綺麗にしてきたと言うが、どうにも箱詰めにされる夕雨の姿が浮かんで、度々食指が止まったものだ。
「……」
無機質なはずなのに、どこか煽情的なシャワーの音。
トイレのあの音消しもこんな感じにしてしまえばいいのにな。
と、混乱する思考を整えるべく、テレビの電源をつけて、薄っぺらな人間の雑音を聞く。
まったく記者達は何をやっているんだ。
世にも妙な体験をしている人間がここにいるってのに取材のひとつも来やしない。
と、ここでジーパンのポケットにスマホがあったことを思い出す。
どうにも僕はアナログな人間らしく、テレビはともかく、小さな板切れの文字を読むのが不得意なのだ。
とはいえ、だ。この体験記を僕の秀逸な文章に乗せてSNSにあげればそこそこ拡散されることは間違いない。
しかしそれをする気力もなければ体力もない。
だから、僕は短く
『お届け品と
と。
正確には『ナウ』ではなく『ウィル』であるし、そもそも僕にそんな胆力があるのかは不明だけど。
さて、一人になると色々考えるべきことが出てくる。
主たるものは、うん。間違いなく彼女についてだ。
彼女は信にたる人物なのか、という問題である。
「I'm yours. か」
なんとも馬鹿げた言葉だ。
あの言葉が彼女の嘘ならいいのだけど、残念なことに彼女から嘘の気配が感じられたことは一度も無い。もしあれが嘘でしたなんてことになればきっと僕の行く先は女性恐怖症だろう。
本当でも相当怖い話なんだけど。
自分はあなたのものだなんて、そう簡単に言える言葉じゃない。
それには二百年前に欧米人が必死に獲得した人権を放棄しないといけないし、同時に自分の自由も廃棄せねばならない。
――いったい、彼女は何者なのだろうか。
自分を創作物のヒロインと勘違いしたねじの外れた女なのか。
退屈で八方ふさがりな男子学生を救う天使なのか。
まだ僕は彼女を構成する顔のパーツしか知らない。
まさに未知の具現たる彼女の可能性なんて、いくらでもある。
考えても仕方のないことだと分かっていたのに、彼女のことをずっと考えていたところ、突然だけど、僕はことわざの力を思い知った。
『噂をすれば影が差す』。
この状況でいえば、そうだな。
『妄想すれば、バスローブ姿の乙女が立つ』
か。
ローブの隙間に覗く鎖骨がエロチックだ。
ん、ちょっと待て。
上昇する体温をよそに、僕はホームズ張りの推測を立てる。
彼女がコンビニの制服姿だったのは、あの店のサービスだったのではないか、と。
貞操観念でさえ金で売るような奴だ、きっと服は別売りだったのだろう。
そして! コンビニに! 女性下着の指定はございません!
「Heyユー。さては今まで十八禁展開一歩手前だったろう」
「……?」
彼女は小首を傾げる。
心は読める癖に察しが悪いとはどういうことか。
「はぁ……夕雨は下着つけてないだろってこと!」
「はい、つけてませんよ」と、彼女は即答した。
神よ、この娘はユニフォーム・オン・ヌードというきっとどこかに需要がありそうな恰好をしていたというのか……!
言っておくけど、僕はそそらないよ。うん。僕はそんなに変態じゃない。
「買いに行こうか」
僕はスタンドアップ。
「この恰好で?」
「今更自覚するのズルいと思わないのか?」
「私は良いんです。
でも、きっとそれは常人には出来ない判断だな、と思っただけです」
「僕を変態というか」
「時と人によっては」
「じゃあ男が夜に一人で女性下着を買いに行く様は」
「変態ですね」
どうやら僕はどのみちHENTAIだったらしい。
「きっと社会的ダメージは後者の方が大きいかと」
「でも、下着を買うローブ姿の夕雨の隣に僕がいるのは、大分変態的行為ではないか」
「では私が一人で行きますか?」
「あー、いや。それはなんだかよろしくないことが起きそうなのでやめとこう」
中身は得体のしれないものだとしても、外見だけは超一流だ。
こいつのことだし、色々と不安が残るのは事実。
3980円と、僕の一夜の変態的行為。
賢い僕は前者を手放さないことの方が正しい判断だとハッキリ言える。
「ということは」
「あぁ、一緒に買いに行こう」
死なばもろとも、
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