章末話「最初の敵」

 始めに現れたのは眼球だった。


 次には脳。


 骨が徐々に現れる。


 まるでCTスキャン。


 内臓――


 筋肉を纏う。


 皮膚が覆う。


 胸と腰の曲線。


 舞う黒髪。


 揺れる制服。


 赤い眼鏡。


 右手のアサメイ。


 黒川ミズチレヴィアタンが形成されていく。


 魔女が現れる――




 木徳直人は瞬間移動の全貌をスローモーションで捉えていた。

 なぜ彼女が現れたのか、瞬時に先を読んだ。

 だが意識で認識しても動作が追いつかない。

 それでも口を動かそうとした時、

 振り返っていたユダが先に叫ぶ。


「やっとな! レヴィ――」「やめ――」


 彼が制止するよりも早く。


 宙にいるミズチが、

 逆手に握ったアサメイを、

 ユダの首へ、


 スッと刺し込んでいた。


 包丁で豆腐を刺すかの様に。


「やめろーーッ!!」


 直人が叫ぶ。

 聞いた彼女が彼を見た。

 ラプラスの眼を見開く。

 即座にアサメイから手を離し、

 背後の黒板をタンッと蹴った。

 跳躍。

 空中で回転し、地面に着地する。


「ミズチ! なんで、」

「湯田黄一が、」

「余計な事をッ!」

「直人くんを殺そうとしたの、見えたから……!」

「殺せなんて言ってないぞ! あいつにはまだ聞きたい事がある!」


 まるで大人に怒られる子供だった。

 狼狽うろたえているミズチの眼には、既に通常の光が戻っている。

 動物にこれ以上言っても無駄、やってしまっては手遅れだと直人はユダの方を見た。

 で銃を持ったまま、よろよろと後退っている。首には、アサメイの柄が生えていた。


「湯田。俺が治してやる。早くこっちに、」

「ナオト……オレのだ!」


 ユダが高らかに宣言した直後、血を吐いた。

 告げられた『勝ち』の意味が分からない。


「何言ってるんだよ! ほっといたら死ぬんだぞ!」

「お前は……オレが本当に友紀陽子と付き合ったと思ったのか? ナオト!」


 刺された側の首を左手で押さえている。それでも指の間から血が滴る。


「この湯田黄一が。異性に好かれる男じゃないのを知ってたはずだ。オレがそう作り上げた。黒川美月のやり方と同じ」


 直人は遂に違和感の正体に気づいた。


「湯田、お前は。お前、ミズチと同じだったんだ。本当は。お前も悪魔だったのか」


 ユダが右手を掲げて銃を振る。

 それから一笑した。


「ははッ! だからオレは女なんかに興味はない!

 お前に感じさせたかっただけだ。の息吹を。

 現に話を聞いた時のお前の目……嘘で創作意欲が湧いたな!」

「それでお前があの子を」

「殺す必要はない。既に精神が死んでた女だ」


 ユダが笑う、


「けど友紀が屋上から飛ぶ様子、あれはオレも愉快に観賞できた。

 次元由美も同じ……今頃は樹海の死体だ」


 へらへらと。


「ミズチ、絶対に手を出すなよ」


 彼が命じた。彼女も従って、黙ったまま二人を見ていた。


「分かったから湯田、早く俺の所に」

「ナオト……セノバイトは完全でもお前自身はまだだ。近距離でなければオレを。お前が近づいて来たら、このナイフを抜く……。抜けば失血ですぐ死ぬだろう」

「どうしてだよ湯田!」


 銃口でミズチを指して言う。


「相変わらずいい腕だよ、この売女ばいたは」


 銃を自分のこめかみ向けると、ユダが問うた。


「ナオト……思い出せ。エルが見つけた銃に、入ってたか?」


 直人はハッキリ思い出した。

 あの拳銃には、弾がのを。

 ユダが銃口で再び彼女を指す。


は、我々の力を利用してると思ってる。だが真に利用したのはオレ達だ……。

 その蛇……ミズチもお前の配下で、利用される側。ただの道具でしかない。ナオト、まだ分からないか?」


 銃を投げ捨てて、彼へ問いかけてくる。


「躬冠泉もそうだ。思い浮かべろ……。

 

 魔女の名が、どうされていたかを――」


 ユダがゆっくり血塗れの口角を上げる。


「オレの、、なんだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、直人の中でが繋がっていく。




 湯田黄一


 躬冠泉


 黄泉


 黄


 泉




 ――




「ナオト、オレがだ」




 言っている意味は分かるのに理解が出来なかった。

 本当は分かっているのに、彼はもう一人の自分が気づかない振りをしているのではないかと思わずにはいられない。

 頭はのに言葉が出ないのだから。


「お前が殺したのは、能力者じゃない……。だ。

 最後の乗り手は、このオレ。オレこそが馬に乗っている“死”だ……。

 覚醒したのは、オレの能力……使の力と、連動するとしての黄泉。

 何よりも、お前とオレ……“魔術師使い”には、膜も不要なんだよ」


 ハハハハとユダが高笑いした。

 咳き込んでまた吐血する。

 そして右手をアサメイの柄へ。


「さあ、そろそろ終わりだ、ナオト」

「よせよ、何をやって、」


 ユダがアサメイを引き抜く。

 一気に血が吹き出した。

 力なく手放したアサメイが床へ転がる。


「ナオト、黒川ミズチレヴィアタンは武器……。乗せたお前を、まで運んでいく……。

 四騎士は、お前の、に過ぎない……。

 お前の時……。

 は、する……」


 ユダが倒れる様に座り込む。

 オールバックも乱れたその顔が、どんどんなった。

 四番目の蒼白い騎士。

 ヨハネの黙示録通りになったと、直人は悟った。


「冗談だろ、どうしてこんな」


 親友が死ぬ。


 親友――


 本当に、親友だったのか?


 どこかで単なる知人としか認識していなかったと彼は確認した。

 受けた衝撃や出る言葉、湧く感情も、映画やドラマの真似をしているだけ、


「ナオト、驚かせ、たくて、話したん、じゃない……。

 ……オレ達の、勝利。メシア、不法の、者を、反キリ……降臨、させる。

 その為の――


 全て、


 ――最後に、教え、てやる……。

 思い、出せ。使い、魔の。魔術、の……原、則、を……」


 直人の記憶と思考が、一列に連結する。


 魔術は――







 ユダが彼の顔を見て満足げに微笑み、呟いた。


「向こうで、待ってる。また、会おう」


 ユダの目から生命の光が失せていく。

 人間としてのは静かに肉の塊となった。

 だが魂の脱け殻からすぐに黒い蠢きが生まれ、闇が身体の形を消していく。

 直人はそれをただ見つめていた。

 キャンプファイヤーを眺める様に。



  *



 ミズチは断片的な情報で判断した。

 最初から全て湯田に仕組まれていたと。まるでゲームの様に。

 直人とは出会うべくして出会いここまで辿り着いた。自分は彼の為に存在していたのだと自覚する。

 けれど今の彼女にはそんな事情はどうでもよかった。

 直人くんがいれば、自分が側にいられれば、それでいい――


 そう考える間も、異常に感じるカリスマ性と吸引力に抗えなかった。

 彼の横顔を眺めると、今この教室で抱かれたいと欲望に駆られてしまう。

 だがそれとは別に、胸の奥で――


「そもそもお前のせいだ」


 横顔が呟く。


「お前とさえ出会わなければ。知り合わなければ。興味を持たなければ。変な鉛筆も見なかった。こんな事にならなかった」


 直人が振り向いた。

 今まで見た事がない程の冷たい目。

 ミズチの胸の奥が、で締めつけられる。


「直人くん」

「お前さえいなければ」

「直人くん」

「お前さえ生まれて来なければ」

「……」

「なんで存在してるんだ、お前は」


 心臓の奥から苦しみが湧き上がってくる。

 彼女は初めて耐え難い本当の痛みを感じていた。


「そんな事言わないで……」

「そうか、もしかしたら」


 彼は何かに気づいた様に口ずさむ。


「ミズチ、お前を、どうなる」

「……」

「お前が、本当はなんじゃないのか」

「何言ってるの?」

「そうだ、黒川ミズチレヴィアタン、貴様を、全てが元通りになる、これが答え、かもしれない」

「やめて」

「そして、今の俺なら、それが出来る」

「お願い」

「さっきから、おかしい。ユダが言っていた。お前は俺の命令に、従うはずだ。絶対に、今なら尚更に。なぜ、口答えを?」

「分からない」

「何かが前とは、違うのか」

「あたしは知らない!」

「お前、ずっと前から、頭の中、腐ってるんだろ」


 ミズチの心中は不安と混乱、渇望に占拠されていた。

 望んだ未来が来ない。なぜだか分からない。正解が見えなかった。

 更に彼女は気づいた。異常なカリスマ性と吸引力を、もう感じなくなった。

 今はただ、前から徐々に感じて気になっていたが膨らんでいく。痛みと共に結びつき、大きくなっていく。

 それでも――冷酷な空気は動いた。


「――


 四方から鉄の鎖チェーンが飛来する。

 鎖はミズチの手脚に絡みついた。

 鉤爪が、服と肌を裂いて、刺さる。


「そうだ、ミズチ、だ――」


 彼女は動けなかった。


「お前を、


 同時に、もう動きたくなかった。



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