第七章『最後の敵』

第一話「最後の夢」




 葛葉くずのはレイを復元し、別れを告げた日の夜。

 自室で眠る木徳きとく直人は最後の夢を見ていた。

 それは特別な悪夢。




 天気が悪く、陽は届かない。

 曇り空の下で目についたのは荒野だった。

 荒れ果てて草も生えていない。

 地面は乾燥してひび割れていた。

 口内も砂っぽい。

 それはイメージで、口自体はないと彼は知った。

 視覚だけが宙に浮いている。

 浮きながら、直人は火と月の力を感じていた。

 だが半分。

 火と月の残り半分を探す。

 振り返ると一本だけ生えていた。

 次の瞬間に枯れて消えたので気にしなかった。

 今は自分の中に木が生えていると感じる。

 彼は前方を見た。

 一人掛けのソファが後ろ向きに置いてある。

 使い込まれていて見覚えもあった。

 そこにが座っている。

 後頭部は見えるが顔は見えない。

 座高の高さから体格が良く、身長も高い男だと感じた。

 スーツ姿の男は前方の何かを見ている。

 男の視線の先を追う。

 遠方。

 街がある。

 荒野にぽつんとビル群がある。

 世界から取り残された摩天楼が密集する街並み。

 男の様子を彼はじっと窺った。

 後頭部は動かない。

 前方を見据えたままだ。


 ブーンと飛ぶ音がする。

 直人が周囲を見渡す。

 二匹の蚊が飛んでいる。

 雄と牝。

 蚊達は前方、ソファの男の方へ飛んでいった。

 彼の視野も男へ近づいていく。

 黒い男のの右側、肌色が見えた。

 そこに痣の様な物が――

 男がすっと立ち上がる。

 注意がその身体全体へ向く。

 やはり身長が高い。

 直人より随分と高く、だった。

 スラリとしていながら更にはガッシリもしていて、体幹が安定して見える。

 黒いスーツ姿の男はゆっくりと前へ足を踏み出した。

 地面を踏む音と共に前方へ歩いていく。

 一挙手一投足がスローモーションの様に彼は感じた。

 男の周囲で複数のハエが飛んでいるのにも気づく。

 蠅の舞い方は、喜んでいるかにも見えた。

 男はお構いなしに歩を進めている。

 向かう先、あの街へ。

 しかし段々と天候が悪くなる。

 特に街の付近の雲行き。

 それでも男の歩みは変わらない。


 ふとどこからか四足の動物が現れた。

 

 それも

 

 狼達は男の後を追っている。

 のか。

 そう思った直人は不思議と懐かしさを覚えた。

 二匹は男から一定の距離を保っている。

 再び街の様子を注視した。

 黄昏時の様な暗さ。

 ビル群の上空にはが渦巻いている。

 風と雷の嵐が徐々に現れ、街に停滞している。

 黒い男は止まらない。

 むしろ男が近づくにつれ嵐の様子は強まっていく。

 なら、この男が街に着いたら――

 その時、スーツの男の足が止まる。

 男の数メートル先。

 大きな穴がある。

 深く暗い底知れぬ大穴。

 立ち尽くす男に狼達が追いつく。

 二匹が両側から男に迫る。

 襲われる、危険が迫る寸前。

 狼は男の座っていた。

 そのこうべを垂れている。

 黒いスーツの男は狼達を無視して大穴を眺めていた。

 すると瞬時に穴が埋まった。

 これで男はまた歩き出すだろうと彼は思った。

 けれど埋まった地表の上に何かがある。

 何かからが感じられた。

 注意深く観察すると、それは地底から地上へ現れた者だった。


 誰あろう“黄泉ヨミ”である。


 黒いスーツの男がまた歩きだした。

 数メートル先の“黄泉”に向かって。

 蠅達が先行して飛ぶ。

 狼達は男にする。


 信奉者フォロウィングを引き連れて、男は“黄泉”を見据えながら街をも目指す。


 は止まらない。


 直人の視界も男に近づく。

 ある一点に。

 自身ではもう止められない。

 視線が釘付けになる。

 首筋へ――




 ――――6。







 彼は心地良い朝を迎えた。

 同時に、見た夢には不快な要素もあった。


「半分はある。そうなると知ってて手引きしたのか」


 直人は携帯電話を手に取る。

 さっとメールを打つ。


Sub【重要な話がある】

『放課後、アジトに来い』


 黒川ミズチからの返信は相変わらず早い。

 だが中身は読まなかった。


 右手で撫でる。

 目覚めてからは首筋右側を自愛していた。

 首だけではない。

 右手首と左胸の辺りもだった。


 彼は既に知っている。

 今日から自分が、人間になったのを。




 朝食へ向かう前、衝動ともつかぬ気分で筆を取った。

 何も考えずに書いた時間は二十分足らず。

 連作掌編最後のの作品を書き上げた。







 黒川美月に日の放課後。

 直人はアジトで彼女を待っていた。

 必要な情報だけ全て話す。それで話は済むと考えていた。

 いつものドアの音がして、オーバルタイプの赤い眼鏡をかけたミズチが姿を見せる。


「急いで来たよ」


 息が少しあがっている。

 彼から見るとやはり普通の女子に感じられた。

 何人もの人間を手にかけてきた殺人鬼。

 そんな風には見えない。


「重要な話って?」


 ナイフと魔術を操る魔術師。

 強大な力を駆使し、三人の能力者をほふった魔女。

 とてもそうは見えない。


「黒幕が分かった」


 彼女が驚いた顔を見せた。

 最上流層グループの看板にさえ見えない。

 自分が一捻りすればすぐ死にそうな女。

 感じながらも続ける。


「夢で黒幕を見た。レイをあんな風にした張本人がいる。十中八九、奴が仕組んだと考えてる」

「夢……それって、誰なの?」

「ミズチはまだ知らなくていい」

「なぜ?」

「君とは面識が無い相手だ。それにレイの仇だから。知った直後の方が殺意も湧く。戦うには都合はいい」


 本当はまだ言わない方が面白いと考えていた。

 ミズチは逡巡してから直人の目を見つめる。


「分かった。あたしは直人くんに従う。言ってくれたらその時、すぐに」

「ああ、それでいい」


 彼は彼女の髪を軽く撫でた。

 撫でられたミズチが一瞬びくんと身体を揺らす。

 顔がやや紅潮しているのが見てとれた。

 直人にはその意味が分からなかったが、だと受け取った。

 彼女がやや上目遣いで聞いてくる。


「それで、そいつどうするの?」

「今までは気づかない内に敵から迫られた。ずっとこちらが後手。今度はこっちが先手を打つ番だ」


 息を吸って、吐きながら、明確な意思を込めて大事に言う。


「――俺が殺してやる」



  *



 殺害予告を聞いたミズチは戦慄していた。

 目には魂が宿ると聞いた事もあったが、宣言した直人の目が正にそれだった。

 レイの時より明確な殺意の魂が宿っている。

 復讐心からだろうか。レイの為に。それとも――

 同時に不思議な快感も覚えていた。

 まるで自分に向かって放たれた発言だと彼女は感じている。

 その身と心はマゾヒストの様に疼いた。

 既に言葉も出てこない。


「――今日はそれだけじゃない。新作がある。シリーズ


 からっとした爽やかな笑顔でいつの間にか彼が話していた。


「君に聞かせたいよ。俺の自信作だから」

「うん……聞かせて」


 直人の顔が迫って来て、口が耳の辺りで止まる。


「タイトルは――」


 題名からは囁き声。

 鼓膜が子宮になりそうな美声だった。

 声が頭の中まで入ってぐるぐると回る。

 中をかき混ぜて脳をとろけさせた。

 何もかも溶けてから、話が頭の中を――




「――どうだった?」


 気づかぬ間に彼の語りは終わっていた。

 直人の顔は耳から離れ、ミズチの目前にある。

 キスで眠りから起こされた姫の様にこう言うしかなかった。



 羞恥心もあって他に表現のしようがない。

 聞いた彼はやはりからっとした笑顔で応えた。


「よかった」


 そして恐い顔つきになる。


「今後の予定を話す」

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