章末話「おやすみ」

 アサメイを突き立てた瞬間、木徳直人は最も自覚した。

 既に流入していた知識と、自身が特殊能力者という現実を。


「どういう事!」


 葛葉レイが彼に向かって叫んだ。

 隙を見た黒川ミズチが跳ね起きて距離をとる。

 悲愴な面持ちでレイが問いただした。


「手は出さないって言ったのに! 嘘だったの? どうして、ウチを裏切るの?」


 レイが絶叫する。


「こんなに、こんなに好きなのに!」


 それでも彼はレイをじっと見つめた。

 負の感情を乗せて。


「大好きなのに! 直人の事だよ!」


 滞留させていた念力セノバイトの気配が


「なんで、ねぇなんでウチじゃだめなの。ねぇ、なんでよ! なんで。答えてよ直人!」

「ミズチ、アサメイを見ろ!」


 ミズチの視線がナイフの方へ向く。


「中継器と思え! 必要なを今すぐ思い出せ!」


 声が届いてミズチが震えだす。

 両手で身体を抱き締め、小刻みに。

 徐々に嗚咽おえつめいた鳴き声があがる。


「アアァ……アァ……ァアア……!」


 レイの注意が直人から剥がれてミズチへ向く。

 念力セノバイトの気配。


「レイ、もう遅い」


 彼の声には確信があった。

 突き立てたナイフの柄から手を放す。

 炎と風の象徴アサメイが垂直に立っていた。床から浮く刃。

 直人はあのを思い描いた。


「ミズちゃん、これなにッ? 直人っ!」

「来るな、レイ。君の敗けだ」


 ――を捉えるなら。


 アサメイが床に倒れる。

 再び念力セノバイト


「なんで。それでウチを傷つけるの? ウチは直人を、こんなに好きなんだよ?」


 レイの目には涙が浮かんでいる。

 本物の、涙の粒。

 目が良い彼にも見えていた。


「ウチを傷つけないでよ。傷つけないで。愛してる、直人を愛してるから……」


 直人は沈黙し、何かを待っていた。

 ミズチの方へ目をやる。


 それは声のない女の慟哭――

 あの光景。


 待望の状態。


 ――もうすぐ。


「直人ぉ! ウチを見てよ! 気持ちを教えてよぉ!」


 彼は再びレイを見据えた。


「レイ、紛い物なんだよ、君は」

「もっとちゃんと見て。ちゃんとウチを愛して」

「今の君は、前のレイとは違う」

「だからウチを見てよ。それから触れて。全部、全部満たしてよ……」

「僕よりミズチの方をよく見ろ」


 素直に従ったレイがミズチの方へ首を向ける。

 涙の粒も散ったのが見えた。


 口火を切った直人が整理して語り出す。


セノバイト念動。また“愛情”はミズチへ向いた。それは意味がない。アサメイにはがある」


 ――の役目。


「中継器だけじゃない。を短時間は留める。レイ、しかない“愛情”ではダメだ。発信源を消せない」


 ――均衡が裏目。


「だから別の地点に。それは発信源でもなく術者でも能力者でもない。君の力でも


 ――発信源を捕捉する、の能力だから。


 息を吸って、吐く。


「魔術の存在が現れる! そうだ、塊か! もう一体の、レヴィアタンミズチ!」


 感嘆の声をあげた彼の視線の先。

 のミズチを見ているレイの背後。そこにいる。

 白銀ながらな雰囲気。

 ミズチのが浮いていた。

 の様に――


 白銀の分身体ミズチは宙で静止している。

 そして緩慢に両手を突き出した。だが機械的な動作。

 ――実際は僅か一秒。直人はスローモーションに見えていた。

 静止した時の感覚の中、燃える白銀の指から何かだけが伸びる。

 ゆっくり伸びていく。

 レイの背後へ向かって、蠢動しゅんどうして。侵食する様に。

 彼はそれを、無数の黒いを、じっと見ていた。


 ――あれは、か。。使い魔、セノバイトにも似ている。


 石化した様なレイは迫り来る触手に気づかない。

 黒い触手の先端がレイの背面に触れる。


「ああっ」


 苦痛とも快楽とも取れる声。

 黒の触手が次々とレイにタッチする。

 触れた部分が制服と共に崩れた。

 崩れた分だけ何かの粒子も舞い散る――


 粒子それはレイの肉体の一部だった物質。


 直人には鞭打ちの光景に見えた。

 レイが鞭で責められ、弱っていく。

 観察して次の瞬間には理解した。


 ――死の魔術の。エネルギーの集束、変換されるを見てるのか。


 今まで視認できなかった過程と作用。それらを低速で認識していると感じた。


 本体のミズチは胴を抱き締めた姿勢のまま、眼からは黒目が消えている。


 虚ろな目で宙を見るレイが呻き続けた。


「ああ、直人、怖い、痛いよ……。けど、気持ち、いい……。いいよ、直人なら、直人、あ、ああっ」

「ミズチ! 早く分解しろ!」


 本体ミズチが発する声のない咆哮が増す。


 レイの美しい細胞がポロポロと落ちる。

 半壊していく肢体。


「直人、直人、もっと、抱いて……。愛して、る……」

「早くしろミズチ!」

「死んでもいい……苦しくても……。一番に、なりたいよ。直人の、一番に、」


 顔が彼へ向いていた。


「ねえ」


 目からは液体が流れている。

 微笑みも浮かんでいた。


「直人。


 アイス……


 いつ、


 食べにいく?」


 笑顔もポロポロと崩れて、


 粒子と共に消えていく。


 直人は目を閉じた。




 目を開くと、レイや分身体ミズチは消えていた。

 本体ミズチは座り込んでいる。

 茫然自失の彼女には構わず、彼はレイがいた場所まで来て、見下ろす。

 まだ痕跡は残っていた。

 床にある粉の様な物質に触れる。


念力セノバイト、今どれほど使えるのか、


 再び目を瞑り、集中する。

 人生で最大、常人なら脳幹が切れる程の集中。




 どこかへ入っていく。


 闇の底へ落ちていく感覚。


 深く潜る。


 深く。




 足裏が水底についた。




 直人は見渡す。

 荘厳で巨大な城内、西洋の城の中にいた。

 中世に作られた印象だが雰囲気は随分暗い。

 歩き出すと時間から切り取られた気分になった。

 人は一人もいないが、歯牙にかけず早足で進む。

 探し物に向かって。


 豪華だが暗い大広間に出た。中央には誰かがいるのが見えた。

 彼は近づいていく。

 純白の薄いドレスを着た女だ。祈る姿勢で床に座っていた。

 直人の存在には気づかない。

 女の顔を確認すると、目当ての物だと把握した。

 その矢先、彼はふと自分の今の姿に気づく。

 全身を覆う鎧を着ていた。

 まるで王国に仕える騎士ナイトの格好。


「こう見えてたのか。間違いだ」


 が開口する。


「……直人、助けて。助けて、直人……」


 呟き続ける。涙を流しながら。


「待ってろ」


 が右腕を振り上げる。


「今、出してやる」


 王女の頭部へめがけ、殴りつける。

 しかし拳は頭にめり込んだ。

 祈る王女にも変化はない。

 状況は思惑通りだった。


には、もっと良いがある」


 騎士は王女の脳をまさぐる。

 目標を発見し、捕らえた。

 乱暴に掴む。

 引っこ抜く。


 騎士は魔術眼で見た。

 海馬に潜んでいたブラックを――


 黒い塊を手にした騎士は、塊を自身の口内へ放り込んだ。

 むしゃむしゃと咀嚼そしゃくする。

 そしてごくりと飲み込んだ。


 力を感じ始める。

 の奔流。

 腹の底でぐるぐると混じり合う。


 辺りの風景が剥がれていった。

 もう城内ではなく、一面がで広大な空間だった。

 王女も既にただの眠る女で、直人も今は騎士ではない。二人は何も着ておらず、空間に浮いていた。


 彼は身体が浮上していくのを感じた。


 徐々に女から離れていく。


 女へ目をやる。


 何か言いたくなった。


 永遠の別れを。




「おやすみ、レイ」




 女の姿がどんどん遠くなる。




 彼女の中は、今の直人には

 真空状態に近い。

 窒息しそうに感じる。

 一刻も早く外へ――


 真っ白だった空間がな様相へと姿を変えていく。

 視覚と共に意識も遠ざかり、気圧から開放されていく。

 何もかもから、解き放たれ――




 浮き上がる。




 水上へ。



  *



 自失から脱したミズチは奇跡を目の当たりにしていた。

 粉末状の物質から人体が様子を。

 神の御業みわざという他ない手腕。

 制服さえも復元して、床には眠っているレイの姿があった。


 彼女は直人という者の姿を再確認する。

 最早、目が離せない。

 畏敬の念で胸が締め付けられる。


 ミズチはその人生で初めて確信を得た。


 ついていこう。

 自分はこの人についていくのだと。


 彼が立ち上がり、振り返る。


「ミズチ、彼女はこのままでいい。片はついたからもう帰ろう」

「うん。分かった」


 何も知らない女が床で寝息を立てている。

 タトゥもないを置き去りに、二人はその場を立ち去った。

 体育館の鍵は開けたまま。



  *



 レイは夢の中にいた。

 悪夢だったが、白い景色が広がると幸せな気持ちになった。

 よく見えないが暖かく、優しい気持ちになってくる。

 けれどなぜだか悲しかった。

 幸せなはずなのに切なくて、何かを離したくない気持ちになる。


 それでも何かが離れていく。


 とても悲しくて、手離したくないのに届かない。


 遠ざかるほど分からなくなって。


 切なさも霧散して、新しくなった心の先で――




 彼女は目覚めの中にいた。



  *



 翌日の教室もいつものクラスだった。

 騒ぐ者は騒ぎ、静かな者は静かに過ごす。

 次の学科まで各々が別の世界で過ごす時間。


 直人は自分の席で頬杖をついて教室内を眺めていた。湯田黄一は欠席らしく今日は暇をもて余している。

 彼が適当に目を動かすと、レイの姿が目に入った。

 その様子は直人の同盟に入る前のレイと変わらない。

 違うのは髪型と、中流層最大グループに属しているという点。

 レイとは目が合う事もなく、また適当に視線をさ迷わせる。

 黒川組が視野に入った。中のと目が合う。

 じっと見つめられた。

 そういえば彼女と目が合ったと気づく。

 見つめ合いも飽きて、先に視線をそらしたのは彼の方だった。

 顔の角度自体を変えて、隣にある窓の外を眺める。

 青の空間を眺めながら、彼は独り言を呟いた。


「次はお前だ。今度はこっちから行く」



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