章末話「修羅場再び」

「木徳さ、夏休みになんかあったでしょ」


 休み時間に湯田黄一こういちが木徳直人へ聞いてくる。


「どうしてまた?」

「なんか木徳の雰囲気が変わったからさぁ」

「そうかな」

「前より男らしくなったというかたくましくなったというか」


 長い前髪の内で湯田の顔が思案する。


「木徳って前からそんなにクールなやつだっけ」


 更にニヤっとした。


「木徳、やっぱ女でもできたかぁ?」


 湯田を見た彼は微笑みで返した。


「……かもね」

「えっ、マジかよ?」

「嘘だよ、そんなの」

「なッんだよっ。けど木徳がそんな嘘を言うのも今までにないよなぁ」


 ふと思い出した直人が右手の甲を左手で優しく撫でた。右手の皮膚も眺める。

 指の隙間から何かが覗いた。

 それは『6』の様な痣――

 一瞬そこへ湯田の視線が注がれたが、すぐに目線は戻って彼らは見つめ合った。


「やっぱりなんかあったんじゃないのー? 木徳~」


 湯田が冷やかす様に左肘で突く。

 みたいに揺れた直人が微笑んだ。


「まあ……僕も色々あるよ」


 彼の微笑は作り物だった。


「湯田の方こそ、夏休みはどうだった?」

「ボク? そうだなぁ」


 湯田が左手人差し指を掲げてそれを回しながら、溜めの後に言い放つ。


「――彼女ができた」


 聞いた直人は驚いた。最近の湯田からそんな兆候は見受けられなかったからだ。


「嘘でしょ?」

「うっそ、じゃあない! 夏休みにひょんな出来事があってね」

「へぇ……。相手はどんな子?」

「脚が綺麗でそこがエロいんだコレが」

「ははは。湯田はやっぱり女の子のそういう所が好きなんだなぁ」


 湯田らしいと彼は感じた。


「というか、木徳もオカ研で知ってる女子だけど――」


 瞬間的に直人の肌が逆立つ。

 湯田からその名前を聞くまでは――


「一年生のだよ」


 左胸と右手首に痛みが走る。

 程なくして創作への渇きが脳裏を支配した。



 *



 葛葉レイは休み時間も直人を見ていた。

 頭から思慕しぼが離れない。彼の残像が離れてくれなかった。

 同程度に腹立ちも感じていた。

 直人が自分の物にならない、自分が彼の物ではないという飢餓に。

 恋しさから目を離し、もう一人の想い人――黒川美月の方を眺めて思いを馳せる。

 擬態した姿――眼鏡をかけていない偽物――に対してではない。

 裸眼の奥にある本質、黒川ミズチに対してだった。

 ミズチへの憧憬、そこからくる羨ましさ。

 羨慕がこじれて、強い妬みにもなった。


 ――ウチらはバランスが悪いんだ。


 関係のバランスが取れていないという結論に彼女は至った。

 均衡が取れさえすればいいのだ。


 で計ればいい。


 そうすれば上手く回る。







 学校が終わったレイはアジトへ向かっていた。美月は先に教室から姿を消している。


 ――いるはずだ。


 アジトに到着して久々にドアを開ける。

 早くも懐かしい匂い。目当てのミズチが放つ上品な香りだった。

 部屋の中にはやはり眼鏡をかけたミズチが座っている。一人だけだった。

 今なら直人の邪魔は入らない。


「レイ、久しぶりに来たんだね」


 ミズチは彼女へ目をやりながら、プラスティックのフォークで何かを食べていた。

 よく見ればガトーショコラだ。

 レイは部屋に上がるや否や立ったままキツい口調で疑問を呈す。


じゃなかったっけ? ミズちゃんって」


 ミズチはきょとんとして、思い出す様な顔をしてから述べた。


「そういえばそんな話もしたね。ミズチは甘いもの嫌いだったよ。けど最近はね、の」


 笑顔になってまた頬張る。


 近頃のミズチは女らしくなったと彼女は感じた。まるで段々と優等生の美月に近づいている。

 それがとても気に食わなかった。

 ミズチが名前も知らない誰かになってしまう。憧れもなくなる。

 果てはミズチと直人がを――

 胸に穴が空きそうだった。


「らしくないよ。ミズちゃんがそんなスイーツを食べてるなんて」

「そう? よ、これ」

「まあいいや。今日はミズちゃんに話があって来た」

「うん」

「ウチはね、直人の事が好きなんだ」

「……そう」

「大好きなんだよ」

「うん……」

んだけど」

「そうなんだ」

「だからいい?」

「……いいって、何が?」

「直人とキスしたいから、キスしていい?」


 ミズチは黙ってしまった。代わりにガトーショコラの小さな欠片を口に運ぶ。

 その様子を見たレイは嗜虐的な笑みを浮かべて話を続けた。


「直人にはウチの気持ちはもう伝えた。ウチは直人の心が欲しい。直人の物になりたい」

「…………」

「満たしてほしいんだ。ウチの全部を、直人で」


 言葉を聞いたミズチは目を見開いていた。

 フォークが床に落ちる。ガトーショコラの欠片もスカートの上に落ちた。


「だからウチはまずキスしたいんだ」

「ミズチは直人くんとキスしたよ」


 見つめ合って空気も凍る。だが彼女の中で熱い何かが湧き上がってくる。


「いつ? どこで?」

「直人くんが休んでた時、直人くんの家で。二回目は躬冠司郎を殺した夜、その後で」

「はっ? 何それ、殺した……?」

「うん。躬冠司郎は特殊能力者であたし達を殺そうとしたから。返り討ちにしただけ」

「……まあそんなの今はどうでもいいや。それよりキスしたって……何? ミズちゃんと直人って付き合ってたの!?」

「ミズチと直人くんは共犯者だから。殺した後に抱き合ってキスした」

「意味分かんないんだけどっ! なんだよそれ!?」


 レイは感情のまま怒声をあげていた。

 心臓が締めつけられて苦しかった。

 吐き出さずにはいられない。


「ミズちゃんは直人をどう思ってるの? 好きなの? 愛してるの!?」

「分からない……」


 ミズチは小刻みに震えていた。目を見開き、視線は泳ぎ、汗をかいている。

 彼女の胸がすっとしていく。

 まだ自分の方がリードしていると感じた。


「ウチは分かってる。心から愛してるんだ。こんな気持ちは初めて。だから直人とキスの先もするよ、

「やめて」

「それに、ウチがしてあげる。直人が望む事、全て」

「そんな事……もう言うな――」


 ミズチの混乱は変わらないが目だけはレイを強く見据えてくる。


「――あたしには分からない……。だけどレイと直人がそうなったら、ミズチはどうなるか……。レイを殺す、殺してしまうかもしれない。だからもう、そんな事言うのはやめて」

「ウチを殺したらそれこそ直人に嫌われると思うけどっ!? それにウチもね、今はそう易々とは殺されないよ」


 彼女には自信があった。根拠はないが予感めいた何かを感じている。


「レイはあたしには勝てない。ミズチの方が圧倒的に強いから。直人くんがいなければすぐ殺してしまう」


 冷や汗をかくミズチが強がる様に口角の片側を上げた。

 レイは反論する。


「そう? それはやってみなきゃ分からないわ」


 精神的には優位に立っている。

 彼女はファイティングポーズをとった。

 拳を形作る指、その肌にが浮かび上がる――



  *



 下校時間になると、直人は帰宅までのコースにある公園で猛烈に執筆していた。

 携帯電話のメモ機能にひたすら文字を打ち込む。

 内側から湧き上がる情熱をぶつけるかの様な作業だった。

 自分の内面にあるのが一体何なのか分からない。

 何かを確かめる為にも、言葉と物語を使ってアウトプットしていく。


「何かが、見えてくる……」


 アウトプットした先、彼が何をインプットしたのか見えてくる時があった。

 そうして今までにない速度、三十分もせずして掌編が書き上がる。


「いいぞ、出来た」


 直人は独り言を呟きながら高揚感に震えていた。

 そして立ち上がり、その足でアジトへ急ぐ。

 一刻も早く、一番の読者にこの話を聞かせてみたかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る