第二話「マインドシフト」

 葛葉レイは白目を剥いていた。

 身体は不動で安定している。

 尻もベッドについていたが精神は動いていた。


 この状況は本人の意思に依るものではなかった。の板挟みになった結果である。


 彼女は侵食しようとするナニカに防衛本能で抗っていた。

 伴って、浮かび上がる情景。記憶とせん望と渇欲の螺旋。

 それらが混ざって内面で拡がっていく。


 中でも一番強烈な印象――

 木徳直人のイメージが浮上してから、拡散する。

 次に集束して弾けたのは、黒川ミズチの鮮烈なイメージ。


 気持ちが揺らぎ、揺れる。

 狭間でぐるぐる回る、回り続ける。

 空虚な心の器が満たされていく感覚。


「全部ほしい」


 意識が混濁しているレイが白目のまま喋った。

 願望が口から出た途端――

 二人のイメージの奔流が押し寄せ、雪崩れがせきを切る。


「……ほしい。直人も、ミズちゃんも……」


 片側のナニカ――が一気に彼女の精神を攻め立てた。

 燃えて、強制的に活力を注ぎ込む。


「全部が……ほしい! ウチは、これで……」


 レイの内面で揺れる火が吸収されていく。


「……何もかも!!」


 叫んだレイは立ち上がっていた。

 片側のナニカ――が真理を映そうと心の中に現れた。

 照射し、強制的に彼女の姿を見せつける。


 黒目に戻ったレイはふらふらと自室で何かを探し始めた。

 ハサミを見つけた彼女は、次の自分になる準備に取りかかる。

 手で髪を持って、鋏で切り裂いた。

 レイの内面で欠けた月が吸収されていく。


「ウチのだ……声も指も髪も匂いも肌も目も脚も命も頭も影も名前も――」


 髪を切り終えた彼女は突っ立っていた。大地に根を張る様に。

 口角を上げて言う。


「心をくれないなら、ウチが――」


 火と月を吸収し終えたレイ。

 精神変移マインドシフトが最終段階へ進む。



  *



 夏休みが終わり、二年C組はいつもの光景に戻っていた。

 直人はクラス内で大きな話題が二つ持ち上がっていると気づく。

 一つは黒川美月の友人、次元つぎもと由美が失踪したという噂。

 本当に行方不明なのかは定かではないが、次元の姿は教室では見つからず休み扱いになっている。

 主が登校していない机の方を見ながら、彼は真剣に考え始めた。

 オカルト研究会で次元が怪しげな儀式に参加した、そんな話が広まるのも時間の問題だと感じる。


「関係してるのか」


 ――分からない。けど念の為にミズチには話しておくべきか。一応あの子の友人なんだから。


 直人はミズチの方に目をやる。

 次元がいなくとも黒川組は相変わらずの賑わいだった。

 当の彼女だけが若干異なっていて、まるで葬式に参加している喪服の未亡人だ。


「本当は何とも思ってない癖に」


 演技の上だと思うと彼はバカバカしくなった。可笑しくて大声で笑い出しそうになる。

 何とか堪えて冷静になると、次は疑問が降ってきた。


 ――そもそもなぜミズチに義理立てをするんだ。やめていい。


 直人はその件を考えるのもやめた。

 別の話題に意識を傾けながら、レイの席がある方を眺める。

 もう一つの話題――

 それは彼女の大胆なイメージチェンジ。

 髪がバッサリ切られてショートカットになっていた。

 ウルフカットに近いその髪型は、以前より鋭い印象を与えてくる。

 レイを見ていた直人は思い出した。霧争和輝の一件以降、彼女がアジトに現れなかったのを。

 同時に彼は、大して意に介していなかった自分に気づいた。


 不良ヤンキー・ギャル系のグループから抜けたレイは現時点でフリーゾーンの中流グループに属していた。

 人数が多いだけに話題が波及する範囲も広い。

 不良系グループから移籍する者も少ない為、彼女の存在は一時的にアイドルと化していた。

 和気あいあいとした雰囲気から「なんで髪切ったの?」「彼氏いる?」「ウルフカット? かっこいいね」「オカ研って怖くない?」「あたしも切ろうかな」と雑多な声が聞こえてくる。

 案外女子にモテるタイプだったのか、と思いながら直人は見ていた。

 ふと彼女に見つめられる。

 レイの口元が弛んだ。

 気にした彼は目をそらす。

 少しすると彼女が近寄って来る気配がして、


「直人、後で顔貸してよ。部室で待ってるから」


 平気で声をかけていった。

 カースト的には起こり得ない光景。観衆のクラスメイト達もざわつく。

 直人も異質さを感じていた。

 彼は目を再び黒川組の方へやるが、あちらの世界は相変わらずこちらには無反応だった。







 直人がオカルト研究会の部室前まで訪れると、奇妙な感覚に陥った。

 ドアの前で妙に胸が騒ぐ。

 好奇心とは違う。霧争と戦った時の何かに近いと彼は気づいた。

 扉を開くと、座ったレイが一人で待っていた。

 近づく直人に、彼女は立ち上がって話しかける。


「待ってたよ」

「何の用かな」

「今日は直人にね、お願いがあるんだ。聞いてくれる?」

「お願い? なんだろう。僕に叶えられるかな」

「直人にしかできないよ」


 レイがふらっと近づく。その表情はどこか虚ろだ。

 それでも彼は動揺しなかった。

 彼女の淫靡いんびな声を耳にしても。



「ウチを直人の女にしてよ」


 レイが胸と腕に触れてくる。

 軽く押されて壁際に追いやられた。


「直人、お願い。答えを聞かせて」


 それ以上攻めては来ない。

 直人は事前に用意していたかの様な言葉を並べ始める。


「面白い事を言うね。僕の女にしたら、僕にどんな利点がある?」

「ウチの身体でなんでも好きな事させたげる。好きな事なんでもしてあげる」

「どんな事でも?」

「どんな事も」

「恥ずかしさはない?」

「直人の為ならウチは恥ずかしくないよ」


 レイが身体をさすってくる。愛撫に近かった。

 ミズチが腹部を撫でてきた記憶が甦る。


「そうか。だけどそれだけでは足らない」

「他にもする。直人の為ならなんでも。ウチがなんでもするよ」

「するって例えば?」

「邪魔なやつがいたらウチが……殺してあげる。それだけじゃない、直人に命じられたらなんでも」


 直人の身体に触れている彼女は性的な感覚に満ちた様子だ。

 顔からは微笑と共に悦楽の感情も垣間見える。

 彼はそれを見て微笑んだ。


「物騒な事を言うねレイ。だけど――」

「だけど?」

「ミズチがなんと言うかな」

「ミズちゃんは……」


 レイの顔が真摯な表情に戻る。

 反応を見た直人は更に気分が高揚した。


「僕がレイを自分の物にしたら、ミズチは怒るかもしれない。レイが僕の女になったと知ったら、居場所がなくなるかもしれない。憎悪が湧くかもしれない。それともまた二人だけの内緒にする?」

「内緒はイヤ、もう内緒はヤダ。苦しかった、ずっとヤだったもん。言いたかった。だから、してよ、して? ウチを直人の物にしてよ」

「ならミズチをどうやって納得させる?」

「ミズちゃんは……ちゃんとウチが。ちゃんと言うからさ」

「どうなっても僕は知らないから」

「うん、いいよ。ウチが片をつける。ミズちゃんの事も好きだけど、ウチはもう直人だけの物になりたい」


 彼が動いた。

 彼女の両手を掴んで乱暴に押さ込む。

 それから右手でレイの顎を支えて、左手で彼女の胸を掴んだ。

 唇を近づける。

 レイの吐息がどんどん荒くなった。

 唇と唇が触れ合う直前。


「ここから先はまた今度。レイ次第だよ、僕は関知しない」

「待って――」


 惚けた様な顔つきの彼女を突き離す。

 レイの視線を背後に感じながら、もう用はないとばかりに部室を後にした。

 歩く直人の、深海に似て暗く、

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