木徳直人はミズチを殺す（完結作）

幕間掌篇

第三の封印「ウェンディゴの女」

「人を食べてみたいと思った事、ある？」

　宵（よい）闇の中で燃える薪（たきぎ）。揺れる炎を挟み、片側に座る女が言った。対面の少女に向かって。

　女は二十代半ば程度の容貌。服は汚れているが動き易い軍用品だった。既に食事は済ませた後。

　少女は十代前半の雰囲気。口は開かず、女から提供されたシチューもまだ食していない。

　様子を窺った女の方が喋り続ける。

「こんな時代だから、飢えて人を食べないと生きていけない人もいたんだ。死ぬよりはマシだからね。昔の私もそうだった」

　女は薪の火を見つめていた。

　無口な少女は女の顔を見つめている。

「それにね、戦争が始まった頃は私もまだ幼かった。余計に何も分かってなかったから。ただ餓えを凌ぎたくて無我夢中だったよ」

　話の暗さと違い、まるで少女時代の淡い想い出を語るかの様な表情。

「貴女（アナタ）の人生はまだ、私の半分くらい？　だろうから分からないかな」

　女が少女の目を見て微笑んだ。

　少女が頷いて言葉を発する。

「うん」

「けど今は違う。私は自由に選べるのよ。その権利と意思がある」

　女はそう言うと腰から鉈（ナタ）の様に大きな軍用ナイフを取り出した。

「これ、分かる？」

　少女は刃をじっと見ているだけだ。

「私はこれでね、今まで色んな物を切ったりバラバラにしてきたのよ」

　少女の顔を見た女は、刃を撫でながら口を歪めて笑った。

「もう分かるよね。なんで私がわざわざ貴女をそこに座らせてあげてるか。食事や火や、その場所だってタダじゃないんだから」

「うん」

「薪は獣よけにもなるし、こうして私が貴女を守ってあげてる」

「うん」

「けど、シチューはまだ食べてないのね。口に合わない？」

「知らない」

「そう、まあいいわ。お代は貰うから」

　女は立ち上がって薪の周りを回る様にゆっくりと少女に近づく。

「言わなくても分かるよね。私は貴女の“肉”が欲しいのよ」

　少女の目の前まで来た女はナイフを振りかぶった。

　少女は首を振って言う。

「分からない」

「若いからまだ堅いかも――！」

　鋭い刃が袈裟斬りで少女の服を切り裂く。

　少女の白い肌や片方の胸も露になった。

「何っ！？」

　女の疑問はもっともだった。

　鋼鉄が少女の柔肌を切り裂き、鮮血が吹き出すはずだったが現に傷もついていない。

「このッ！」

　念押しの様に女がナイフで少女の腹を突く。

　やはり刃は通らない。

「まさか、アンタ――！」

　その時、少女が女の手首を掴んだ。

　――女は今まで何人もの人間を血祭りにあげてきた。

　やり方はいつも同じ。親しげに近づいて軍用ナイフで殺害する。

　男が相手ならば色仕掛けを使う時もあった。

　殺した人間の身体は保冷室で吊るしていた。限界まで保存するのだ。

　切り取った肉は時に焼いて食べ、時にシチューにし、又は干し肉にした。

　どの場面においても、女は楽しげで邪悪に満ち足りた笑みを浮かべている――

　少女は手を離した。

　女は飛び退く。

「やっぱり、人型のオートマタ！　まだ残ってたの！」

　女がジリジリと間合いを空けながら口走る。

「初めて見た……ここまで人間そっくりな機械！　忌々しい……変な期待させやがって！」

　眉を寄せ悔しそうに顔を歪ませる。

「けど、殺傷機能や武装はないみたいね……。もしあるならとっくに攻撃されてる」

　女は呆れた表情になった。

　薪の側に腰を下ろす。

「はぁ……もういいわ。どこへでも行きなさいよ。私は機械には興味がないから」

「うん、サヨナラ」

　少女は背を向けて歩きだした。

　薪がどんどん遠ざかっていく。

　女の姿も闇に消えていく。

　何が起ころうと夜は夜であった。法則に沿ったこの世界と同じ。

　自由な様で縛（・）ら（・）れ（・）て（・）い（・）る（・）。歩いていても歩（・）か（・）さ（・）れ（・）て（・）い（・）る（・）。

　選んでいる様で、選（・）べ（・）て（・）は（・）い（・）な（・）い（・）。

　少女は知り得なかったが感じていた。姉（・）妹（・）の様な親近感。その正（・）体（・）に（・）は気（・）づ（・）か（・）な（・）い（・）。

「忌々しい……期待させやがって」

　口ずさんだ少女は愉しげだった。

　歩き方も自然とスキップになる。

　すると前方を黒（・）い（・）馬（・）が横切った。

　それでも少女は気にしない。

　　了

　　＊

　濁った瞳が第三の封印を開封した。

　黒の乗り手が現れる。