第七話「鎖(チェーン)」

 周囲に人影はなかった。

 照らす月もない。

 所々でキリンの首の様な公園灯が暗闇を排除しているだけだった。

 けれど虫の声は聞こえる。


 木徳直人と霧争和輝ウォーマシンが話している最中、黒川ミズチは敵ではなくそばの彼を見ていた。

 黒い手袋の右手が金槌を掴む。揺れる右腕と柄を強く握り直す動作も見た。

 戦闘はもう始まっている。

 霧争和輝ウォーマシンも構えていた。


 それでも彼女は直人から目が離せなかった。

 彼の唇が卑猥に歪む。


「セノバイト、今こそ


 地の底から響く様な声。

 ミズチには言葉の意味が分からなかった。

 代わりに感じる、身体の芯――自分のうずき。


 一瞬直人の身体がほんの少し収縮。

 次の瞬間元に戻る。


 そんな風に見えた。

 前より僅かに体格が増した気がする。

 体格だけではない。

 まるで憎悪の炎を身体に纏っている。なのに酷く冷徹な体つきの印象。


 炎の中に氷がある。


 彼女は生まれて初めて畏怖いふという感情を抱いた。

 けれどミズチは振り払う。

 彼より前に出て呟いた。


「直人くんはあたしが守る」



  *



 直人が口走った言葉は祈りにも似ていた。

 己の中で湧き上がる何かを感じる。


 ――ここは躬冠司郎が犬を殺した公園。


 夢で見た光景がよぎる。

 噴き出した憎悪が怒気に変換された。

 よく分からない何かと混じり合いで渦巻く。

 エンジンにガソリンが注がれる――

 そんなイメージを感じた。


 ――動く。


 そう思った時、ミズチが前に出て何か呟いた。

 彼女が前進し、霧争も向かってきた。

 霧争が剣を振るう。

 ミズチはよけてアサメイを振るった。

 なぜか魔術は使わない。

 疑問で魔眼を開いた。

 彼女には防壁がない。

 こちらの身体に展開されている。


 ――余計だ。なんで魔術も使わない? いや、使のか。


 体術だけで対応するミズチの様子は不自然だった。彼は深呼吸する。



 一歩を踏み出す。



  *



 和輝は違和感を覚えた。

 黒川ミズチレヴィアタンが魔術を使わない。

 だから煽る様に声をあげた。


「どうした? 使えよ、魔術を!」

「うるさい!」


 彼女がナイフで斬りかかってくる。

 彼は身体を傾けて、避けながら剣で斬り払う。

 更には踏み込んで二刀を見舞う。

 だが早々には当たらない。


黒川ミズチレヴィアタン、大したもんだよ、あんたの身体能力は!」


 敵プレイヤーながら感心していた。

 黒川ミズチレヴィアタンが獣の様に距離をとる。

 和輝はこのゲームを楽しんでいた。能力もいきなり出し切ったりはしない。

 愉快な気持ちになっていた最中、白猫が来るのが見えた。



  *



 霧争がミズチに気をとられているのは直人には好都合だった。

 急激に角度を変える。

 変えた直後、跳ねる様に側面に回り込んだ。

 動きは速かったが攻撃も速い。

 右手に持ったトンカチで殴りつける。

 霧争のに直撃。

 だが膜に阻まれ手応えはない。


「そんな金槌で何ができる」


 鋭い目がギロリとこちらへ向く。

 当然分かっていた直人はすぐ腕を引いた。


「お前の頭をんだよ、


 即座に二撃目を振るう。

 またも直撃。

 相手は動じない。


「ははっ。そうなら俺は変わらない」


 上擦った言葉の次に剣の光が目前をよぎる。

 ギリギリで避けて、尚もトンカチを叩き込んだ。

 その間、彼女の方も霧争に斬りかかり、蹴りも放った。

 連携の形。

 意には介さない直人が踏み込み、トンカチで横薙ぎに側頭部を殴りつける。

 攻撃の最中にも彼は感じていた。

 人語に似た、囁きの様な何か。

 直人は内から来る声に従った。

 たぎる憎悪と憤怒。

 何かに変わっては消える。

 消す為に再び振りかぶる。



  *



 二人から攻撃を受けていた和輝はそろそろいいかと思い立つ。

 Bの存在も存外鬱陶しくなっていた。

 高速モードを使う――そう簡単に決めた。


 両手の双剣が曲がる。

 周囲がスローになる。

 超高速空間へ突入。

 彼は横をちらりと見た。

 Bの腹部へ渾身の足刀蹴りを見舞う。

 相手の身体が徐々にくの字へ折れていく。



  *



 霧争和輝ウォーマシンの姿が消えて、ミズチは瞬間的に悟った。


 ――超高速の動き、攻撃が来る。


 矢先、直人が吹き飛ばされた。

 数メートル後方で倒れている。

 認識した途端、


「この……糞野郎ォォ――ッ!!」


 今日初めて憎悪が湧き上がる。

 咆哮と同時に爆発する殺意。

 しかし標的が見えず、魔術現象も現れない。

 すぐ様ロケットの如く動いた。

 相手がいそうな所、透明人間を狙う要領で滅茶苦茶にナイフを振り回す。

 狂気が乗り移った動き。

 刹那、あの円輪が見えた。

 バックステップで避ける。

 かすっていく円輪。

 反射的に左手で殴った。

 くうを切る。

 けれど彼女は段々と掴んでいた。

 



  *



 直人は腹部に痛みを感じた。

 頭に血がのぼる。

 ミズチの方を見た。

 防壁は戻したがまだ気づいていない。


 ――僕には必要ない。それよりも。


 魔眼で見た。

 霧争の姿は見えない。

 だが膜のは仄かに見える。


 ――それだけではダメだ。


 エンジンがかかる。

 怒りが吸収され、同時に――使い魔の気配を察知する。


 ――これか。


 彼は霧争の動きの軌道を捉えた。

 軌道の先を読む。

 動いてトンカチで殴る。

 憎しみから来た怒りの力で、何度も何度も執拗に。

 ただ一点、だけを殴る。


 本来なら汗をかいてもおかしくない。

 だが直人は、汗もかいていなかった。



  *



 和輝は不可解に感じた。

 高速モードにもかかわらず二人が反応している様に見える。

 殺すつもりでCの字の刃を振るった。

 しかし避けられる。

 なぜだか分からない。

 更に不可解な事。

 側頭部だけに食らっている殴打だ。


 ――こいつ、なぜばかりを狙う。


 瞬間、自室で試した実験が頭によぎる。


 カッターを何度も振り下ろす。

 何度も同じ箇所に――


 パズルのピースがカチリとはまる。



  *



 向かって左側、右耳。


『――え、狙え、狙え、狙――』


 声ではない声に直人は従っていた。

 しかし霧争が突如姿を現す。

 霧争が小さなモーションで剣を跳ねさせた。

 右腕に接触。

 斬られた腕が武器を落とし、血が滲む。

 予想外の動きがフェイントの効果となったのだ。

 トンカチを足で払う霧争。

 届かない距離へ転がる。


「B、あんたの目的――」


 霧争が両手を掲げた。

 巨大な光の剣が現れる。


「――分かったから、もう消えろ」


 振り下ろされる光の帯。

 右腕を押さえた直人は反応が遅れた。


 だが彼の目前に後ろ姿が現れる。

 それはミズチだった。

 光の大剣を両腕で受け止めている。


「く……グ……が」


 彼女といえど大剣の強力な圧に屈する寸前。

 後ろの直人が素早く身体をローリング、左手でトンカチを拾う。

 駆け抜ける勢いで敵の右耳を殴り抜いた。

 霧争の気がそれる。


「ミズチ!」


 理解した様にミズチが飛び退く。

 再び使い魔が彼の元へ

 だが霧争は既に双剣で彼女に狙いを定めている。

 直人は使い魔の返還に

 瞬時に使い魔が

 彼と一緒に滑り込んだ。



  *



 ミズチは自分の目が信じられなかった。

 目前の人間の背中。

 そこから――


 山吹色の光が二つ生えていたから。


 現実を受け入れられず、動けもしなかった。



  *



 和輝はBの腹部を双剣で貫いていた。

 黒川ミズチレヴィアタンを狙って誤算が生じた。

 とはいえ順番が変わっただけだと気にしない。こいつはもうすぐ死ぬ――。

 最後のあがき、黒い手袋を着けた手で両手首を掴んできた。

 血が流れる口で呻く。


「――どうして殺した」


 彼には意味不明だった。

 Bの目が血走っている。


「――なんで、一線を越えられる」

「手を放せッ……」


 口にしながら引き斬るつもりで手を引くが、動かない。

 Bが呟く。


「――殺してやる」


 和輝が腕を引く。

 Bが呟き続ける。


「殺してやる」


 動かない。


「殺す……」


 その時、彼はなぜかBのに目がいった。

 黒い手袋が少しはだけている。


 それは――『9』に似た痣――


「……


 掴まれた力が急に緩んだ。

 意図せず剣が抜ける。

 Bの腹部に開いた二つの穴。


 その血の穴から、

 女の双眼が見えた。


 黒く濁って光る悪魔の様な瞳。

 二つの目が放つ凄まじい殺気。

 その瞳の奥は、深く冷淡な空洞。


 目が合った彼は恐怖を感じた。

 高速モード――

 急いで離れる。



  *



 既に霧争とミズチの姿はなかった。

 直人だけが仰向けに倒れている。

 口と腹部から血が流れ出た。

 それでも彼は唱える。


「いけ、クサリチェーン


 

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