第六話「平行する者」

「ね、チュー、して」


 次元由美が電話で恋人に甘えた。

 表情は少し悪戯っぽく楽しげだ。


「――いいじゃん。チューってやってよー。ねぇ」


 不満は表しているが自信も表れている。


「もー、ゆう君は恥ずかしがり屋さんだなぁ。してくれないとぉ会った時もしてあげないよ」


 恋人が最後は折れてくれるのを知っているのだ。


「――素直でよし。チュッ! それでさぁ、次はいつ会う?」


 彼女が楽しげに次のデートの約束をしている時、鏡の中の世界は再び金色の月光に照らされていた。


 由美が通話を終えて鏡台の前に座る。

 くしで髪をとかしていた。

 いつもの夜、同じ行動、同じ状況。そのはずだった。

 彼女はふと、鏡に三日月が映っているのを目にする。

 窓の外の月が鏡で見えてるんだ、単にそう考えた。

 だが徐々に大きくなっていく。

 由美から見れば月が近づいて来る感覚に近い。


「え?」


 口から疑問の言葉が漏れた時、三日月は鏡の半分の大きさまで迫っていた。


「な、に?」


 彼女は唖然とした表情で口も開いていた。

 しかし立ち上がって、パジャマを脱ぎだす。

 下着姿。

 その下着も脱いで全裸になった。

 次には手を鏡の前に近づける。

 指が鏡面に触れた。

 指先が、まるで水面に入っていく。

 そのまま腕まで浸り、頭を突っ込み、胴体も引き込まれ、爪先まで入っていった。


 誰もいない部屋。

 鏡台だけが違和感を伴っている。


 鏡の三日月は今や全面に姿を映していた。

 その身を振動させている。

 鏡台は振動していない。

 鏡から人間の指先が出てくる。

 そのまま腕まで出てくる。

 次は頭が出てきて、胸まで出てきて、胴も出て、脚も出てくる。

 生まれ変わったかの様な全裸の由美は、無事に地球へ着地した。

 スムーズに下着を身に付け、パジャマも着る。

 そのままベッドの中へ潜り込み、彼女は安らかな眠りについた。


 三日月は――もういない。



  *



 翌日、木徳直人はアジトを訪れた。

 既に黒川ミズチと葛葉レイが部屋にいて雑談している。

 彼はレイの髪型がサイドダウンからポニーテールになったのを認知した。

 直人に気づいたレイの表情が明るくなる。


「やっほ、直人」

「こんにちは、レイ」


 一瞬ミズチの表情が変わる。


「レイ、髪型変えたんだね」

「そう! アハーン、どう? 似合うぅ?」


 レイがセクシーポーズの様な動きをする。

 彼はミズチを一瞥してからレイに告げた。


「今日はミズチと大事な話があるんだ。レイは外してくれないか」

「えっ。あ、うん。いいよ」


 レイはすっと立ち上がりそそくさとドアの前に向かう。


「じゃミズちゃんまた明日!」


 作り笑顔に近い不器用な表情で挨拶を済ますと、ぎこちなく退出した。


「名前で呼び合う仲になったんだね」


 言ったミズチが直人の目をじっと見つめる。

 彼も視線を外さなかった。


「ああ。頼まれたから」

「そう」


 彼女が先に視線を外した。

 直人が切り出す。


「そんなのよりメールの件」

「うん」

「行くの?」

「行くよ。殺さないと、アイツは危険だから」

「そうか。そいつ、ウォーマシンの特徴をもっと教えてほしい」


 ミズチは彼に隅から隅まで出来事を説明した。


「――分かった。明日だけど、僕も行く」

「なんで。今回直人くんは名指しされてないよ。ミズチが行けば手は出さない」

「そんなのはどうでもいい。とにかく僕も行くよ」

「なんでよ。死ぬかもしれないんだよ」

「いいから、聞くなよ!」


 沈黙が場を支配する。


「あたしは……直人くんを死なせたくない」

「そうか」

「……守りたいから」

「そうか」

「付いてきて欲しくない」

「そうか。でも。僕は絶対に行く。例えミズチが行かなくても僕一人で行く」


 言葉を聞いた彼女は黙り込んだ。まるで語る口を知らないかの如く。


「いいね?」


 直人が最終確認を取る。


「……分かった」


 再び沈黙が場を支配した。







 帰宅した彼は自室で明日の事を考えていた。


 ――区立公園。夜間はどれぐらい人がいるのか。


「けどな」


 決意は強かった。

 これという作戦はなかったが、何か感じるはあった。

 内側から浮き出て来る感覚。

 小説のアイデアが誕生する直前に似ている、そう直人は感じた。

 ぼやっとしたモノをハッキリさせる為に部屋を出る。

 食卓へと向かう。

 見つけた母親に聞く。


「母さん、父さんの日曜大工の道具ってどこだっけ?」

「道具は……物置部屋の押し入れの中? じゃなかったかしら」

「ありがと」

「直人がそんな道具何に使うの?」


 彼は素直に答える。


「ちょっと、があって」




 その五分後。

 物置部屋の押し入れから、父親の道具が入った段ボール箱を引っ張り出す。

 物を出しながら、それを見つけた。

 直人が掴む。

 目当ての道具を。


 不明瞭だった考えが、今ハッキリと浮き上がった。







 翌日の夕刻。

 アジトに訪れた彼はミズチと合流した。

 彼女の格好は前回に似てスカート。動き易そうなスタイルだ。

 その姿を見て、初めてミズチの髪が伸びている事に気づく。


「髪、伸ばしてるんだね」

「うん、少し伸ばした」

「似合うよ」

「……ありがとう」


 彼女が嬉しそうに笑う。ぎこちない微笑。

 お返しとばかりに直人の黒い手袋を見つけて言う。


「手袋、もう着けてるんだね」


 彼が両掌の指を組んだ。


「ああ、もうは出てきてる」


 更に告げる。


「それに、今回は前回とは違う」


 告げられた彼女は彼の顔を見たが、すぐ顔を背けて何も言わず頷くだけだった。

 そんな様子を見て、ふと直人は気づいた。


 ――ミズチの赤い眼鏡。前からこんなに存在感がなかったかな。眼鏡をかけてない顔に見える。

 なんだこれ。可笑しいな。ちゃんと眼鏡はかけてるのに。なんでだろう。


 彼はククッと笑った。

 ミズチが不思議そうな顔をする。


「どうかした?」

「なんでもない」


 直人は真顔に戻った。


「そろそろ行こうか」

「うん」


 二人はアジトを後にした。



  *



 霧争むそう和輝は神内こうち区立公園をぶらついていた。

 相手が来るのを待っているのだ。

 時間は指定せずにいたから、公園には夕刻前から来て暇を潰していた。


「そろそろ来そうだな」


 彼は思うがままに足を運んだ。


 充分勘は冴えていた。着いた公園の中心地で、和輝は二人組の男女を見つけた。

 近づいて話しかける。


「来たね、


 彼は男の方へ目をやった。


も連れて来たみたいだ」


 男が口を開いた。


「僕の名前は木徳直人。この子は黒川ミズチ。レヴィアタンでも白猫でもない」

「そうか。やっぱり神内高の同級生みたいだな。見覚えがあるよ。俺の名前は霧争和輝。A組だ、宜しく」


 直人は嫌悪感そのものの表情を浮かべていた。


「俺は嫌われてるみたいだな。まあいいよ。ゲームが出来さえすればいいんだ」

「本当にゲームだとか言ってるんだな」

「ゲームだよ」

「ゲームなんかじゃない」

「言い合っても平行線だね」

「ああ、無駄みたいだ」


 和輝はぐるっと周りを見渡して言った。


「ここさ、案外広いでしょ。夜だと人もそんなにいないみたいなんだよ。人気じゃないんだな――」


 彼はミズチを見据えた。


「――だから、やり易いだろ」


 ニヤっと笑う。

 彼女は黙っていた。

 まるで弱い白猫だ。


「俺が話すのもいいけど、そろそろ始めようか、ゲームをね」

「僕らはいつでもいい。準備は出来てる」

「へぇ、いいね」


 和輝は両掌を開いた。

 山吹色に光る剣が二本現れる。

 構えて言う。


「嬉しいよ、ここからが本番だ」


 ミズチが銀色のナイフを抜いて構える。

 直人は不動で立っていた。

 彼はその姿に奇妙さを感じた。

 直人が右手を腰の後ろにやる。

 何かを抜いてぶらりとさせた。

 直人が握っているのは、とも呼ばれる金槌だった。

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