幕間掌篇

第二の封印「時計仕掛けのアンブレラ」

 黄昏時、ホテルの前に少女が立っていた。

 エルという名の彼女は、その巨大な建物が昔どんな役割を担っていたかはまだ知らない。

 何も知らない少女はふらふらと建物の中へ吸い込まれていった。


 常人なら部屋をしらみ潰しに覗きはしない。

 だが彼女には時間と欲求が腐る程あった。

 ドアのノブを回す。

 開けば入る。

 開かない扉もあった。


 部屋の内装は代わり映えしない。反面、人が使った形跡という個性がある。

 例え内装の違いや室内が荒らされていても、エルにはどうでもいい事。

 彼女の紅い瞳は、飢えを満たす物の為だけに揺らぐ。


 と刻まれたプレートの部屋。その前でエルは興味を惹かれた。

 部屋番号を指でなぞってドアを開く。

 時刻は深夜を回っていて、灯りがつかない室内は暗い。

 紅い眼にはもあった。自動的にオンとなる。

 彼女は視界の状況など気にとめない。ただ見渡す。

 部屋は少し荒れていたが他より比較的綺麗だった。

 程なくエルは見つける。

 赤い傘を。


 閉じられたその傘は床に落ちていた。

 彼女の視線が注がれる。

 白い手も物体を求めた。

 か細い指が傘の手元ハンドルを握る。

 瞬間、頭頂から足先までが駆け抜けた。

 血液が痺れる感覚。

 彼女が待ちわびた感応。




 ――女は男を待っていた。

 結婚記念日にホテルで甘い一時を過ごす、愛しの約束をしていた。

 二人には小さな娘もいた。

 赤い服を着た幼女は母親に構ってもらえず一人で遊んでいる。

 妻はいつにも増してイラついていた。仕事終わりで駆けつける予定の夫がまだ現れなかったから。

 中年になっても本質は捨てられない。妻よりも先に女、母親になっても永遠に女だった。

 そんな彼女が電話を受けている時、娘は幼心に不安を感じていた。

 何かの言い合い。

 怒鳴る声。

 女の顔をした母親が電話を切る。

 電話を壁に投げつける。

 娘は恐怖を感じたが、顔には出さなかった。

 次に何が起こるかも知っている。

 女は酷く苛つくといつも手をあげた。

 過剰な殴打。

 鮮血が赤い服へ飛ぶ。

 赤色は母娘でお気に入りの色だった。

 存分に殴って気が晴れると、彼女が部屋を出て行く。


「アンタなんか産まなきゃよかった」


 心を引き裂く声。

 女の姿はもうない。

 娘はそれでも泣かなかった。

 慣れてはいたが立ち上がり、円を描く様に歩き回る。

 すると何かを思い立ち、玄関へ向かった。

 赤い傘を見つけて戻ってくる。

 持ったまま、また円を描く様に歩き回る。

 幼女は血の色が目立たない赤い傘もお気に入りだった。

 傘を開く。

 お花が開いたみたいと彼女は感じた。

 嬉しくなって傘をさしたまま歩く。

 ぐるぐる歩く。

 疲れ果てるまで、ずっと――




 エルの紅い瞳に赤い傘アンブレラが映り込む。

 過去を覗く映像ビジョンが終わった。

 時期的には直後に大戦が起こっている。周辺の地域もすぐに暴徒で溢れていた。

 混沌とした状況。乗り越えられた難民もすぐ機械兵団に一掃される運命だった。

 データ上でそう確認できる。覗いた彼女にはどうでもいい事実でもあった。

 単に嬉しい気持ちだけが残留して傘を開く。


「お花が開いたみたい」


 気狂いのエルが珍しく言葉を発した。

 円を描く様に室内をうろうろ歩く。

 彼女はこれまた珍しく赤い傘を気に入った。

 傘を閉じて一礼をする。

 赤い傘を携えて、それから部屋を出た。


 エルは廊下の窓から何気なく外を眺めた。

 もうすぐ夜が明ける。

 の幻影も天を駆けた。

 また傘をさす。

 肩にかけて時計回りにくるくる回す。

 それから彼女は、またスキップをした。


  了



  *



 歪んだ角が第二の封印を開封した。

 赤の乗り手が現れる。



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