章末話「修羅場」

 木徳直人と葛葉レイは思いがけない訪問者に気づかなかった。


「何してるの?」


 声で初めて存在に気づく。

 二人は同時に声がした方を見た。

 噂をすれば影が射す――それを彼は思い知った。


 私服姿の黒川ミズチがいる。


 いつものオーバルタイプの赤い眼鏡をかけていた。

 それは彼女の精神状態の高まりも示す。

 瞬間的に察する。

 発火まですぐ。


 ――まずい。


 ミズチが一方的に問いただし始める。


「どういう事? なぜ? どうして葛葉レイがここに? なんでいる?」


 彼らは気圧されて言葉が出ない。

 名指しされた葛葉も普段は気丈といえど今は固まっている。

 一方彼女は仁王におう立ちで二人を見据えていた。


「ありえない。あたしの部屋にどうして部外者がいるのよ」


 拳を握りしめているのが見えた。

 あの台詞が頭をよぎる。


『侵入者がいたら殺す』


 葛葉の様子も見た直人は、自分がなんとかしなければと口を開いた。


「違う、これは違うんだ。説明するから。落ち着いて、頼む」


 浮気がバレた男の気持ちが初めて理解できた。


「分かった。直人くんには後で聞くから黙ってて。今からその女に聞く」


 もうダメだ、と彼は悟った。同時にの存在で心底安心する。


「葛葉さん、どうしてここを知ってる? いや、違う。直人くんから何か聞いた?」

「ウチは……」

「あたしには、直人くんと関係を持って何かを聞いた上でこの場にいるとしか思えない」

「ゴメン……ウチからは言えない」


 さっきの約束を守ってくれる人だと彼は確信した。葛葉は信頼に足る人物だ。

 一旦黙っていたミズチが口を開く。


「……直人くん」

「うん?」

「直人くんって何歳まで生きたい?」

やぶから棒だな……。僕は……百四十歳まで」

「直人くんはそんなに長生きしたいんだ」

「人間の肉体の限界は百四十歳って聞いた事があるから、僕は限界まで生きたいね」


 直人はなるだけ長生きしたい人間だったので真面目に答えた。


「じゃ葛葉さんは何歳まで?」

「ウチは……じゃあウチも百四十歳で」


 聞いた彼女の雰囲気が変わる。


「葛葉レイ、アンタはそんなに長生きできない」


 


「ミズチ!」


 彼は叫んでいた。

 それよりも転化は速い。

 殺意の形が葛葉の身体を襲う。

 姿を現したのはまるでスライム。

 半固体のうねる物体が葛葉の整った肢体に絡みつく。


「何これ……!」


 葛葉の体表で脈動して這い回る。

 数秒で全身を覆った。

 葛葉の姿形は一分も持たない。

 人型の肉団子ができあがった。

 煙と悲鳴が上がる。


「葛葉さん!」

「アハハハハハ」


 ミズチが愉快そうに笑う。

 物体は酸性の作用があり、消化する様に均整が取れた身体を溶かそうとしている。

 葛葉はもがいていた。

 尻餅をつく。


「ミズチやめてくれ」


 直人は怒っていたが懇願した。


「いいけど、もう遅い」


 溶解と吸収の結果か、葛葉の身体のラインが団子状から人形状へスリムになっていた。

 覆っていたスライムが徐々に消失していく。

 見えてきたのは溶かされた無惨な身体――


 ではなく元の制服姿の葛葉。

 無事な姿で尻餅をついている格好。スカートが捲れて、下着も見えていた。

 攻撃した側の彼女が驚く。


「二人目――!?」


 瞬時にアサメイを構えていた。


「違う!」


 彼が否定する。


「どういう事なの? 確かに膜は見えてる」

んだよ。全部じゃないけど始めの方を。魔術の話した」

「それでもどうして……」

「ミズチが近くにいるから膜を借りたんだよ」


 ミズチは声を失っている――


「僕は使い魔を操れるから保険をかけたかったんだ。こうなるかもと思って葛葉さんに憑けたかった。だから無断でミズチから使い魔を移して防壁にした。けどやってみるまで実行できるかは半々だったよ」


 ――次には落胆した顔を直人に見せた。


「そこまで扱える様になるなんて偉いね」

「僕が近くにいる限りは葛葉さんは殺せない」


 彼の宣言を聞いた彼女は諦観ていかんした様子になった。


「ウチの、さっきの、何?」

「話した通り、ミズチの魔術だ。僕も少し扱えるから守れた」


 座り直した葛葉は納得した顔だが、驚嘆もしてサイドダウンの髪が乱れていた。


「どうしてそこまで、葛葉レイをかばうの。恋愛感情?」

「一方的な殺害は見過ごせないよ。見殺しにもできない。ミズチにも殺してほしくないから」


 それで充分通じると直人は思った。

 素直に言い出せずにいた、ミズチにはもう人殺しをしてほしくないという気持ち。

 彼女は黙った。


「信じてたけど本当だった……」


 言った葛葉が立ち上がる。


「殺されかけた……けど、凄い。すげぇ! マジのオカルト! これが……見ちゃった。凄い……!」


 能天気な葛葉が身振りで喜びをアピールしている。

 ミズチは黙ったまま身振りを眺めていた。

 彼はあっけにとられて苦笑する。

 葛葉が急にぺたんと座った。


「怖いのと嬉しくて腰抜けた……」


 破顔しながら頭を掻いていた。


「直人くんが葛葉レイを好きなら四六時中ガードしないとね。でないと隙を見てミズチが殺すから」

「さっきから何か勘ぐられてるけど。葛葉さんとちゃんと話したのは今日が初めてぐらいだからそんなのない」


 聞いた彼女は些細で微妙な表情を見せた。

 直人はそれに気づかない。


 彼は尾行されたあらましをミズチに語って締め括る。


「ミズチが彼女の殺害を諦めてくれるなら、僕も変な気と膜は回さなくてよくなる」

「……分かった。代わりに直人くんが責任もって尻拭いして」


 葛葉が会話に割り込む。


「色々言ってるとこ悪いんすけど。ウチは絶対、絶対誰にも何も話さんからっ。信じて安心してよ!」


 鼻息が荒い様子。


「僕は信じるよ。ミズチは?」

「……嫌だけど。仕方ないから信じる」

「ならこれで葛葉さんの同盟参入決定だね。呉越同舟って事で」


 葛葉は呉越同舟の意味が分からない様子で、捨て置く様に言葉を繋ぐ。


「ありがと! 早速さ、ウチは二人の事、なんて呼べばいい?」

「僕は……あはは……、好きに呼んでくれていいよ」

「……あたしはミズチかミズちゃん」

「そしたらやっぱ木徳とミズちゃんかな。ウチはレイでいいけど好きに呼んで」

「じゃ僕は葛葉と呼ぼうかな」

「レイ……とでも呼ぶ」

「それで決まり! ウチと今後とも宜しくね」


 先程生死のやり取りが行われたとは思えない、明るい雰囲気になっていた。

 葛葉には場を和ます不思議な魅力がある。尚も魔女は腹に一物抱えてる様子だと直人は感じた。

 それとは別に、直人は忘れていた事柄を思い出す。

 今でなくてもよかった話だが、機嫌を取る為に小声で伝えた。


「ミズチ。小説ができたから落ち着いたら聞かせる」



  *



 躬冠みかむり司郎が失踪して一週間ほど経ってから、いずみの携帯電話に不明の主からメールが入っていた。

 その文面は司郎に届いたメールとよく似ていた。勿論彼女は兄のメールを知るよしもなかった。

 メールの内容は彼に届いた内容とは異なっている。


Sub【君の兄の行方について】

『初めまして。私は行方不明になる前の躬冠司郎君をよく知る者だ。君がお兄さんの行方を知りたいなら、これから私が述べる通りに動いて欲しい。


 まずは君の学校のとある二年生とコンタクトをとってもらいたい。いずれ君のお兄さんの行方のヒントになるはずだ。詳しくはまたメールで連絡する。


 今言えるのは、君のお兄さんである司郎君は超常現象の弊害に巻き込まれた。信じるかどうかは君次第だが信じてほしい。常識の外にある世界を。


 このメールに返信するのは無駄だ。今は苦しいだろうが大人しく待っていてほしい。私から必ずまた連絡を入れる。君の目で真実も見られるだろう。


 親愛なる友人より』



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