第五話「交渉&キス」

 ある日アジトで木徳きとく直人は黒川ミズチに提案をした。


『執筆に専念したい。暫く会うのは控えよう』


 すんなり承諾してくれた。

 理由は聞かれなかったが、彼には理由があった。

 一緒だと気が散って筆が進まないのだ。

 創作意欲は湧くが集中できないでいた。

 女子への興味、性的欲求も関係していた。



  *



 提案されたミズチは納得した。

 執筆がスムーズになるのは望み通りで拒否する理由もない。

 何より恋人関係でもないと再認識した。

 同時に必要以上会う理由がないのも示唆している。

 直人を拘束した頃と違い、無闇に束縛はできない。

 同盟関係、共犯者、運命共同体。

 どれも協調が必要だ。


 ――恋人の立場ならわがままも少し言えるんだろうか。


 彼女はそんな事を感じていた。



  *



 見るからに葛葉くずのはレイは賢い方ではなく成績も良くない。けれど好奇心には駆られる。

 授業中でも知恵を絞って思案していた。

 対象に近づくには外堀から埋めていくべきと考え始める。

 どちらの外堀を埋めるのか、放課後までに決めようとしていた。


 彼女は黒川組との接触は不得意に感じた。

 どちらかなら身近な二人組の方。

 その片方から距離を詰めていく考えに至った。


 生徒の大半が減った放課後の教室で、レイはサイドダウンの髪を揺らして堂々と目標に近づく。

 如何にも不良に区分される彼女らしい態度。

 中流層の女子が親しくもない下流層の男子に私用で接するのはまれだ。


「湯田さ、今暇?」


 レイは持ち前の物怖ものおじのなさを発揮した。

 話かけられた湯田黄一こういちは左手でバッグを持つ体勢に入っている。

 彼が彼女を見た。

 長い前髪から覗く目が一瞬だけ鋭さを帯びる。


「帰る準備をしてるけど」

「だよねっ。ははは」


 頭を掻いてごまかす。

 情報が欲しいレイは鋭い眼光も捨て置いた。

 湯田も目線を外す。


「湯田は木徳と仲がいいよねぇ」

「それが何か」


 冷たい印象。


 ――予想よりも取っつき難い……。


 男の気を引く程度の色香には自信があった。

 それを足がかりにして親しくなってもよかったが、経験的に今回は無理だと察する。

 方針転換を余儀なくされた。

 聞くだけは聞いてみようと下手したてにでて、お茶らけた口調で本題へ切り込む。


「ごめーん、ちょっと聞いてみたい事あってぇ。湯田と仲がいい木徳ってどんな男子? みたいに!」

「木徳の事が知りたいのか」

「まぁなんとなく? 興味本位って感じで、あはは」


 彼は逡巡する様子を見せた。

 しかしすぐ口を開く。


「いいよ。付きでなら」

「条件……?」


 心臓がトクンと鳴る。


「ボクは生まれて来てまだキスを経験してない」


 嫌な予感がした。


「キミがボクとキスするなら、木徳の事なんでも教えるよ」

「は?」


 彼女が急いで周りを見渡す。

 教室にはもう誰もいない。バカな会話を聞かれずに済んだ。


 ――キモい男。キモすぎる。


 呆れた今の自分は多分表情も歪んでる、と悟って深呼吸した。


「ウチがあんたとそんなのするわけないじゃん」

「ならこの話は終わり。ボクは帰る」

「はぁ、っそ……」


 こうなっては仕方ないと諦めて背を向ける。

 湯田は木徳といる時に女子の話をよくするとは聞いていた。

 その声が周りの耳に入れば噂も広まる。


 ――ただのエロ男。しかも恥知らずで気持ち悪い。


 無言で自省した。


「チキン。威勢のよさは見た目だけか」


 気持ち悪いと思った男子の小声が耳に入った。

 レイが振り返る。


「あんた今なんつった?」

「何も」

「嘘だ。チキンて言った」

「耳がいいね」

「言っとくけどウチは腰抜けじゃない」

「キスもできないのに」

「キスぐらいなんて事ないわ」


 仲間内で酒を飲んだ時、年上の男友達と一度や二度キスの経験もあった。

 いざとなれば大した事はないと言える。


「でもボクとはキスできないんだろ」

「あんたなんかとしたくないに決まってんじゃん。でもウチはキスぐらいできる」

「ならして見せてよ」

「いいよ。してやるよ」


 レイが声を張る。


「したら本当になんでも教えてくれんだろうね?」


 湯田が左手で三本指を立てた。


だけなら。親友として心苦しいからそれ以上は暴露できない」

「分かったわ。それでいいけど、」


 彼は椅子に座ってふんぞり反っていた。


「キ、キスの時間はどれぐらいすりゃいいの?」

「そうだな。一分間。勿論ディープキスをね。ディープの意味、知ってる?」


 一瞬気後れした。

 だが持ち前の胆力で乗り越える。


「当たり前。目は瞑ってよ、しづらい」


 相手が前髪の下の目を瞑る。


 ――エロいだけじゃない。思い上がって偉そう。ムカつく。キモい。ぶん殴ってやりたい。


 だがこういうのがきっとオタクという人種なのだろうと納得した。

 再度教室を見渡す。

 他には誰もいない。

 男の肩に手を置いた。

 華奢きゃしゃな体格。喧嘩でも勝てそうだと感じる。

 彼女は日本人離れした顔を近づけた。


「するからね」

「いつでも」


 唇と唇が触れ合う。

 レイも目を瞑った。

 舌を入れる。

 相手の口の中で動かす。

 気持ち悪い男とのキス。

 気分が悪くなると思っていた。

 だが意外に悪くならない。

 無味無臭の飴玉を転がす感触。

 一分間は存外長い。

 彼女の吐息が漏れる。

 彼は存在しないかの様な受け身。

 マグロ男。

 けれど魅惑的なキスを続ける。

 大体一分が経過した。

 レイは離れようとする。

 くっついていた唇と唇。

 その唇が名残惜しそうに離れた。


「……これでいいだろ」

「ああ、いいよ」


 湯田がへらっと笑う。

 彼女は少し興奮した己に嫌悪した。


「さあ、聞いていいよ」

「じゃあ。木徳ってどんなやつ? 人柄、趣味、なんでもいいから」


 彼が嬉しそうにで喋りだす。


「木徳は真面目で誠実で孤独な男性。だからクラスでは余り目立たない。カーストの下流層に属している。けれど頭は回る。時には芯の強さもある。

 それにも強く観察力がある。意外に男らしさもあるが普段見せる事はない。留意すべきは物事をて考えるのとてもよ」


 やや驚いた。

 人柄の話にではない。こうで饒舌だという点。

 木徳の話をするのが余程好きと見える。

 これもオタクの特徴なのかと、レイには窺い知れない。


「木徳は多趣味な方だ。映画やアニメ、音楽や読書。大体の話題は合わせてくれる。女子の話も。それはキミも知ってるかな」

「……知ってるわ」


 併せて湯田は好色な噂も自覚している事に気づいた。


「それから彼は小説も書いてる。本人は隠してるつもり」


 小説を書くクラスメイト――

 彼女には真新しい発見だった。

 周囲にいるタイプではない。

 レイも小説は読まない。読むのは占いやオカルト系の本。


「さあ、二つ目を」


 告げられて切り込む。


「木徳と黒川の関係は?」


 彼の頬が僅かに動くが彼女は気づかない。

 湯田が口を広げる。


「あー、あーー!」


 突然の奇声に驚いた。

 口を閉じた彼が再び口を動かす。


「キミは、さっきの、それでか。まあ二人は最近かなり仲がいい。それ以上はボクも知らない」

「ならいいよ……」


 具体的な事は不明でも察した通りだった。二人の繋がりは確信できた。

 それよりもレイは薄気味悪くなっていた。

 目前の男子が奇怪な存在に見える。


 ――だからオタクは好きじゃない。


「さて、最後の三つ目を」

「もういい」


 話を切り上げる。早々に去りたくなって、続けて言う。


「聞きたい事があったらまた聞く。今はもういい」

「ボクはそれでもいいよ」

「あと、この話は絶対誰にもしないでよ。話したらあんたをぶっ飛ばす」

「ははは。言わないよ。葛葉さんは美人なのに恐いね。腕っぷしも強そうだ」


 反論しそうになった。

 だが何も言わずバッグを取って教室を去る。

 妙に背中へと刺さる湯田の視線を浴びながら。

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