第四話「トラブル会議」

 木徳直人は殺風景なアジトで黒川ミズチを待っていた。

 今日も同じ眺めだと思っていたが少し違っている。

 部屋の角に平積みの本が数冊。


 落ち合う場所は学校最寄りのアジトに固定されていた。

 いつも同じ場所だから彼女が暇潰しに置いたんだろうと彼は考えた。

 平積みされた本を見つめる。

 サイズは文庫と新書。

 人を殴打できる単行本は読んでないのか、とバカバカしい発想をする。

 冷静に考えれば文庫や新書は持ち運びに便利だ。

 直人はふと気になった。

 どんな本を読んでいるのか。前にもこんな事があったと思い出す。

 背表紙は壁側向きでタイトルは見えない。

 一番上の裏表紙、内容紹介の文から分かるのは――忍者のガイドブック。


「忍者!?」


 潜入や隠密、暗殺とかの参考だろうか?

 彼は本屋の件を思い返し、他も殺人や物騒な本であるのは推測できた。

 それでもミズチが最近何を読んでいるのか気になってくる。

 数歩進んで手を伸ばせば届く。


 ――勝手に人の本へ手を出していいのか。同盟前なら無断でいいかもしれないが。いや、同盟関係だから無断でいいの?


「うーん」


 ただ後ろめたさは感じた。

 しかもそろそろ彼女がアジトに来る頃。


「決断は早い方が」


 直人はに打ち勝てなかった。

 素早く表紙をチェックする。


 案の定殺人や暴力が垣間見える内容ばかり。

 だが一冊だけ嗜好の異なる小説があった。


白夜びゃくやの花嫁』


 タイトルと表紙のデザインで察しはついたがパラパラと捲る。


 ――カナダ・トロントの出版社「ハーリルイン」の書籍。

 恋愛小説の代名詞として“ハーリルイン”とも呼ばれる、世界的に有名な女性向けレーベル。


「どんな心境の変化?」


 真っ先に声が出た。


 ――僕との関係の影響。


 余りに自意識過剰だと考え直した。


 ――ナイフで殺すという目的を達成したから。夢を叶えた結果と思うのが自然。

 ミズチの人生で一番の変化と言えるならそれは節目で、新規開拓をしたくなったとか。

 新たな感情に目覚めたか、愉しい事を見つけたか。

 それが恋愛? 勉強も兼ねてハーリルインを読み始めた。僕との関係を見据えて――


 なぜ気持ち悪く自分に結びつけるのかと彼は反省する。

 けれど彼女の最大の弱点を見つけた気分だった。愉快な気持ちになってくる。

 その時、ガチャッとドアのノブが回る音が聞こえた。

 直人は物凄い速さで本を定位置へ戻す。

 まるでを親に見られそうになる直前だ。

 鍵はかかっていない。赤い眼鏡の女が部屋に入ってくるのは早かった。

 彼の動きはもっと速い。

 それでもミズチは直人を見て少し不思議そうな顔をした。


 もしかして――汗、息遣い、挙動、普段との差異、焦り――読み取った?

 恐ろしい女子だ。


 何か言われるかもとひやひやしたが、彼女はすんなり畳に座る。

 一安心、結局は思い通りの結果で小さな勝利を得てほくそ笑んだ。


 彼女は脚を崩したきり何も言わない。

 床畳を見つめ、彼の後方の壁を眺め、天井を見上げ、その間に目も合う。

 間はもたないが間をもたせる行為は平気という印象。


 ――聞きたい事があって呼び出したのは僕だから、そうか。


 それにしても、ミズチはまるで『待て』をしているだと直人は感じた。待機中のにも見える。

 SF以上に犬が好きだったので人造人間より犬のイメージが勝った。

 昔は家に犬がいたのも関係する。また犬と暮らしたい気持ちもあった。

 懐かしくなって昔の愛犬が段々浮かんでくる。

 彼女の容姿と愛犬の想起が重なる瞬間――


「可愛いな」


 心の声が出た。

 確かにミズチは可愛いので素直な感想だ。愛犬への言葉でもあるから羞恥心は湧かない。

 聞いた彼女はきょとんとしていた。

 気抜けし終えると髪をいじりだす。


 ――この光景には記憶がある。あそこは夢じゃなかったんだ。


 夢と現実の境界を知る為に呼び出した。けれど弱点の件がまだ可笑しかった。

 上目遣いの女と、にやけ顔の男の目線がかち合う。

 また気抜けしたミズチは目をそらして再び髪をいじりだした。


 いい加減らちが明かないと本題へ入る。

 直人はどこまで話したか聞きたかったが変な解釈もされたくなかった。

 記憶や悪夢の話もなるだけ伏せたい。


「……昨日の事なんだけど」


 毛先いじりが止まる。


「うん」


 じっと見据えてくる。


「好みのタイプって聞いた?」


 目をそらされる。


「忘れた」


 つい昨日の事なのにと疑問を感じたが、人の事を言える状態ではないのを思い出す。


「彼氏がいるかどうかは?」

「それも忘れた」


 冷たく突き放された気分になった。

 忘却が嘘なら初めて嘘をつかれている。事実も隠されているのか。


「そんな事聞く直人くんこそ忘れたんでしょ」


 痛い所を突かれた。


「それじゃあキ――」「それも秘密」


 反応が素早い彼女がまくし立てる。


「あたしの本、読んでたよね」


 ――バレてた。洞察力も達人だ。


「ミズチはこそこそされるのが嫌。後ろめたいなら許可をとってくれたらいい。事後なら許しを乞いなよ」

「ああ、ごめんなさい」


 素直に頭を下げた。


「謝られたら許すけど、イライラしたからあたしもこそこそする。それで色々忘れた」

「分かったよ」


 そういう事かと彼は納得する。


「代わりにいつか思い出して。あの夜、したかどうか――」


 それは、


「けど直人くんの記憶はどうしてだろう。間接的でも魔術やに接触した影響かな」

「その可能性もあるのか……。まあストレスだと思ってるよ」


 ミズチに隠し事をするのは難しいと自省する。

 それでも悪夢の内容だけは勘づかれたくなかった。


「けど僕のこの質問は答えてほしい。昨日話を終えた後、普通だった?」

「いつもと変わらなかったよ。普通に帰った。それからは知らない」


 少し安心した。

 夢遊病の様に惨めな行動はしてなさそうだ。

 直人は若干の冒険心が芽生える。

 確かめたくなったのだ。

 初めて回答してくれない流れと、自分の言葉が彼女に通じるか否か。

 悪戯めいた実験も兼ねていた。

 いざ聞くとなれば攻めの姿勢。


「ミズチって、昨日の下着の色はだった?」


 ――何を聞いてる!


 心中でつっこみを入れた。

 もう引くに引かれない。


だったよ。あたしの下着は大体黒かな」


 呆気ない幕切れ。

 言葉を失ったが、そこからは確実に夢だと把握できた。


「ミズチは名字が黒川だから。下着も黒が好きだよ」

「な、なるほど。そういう事……ね。黒の下着はセ、セクシィだよね」

「ありがとう。眼鏡はこの赤が好き」


 ミズチは眼鏡をクイクイ動かした。

 彼はうろたえていたが、彼女は珍しく嬉しそうだ。

 うろたえているのを見て嬉しいのか、褒められたから嬉しいのか、そこは不明だった。

 ミズチが提案する。


「記憶の件に関係してるなら。ミズチの発言の裏付け、ちゃんと見てみる?」


 直人は襲い来る下品な感情と感覚に抗った。

 誤解させてもいいと思った時と、悪夢を見た今とでは心理も様変わりしている。


「それはやっぱまずいんじゃない! 昨日が黒だったとも限らないし!」

「そうだね。ひっかからなかった」


 彼女はニヒッと笑った。

 もし「見る」と言ったらどうしてたのか――

 そういえば蹴りを入れられた時、黒っぽかったと思い出した。


 何にせよ峠は越えていた。

 昨日の事情がある程度分かったのは少なくとも収穫。実験としても+-0の結果だ。

 もっとドぎつい質問もできたろうが、今の彼にそれ程の度胸はない。

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